7回目の婚約破棄を成し遂げたい悪女殿下は、天才公爵令息に溺愛されるとは思わない

結田 龍

第1話 婚約破棄

 


「クリスティーナ・ヴィクトール! 今日をもって、君との婚約を破棄する!」



 燦々とした陽光に照らされた、石造りの王宮にある応接室。

 優美なフレームのソファから立ち上がり、顔を真っ赤にした婚約者から、ビシっと指差された。

 指差された先にいたクリスティーナは、彼が放ったその言葉に、思わず口元が弧を描きそうになった。



(……ふふ、きたわ)



 すでにソファから離れていたクリスティーナは、逸る気持ちを抑えて、できるだけ気弱によろめいた。

 その拍子に、細身の薄紫のドレスが艶めかしく揺らめき、月の光を含んだような金色の長い髪がさらりと肩を流れて、花のような香りが舞う。

 麗しい瞳と称される紫紺の瞳を潤ませ、ぽってりとした唇を震わせば、目の前の男が魅入り、目元を赤く染めた。



「ウィリアム。それは本国……ヴィクトール帝国からの婚約要請だったのに、婚約破棄をするということかしら……?」



 あえて震えるような声で問うと、ウィリアムは鬼の首を取ったかのように声を荒げた。



「そうだ。ショックだろう! 君は見目麗しいのに、僕の言うことを全く聞かない。次期王太子妃になるのに、淑女として後ろに下がることもしない。先ほどの僕の後ろ盾になるかもしれない貴族との交渉も、僕を差し置き、勝手に進めるだなんて!」



(勝手、ね。弱々しく振舞えば、本音がぼろぼろ出てくること。この王太子は、わたくしのようなタイプは嫌いよね)



 ウィリアムは、この大陸の小国であるキングスコート王国の王太子だ。クリスティーナにとって、六人目の婚約者にあたる。

 その婚約者と今の今まで、この応接室で公務を行っていた。今回の公務は、国内の有力貴族と商業関係の交渉を行っていたのだが、残念ながら王太子の能力では渡り合えず、交渉を行っていたのはクリスティーナだ。

 何も分かっていない王太子に、そろそろ立場を分からせるため、彼女はわざとらしく溜息を零した。



「今回のことは、わたくしがキングスコート国王陛下から一任されていたことよ。あなたじゃ、荷が重いからと」


「何だって!?」


「王太子としてあなたに箔をつけさせたかった。国王陛下のお気持ちがわからなくて?」



 クリスティーナは腕を組み、鋭い眼光で射すくめる。

 肩をびくりと竦めたウィリアムは、うろうろと視線をさ迷わせた。

 この後は昼食会の予定だったが、まさかこの公務の途中で、ウィリアムが引き金を引いてくれるとは思わなかった。



「ウィリアム! ウィリアム、何をしておる!!」



 バンッと大きな音とともに部屋の扉が大きく開き、雪崩込むように数名の近衛騎士たちと、壮年のキングスコート国王が入って来た。

 近衛騎士をぐっと押しのけて、こちらに近づいてきた国王の顔色は青ざめていて、唇がわなわなと震えていた。



「ち、父上。ちょうどよかった! 今、クリスティーナに婚約破棄を言い渡したんだ」


「何が婚約破棄だ! それを聞いて慌てて来たのだ。ウィリアム、お前は何をしたのかわかっているのか!? 宗主国である帝国からの婚約にも関わらず、婚約破棄を勝手に言い渡すなどなんたる愚行!」



 国王の普段見せない激しい剣幕に、ウィリアムが目を丸くし、たじろいだ。

 この事態を憂慮した者が、すぐさま国王に伝えたのだろう。


 七つの国を従える大国・ヴィクトール帝国。クリスティーナは皇帝の第三子であり、第一皇女だ。

 従属国であるキングスコート側からの婚約破棄など前代未聞。それは宗主国に楯突く行為であり、国の在り方すら問われる。



「それに、皇女殿下がいらっしゃるから、この国は守られていたのだぞ!」


「こ、この国の守り……? ど、どうして……」


「王太子なのにわからないのか!? 皇女殿下は婚約と同時に、我が国の国防を固めるため、世界の空を制した戦空艇団を率いてこちらに来てくださったのだ。国防の安定は皇女殿下のおかげだ! 今後、この国が魔獣に襲われたらどうするつもりなのだ!?」



