第2話 行き倒れの旅女

 そもそも事の始まりは一週間ほど前へと遡る。


 エルダーク王国といえば、大陸のちょうど西と東を繋ぐ境界線上にある国で、いわば交易の盛んな国である。

 他国の文化も幅広く取り入れ、芸術や文化の発展も著しい。

 そんな場所だからこそ、『探し物』があるのではないかと足を運んだアンジェリカだが。


「きゅぅぅ……」


 ……首都である『エルダーク王都』に入って程なくして、彼女は路頭に迷っていた。

 いいや、より正確には行き倒れていた。石畳の上で、うつ伏せになって。


 原因は過度な空腹である。もう三日も何も食べていない彼女の腹はしばらく前から鳴りっぱなしで、栄養をよこせよこせと口うるさい。かといって、旅の途中で食料も路銀もとっくの昔に尽きているアンジェリカにはなすすべもなく、無様に行き倒れているという有様である。


 エルダーク王都は豊かな街で、スラムもなければ浮浪者の類もめったにいない。故に道行く住民たちも、見慣れぬ行き倒れ女をどう扱えばいいのか決めかねる様子で、だいたいは見て見なかったフリをして脇を通り過ぎていくばかり。そうでなければ、物珍し気な自然を無遠慮に向けてくるかのどちらかだ。


 そんな視線に晒されて、アンジェリカとしては申し訳なく思うばかりである。


 こんなところで行き倒れていてすみません。通行の邪魔になっててごめんなさい。お腹空いたご飯食べたい。


 そんな言葉ばかりが、彼女の頭の中をぐるんぐるんと回っているのであった。


「……?」


 このように途方に暮れているアンジェリカだったが、彼女の鼻先が不意にかぐわしい小麦の香りを嗅ぎつける。

 その香りに食欲を刺激され、顔を上げれば目の前にあるのはこんがり焼けた小麦の塊――要するにパンである。


「はて……?」


 その光景にアンジェリカは首を傾げる。

 彼女の記憶が正しければ、食料はもう三日も前に尽きている。パンに至ってはもう二週間は口にしておらず、口にしても害のない野草や木の実でなんとか凌いでいたような。


 だというのにこうして目の前にパンが現れるとは、いったい如何なる現象だろうか。


 空腹に霞む視界の中、アンジェリカがさらに目を凝らすと、パンの向こうに人影が現れた。

 二人の、まだ十かそこいらの少女と少年である。そんな子どもが、大きなパンの塊をアンジェリカに向かって差し出していたのである。


 そのことに気づいたアンジェリカは、パチクリと瞳を瞬かせた。


「君たち……私に、これを?」


 思わず問えば、二人そろって「うん」と頷く。

 そして少年の方が、少女の方をちらりと横目で伺いつつ、


「……ランねーたんが、困ってる人いたら助けなきゃだって」


 と言って答える。


「いや、でも……これは君たちのものだろう? 私なんかがもらって大丈夫なのかい?」

「大丈夫! あとでポアラがママに怒られるだけだもんっ」


 ランと呼ばれた姉らしき方が元気よく答え、その言葉にポアラと呼ばれた少年が、「なんで僕なんだよぅ……」と情けなく呟いた。どうやら、姉弟の力関係は歴然のようである。


 そのことにクスリとアンジェリカは笑いつつ、


「いやいや、怒られるならやっぱりダメなんじゃないか?」


 とつい突っ込んでみるものの、ランの方はどうやら抜け目のない様子。


「困ってる人に譲ったって言ったら、きっとママは褒めてくれるわ!」


 と胸を張って得意顔を作る。


「ねーたんだけ褒めてもらうの、ずるくない……?」

「じゃあポアラのことはわたしが褒めてあげるわ!」

「でもママ僕のこと怒るんでしょ?」

「そうかもっ」

「怒られるの嫌だぁ……」


 そんな二人のやり取りを微笑ましく思いつつ、アンジェリカは横から口を挟んだ。


「だったら、二人で一緒にお母さんに褒めてもらったらいいんじゃないかい? それなら少年も怖くないだろう?」


 アンジェリカの提案に、二人は「それだ!」とばかりに目を輝かせた。


「うんっ、それなら僕怖くない!」

「そうと決まれば、お兄さんにこのパン食べてもらわなきゃ!」

(お姉さん、なんだけどなぁ)


 ぐいぐいとパンを押し付けられ、心の中でアンジェリカは訂正を入れる。

 余談であるが、アンジェリカはよく男に間違えられる。元々の上背がかなりあるのに加えて、体のとある一部分が極めて平板な作りをしているためである。顔立ち自体も整ってはいるが涼し気で、『可愛らしい』というよりは『凛々しい』と表現するにふさわしい。おまけに燃えるような赤い髪が、いかにも活動的で活発な、男性的な印象を強めていた。


 そんな彼女は、姉弟から有難くパンを受け取ると、その端っこ、全体の三分の一ほどの部分のみをちぎって、大きい方の塊を返す。


「私には、これでじゅうぶんだよ。パンを分けてくれてありがとね」


 ちぎった部分をもそもそ口に運びつつ、二人に向かって礼を口にする。

 そしてパンをぺろりと平らげたところで、アンジェリカはふと、あることを考えた。


 相手は子どもとはいえ、行き倒れていたところを救ってもらったのである。何かお礼をしてあげたい、もらいっぱなしは性に合わない。


 そんなことを思った彼女は、二人に向かって問いかけた。


「ねぇ、君たち。好きなものや、憧れているものはあるかい?」

「はいはいはい! わたしね、お姫様になりたいの! 素敵なドレスで綺麗に踊れるお姫様!」

「ぼ、僕は騎士とか、いいなぁって……強くてかっこよかったらねーたんにぶたれても痛くないし」


 ランがすかさず答え、ポアラの方は少し遅れておどおど告げる。

 ちょっとばかり切ない姉弟事情も垣間見えたところで、アンジェリカは「よしきた」と身体を起こしてその場であぐらをかいた。


「二人にはお礼に、ちょっと面白いもの見せてあげる。いいかい? よく見て、目を離すんじゃないよ……」


 そんなことを言いながら、彼女は両手を地面に翳す

 それから不意に真剣な面持ちになると、アンジェリカの全身が淡い燐光を発し始めた。


 そして響くのは、キィン――キィン――という、さながら鉄と鉄とを打ち鳴らすような、澄んだ高い金属質な音である。そんな澄んだ音色に合わせて、アンジェリカの手を翳した地面が不意に抉れて霧散する。


「「……っ?」」


 姉弟二人が、その光景に揃って目を丸くする。

 一切手を触れていないにも関わらず、地面が深く抉れてなくなったのだ。まるでそこには元から何もなかったかのように、忽然と抉れて丸い穴が空いている。


「本当に面白いのはここからだよ」


 そんな二人にアンジェリカはそっと微笑むと、次の瞬間、彼女の全身がさらに眩い光を放った。

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