香具山先輩は結果オーライ
小日向葵
香具山先輩は結果オーライ
学食の自販機に、コーヒー牛乳プリンが入ったという噂は瞬く間に校内を駆け巡った。
そもそも乳飲料とかウーロン茶とかの二百ミリ紙パックを百円で売っている自販機で、そこで買うなら門を出て道沿いにちょっと歩いたところにある自動車整備工場の自販機の方が、五百ミリの缶もペットボトルも同じ百円で売っているのでどう考えてもお得だ。
なので、ほぼ最終手段としてしか見られていなかった人気薄の自販機に、コーヒー牛乳プリンが入ったという。
「言うて大してうまくないぞ」
香具山先輩はダルそうに言った。放課後の校内に残っている生徒は少ないが、僕と先輩はこうして時間を無駄に潰してから帰ることを日課としていた。
「先輩もう食べたんすか」
僕も似たようなテンションで応える。この人は、
「コンビニ行けば買えるし食える」
「そりゃまそうですが。学食で食えるってのがデカいんでしょうに」
「お前食ったのか?」
「食ってませんよ。ていうか今先輩から聞いて知ったっす」
「お前ね。なんでもそうやってあたしから情報集めるの良くないぞ。嘘だったらどうするんだ」
呆れたように香具山先輩は言う。一年上のこの人は、周囲からちょっと怖い人だと思われているふしがあって、当人もそれを把握しているにも関わらず一切誤解を解こうとはしない人だった。
雑に結った髪、切れ長の目、薄い唇。校則違反ギリギリの長いスカート、いつも咥えている棒付きキャンディ。
「先輩が僕に嘘を?」
「そうだぞ。信頼させて安心させて、そのうち食っちまう作戦かも知れないぞ」
「先輩が作戦なんて高尚なもの、立てられるわけがない」
「馬鹿にし過ぎだ」
たぶん、校内で香具山先輩とこうして話ができるのは僕一人だと思う。高校に入ってすぐの夕暮れ、学校裏の用水路に糸を垂れている先輩を見かけて、つい僕は釣れますかと声をかけてしまった。先輩が釣っていたのは魚ではなく、ざりがにだった。そしてそのざりがにを餌に、僕が釣られた。そういうわけだ。
「でもコーヒー牛乳プリンってどうなんですかね?」
「どうなんだとは」
「コーヒーなのか牛乳なのか、それともプリンなのか」
「食えば判る」
ばっさりと斬る香具山先輩に、僕は食い下がる。
「先輩、それじゃ駄目ですよ。すぐに答えを求めずにまずは色々と考える。ああでもないこうでもないと勝手に理想を積み上げて行って」
「積み上げて行って?」
「実際食べて落差にガッカリするまでがネタってもんです」
「ガッカリ前提かよ」
「それが男の浪漫ってやつです」
「男の浪漫はガッカリすることなのか?あたしは女だから理解する必要はないな」
棒にへばりついている飴の残りを奥歯でがじがじと齧りながら、先輩は僕を冷ややかに見る。
「そうやって、日頃から細かいガッカリに耐えておくと……いざすごいガッカリに直面した時にも、平静でいられるもんです」
「そうか。じゃあお前の考えるコーヒー牛乳プリンとはどんなものだ?」
僕は顎に手を当てて考える。
「そうですね。僕は前に牛乳プリンというものを食べたことがあります。味の薄いパパロアというか、ちょっと甘いだけの牛乳が半分固まったようなものというか。寒天とは違った食感だったので、ゼリーみたいなぷるぷる感はなかったです」
「ふむ」
「あれにコーヒーを足した感じなんでしょうか。それともあれかな、紙パックのコーヒー牛乳みたいにすごい甘いんでしょうか」
「あたしに訊いてどうするんだ、考えろよ」
「食感もプリン寄りだと考えると、やっぱりプルンというかチュルンというか。そういった儚い感じな気がしますね」
香具山先輩はポーチから百円玉を取り出して、下手で僕に向かって投げた。
「買って来い」
「え」