 ウィリアムが目を見開き、ハッと息を飲むとクリスティーナを見つめた。

 そのしぐさで、国王は肺の空気を全て吐き出したかのような、深い絶望の溜息をついた。



(この王太子は本当に何も知らないのね。国王は聡明な方だったけれど、育て方を間違えたみたい。だからこそ、こちらが張った婚約破棄の罠をあっさりと踏んでくれた。ふふ、今回は楽だったわね)



 対照的な親子のやり取りを眺めながら、クリスティーナの胸の内は明るく、達成感で満たされていた。

 そろそろ最後の仕上げに取り掛かろうかしら、と思っていた時、国王が周りの目をかなぐり捨てて、クリスティーナに向って深々と頭を下げた。



「皇女殿下、我が愚息がとんだ無礼を……どれだけ謝罪してもしきれません。しかし、我が国には皇女殿下のお力が必要なのです。どうか、どうか今回だけは……っ」



 これがどれだけ重いことなのか、王太子以外はわかっているのだろう。

 国王と共にいる近衛騎士たちの、生唾を飲み込む音がやけに響いた。



「陛下、頭をお上げください」


「殿下……」



 国王から縋るような目を向けられたクリスティーナは、口角を上げてにっこりと微笑んだ。



「陛下、あなたは何もご存じでないのね? ウィリアムのことに対して、わたくしが目をつぶってきたのはこれだけではなくってよ?」


「ど、どういう……」


「公務の肩代わりは日常茶飯事。わたくしとの婚約が納得できないのか、何人かのご令嬢と浮気をなさっていてよ。極めつけは王家が所有する財産の使い込みね。そうねぇ、三分の一は使い込んだんじゃないかしら? そういうことだから、婚約破棄はいずれわたくしから伝えるつもりでしたのよ」



 クリスティーナの思いもかけない指摘に、国王は面白いくらい口をぽかんと開けた。



(まあまあ、何も知らなかったのね。これでチェックメイト。わたくしは結婚なんてしないわ)



 クリスティーナの最後の仕上げとはこのこと。最初から婚約破棄をするつもりだったのだ。そのために必要な情報は集めておいた。このダメ押しで、婚約破棄は確実なものとなっただろう。



「ウィリアムを捕らえよ! 即刻王太子の地位をはく奪する!」


「え、父上!?」



 国王が身体をわなわなと震わせ、耳を劈くような大声で叫ぶと、近衛騎士がすばやく動いた。

 目を白黒させたウィリアムの両腕は背中で拘束され、そのままぐっと力をかけられ膝をついた。



「は、離せ! 僕は王族だぞ!」


「まあ。民の見本であらねばならない王族が聞いて呆れるわね」


「申し訳ございません。皇女殿下。王太子としてあるまじき行為。まさかこんなことになっているとは……」



 怒りで声を荒げた姿はどこへ行ったのか、国王が力なく頭を下げて、すっかりうなだれてしまった。



「陛下、キングスコート側の落ち度で婚約破棄が成立ですわ。小国の、しかも王太子の地位がない男とは、わたくしと婚姻を結べるはずがないもの」



 クリスティーナがちらりとウィリアムに目線を流せば、ウィリアムが再び顔を真っ赤にして喚いた。



「き、君のせいで、僕の人生はめちゃくちゃだ! これまでの五人の元婚約者たちにもそうしてきたのだろう!? 評判通りの悪女だな!」


「……ふふ、悪女なんて可愛いもんだわ」



 髪をゆらりとかき上げたとたん、再び花のような香りが舞う。香りに誘われた男たちが、ごくりと生唾を飲み込む。

 男たちの視線を釘付けにし、クリスティーナは嫣然と微笑んだ。




「悪女である前に、わたくしは血を恐れない軍人だもの」




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