「買って来い。お前に拒否権はない」
「はいっ」
僕は空き教室からダッシュで廊下を走り階段を降りて学食に向かった。既に営業は終了しているが、自動販売機は元気に営業中だ。そして売られているラインナップに、売り切れの文字はない。なんだよ、噂になってる割に誰も買ってないのか。
サンプルを見ると、よく目にするコーヒー牛乳のバリエーションという位置付けがよく判る外装デザインになっている。これはきっと甘いやつだ、あれっ値段百二十円じゃん!仕方なく財布から二十円足して買い、自販機に貼り付けてある箱から紙のスプーンもひとつ頂いて行く。
「買ってきましたけど」
香具山先輩は思いっきりニヤニヤしている。値段のことを知っていた顔だ。
「その顔」
「可愛いだろう?お前お気に入りの顔だぞ」
「よく自分の顔にそんなこと言えますね。そうじゃないですよ、知ってたでしょ足りないって」
「いいから寄越せ」
先輩に買って来たコーヒー牛乳プリンと紙スプーンを渡す。ふむ、とひとつ唸ってから、先輩はおもむろに上蓋をぺりっと剥がした。
「うわーコーヒー牛乳くさい」
「まあそうでしょうとも」
ちゅるん、と先輩は一口食べる。
「よく考えたら、あたしこれコンビニで買って食べたから、味知ってるわ」
「ちょっと、なんですかそれ。じゃあ僕に下さいよ」
「出資者はあたし」
「二十円は僕が出しました」
権利を主張すると、先輩はその可愛らしい眉の間に縦皺を作った。つまり威嚇である。野生動物か。
「あーもうしゃあないな、来い来い」
ちょいちょいと先輩が指で呼ぶので、僕はとっとっとっ、と雀のように小さくジャンプして先輩との距離を詰める。
「ほれ、あーん」
「あーん」
コーヒー牛乳プリンを載せた紙スプーンがゆっくりと僕の口に向かって移動を始める。おお、香具山先輩がこんなことしてくれるなんて!と僕も少しドキドキである。なんか恋人っぽくね?色々妄想しちゃいそうじゃね?
と、紙スプーンは急旋回して、搭載していた茶色い物体を香具山先輩の薄い唇の間に投下した。あっフェイントだ、と思った次の瞬間。
先輩の顔が僕の顔に急接近して、その唇が僕の唇に押し当てられ、そして甘い半液体が口の中に流し込まれた。
「んっ!?」
香具山先輩は得意げな、してやったりと言う顔をして、舌でぺろりと唇を舐めた。
「だから言っただろう?信頼させて安心させて、食っちまう作戦だって。どうだ、ガッカリしたか?」
「予想通りってとこはガッカリです」
「そうか、やっぱり作戦には向いてないかあたしは。悪かったな、色々想像したり妄想したりしたんだろ?このエロガキ」
けらけらと笑う香具山先輩。
「そりゃまあ、先輩綺麗ですし二人きりの時間は長かったですし、主導権全然こっちにくれないから色々と想像も妄想もしましたよ。ストレート過ぎてガッカリはしましたけど、それでもガッカリは男の浪漫ですから」
「なら結果オーライの範疇ではあるということか」
ふむ、と香具山先輩は容器に残ったコーヒー牛乳プリンを全部食べてしまった。
「それでとりあえず、僕たち付き合うってことでいいんですよね?」
「お前に拒否権はないぞ。まずひとっ走りコーラ買って来い」
「もう遅いですし帰りましょうよ。帰りにコンビニとか自販機とかいくらでもあるじゃないですか」
「仕方ないな。じゃあ手を繋いで帰るぞ。拒否権はないかららな」
そんな感じで、全然それらしくない感じで僕たちは彼氏彼女となった。こういう青春があってもいいじゃないかと先輩は言う。終わり良ければ全て良し、結果オーライな香具山先輩らしい、と僕は思った。
香具山先輩は結果オーライ 小日向葵 @tsubasa-485
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