第十五話 「ようこそ日本へ」

 五月十二日。

 


「ありがとうございました」



 孝弘は頭を下げ、医院の診察室を出る。スライド式のドアを閉めると、自身の右膝を見つめる。



 「大事に至らなくてよかった…。離脱したらクラブに申し訳ない。そして、家族にも」



 孝弘の膝の状態は軽症。



 「今日は安静にしてよう」



 右手を右膝に軽く当てると小さく頷き、待合室へ歩を進めた。




 「ただいま」


 「おかえり」



 マンションに戻った孝弘を朋子が出迎える。


 孝弘の目に映るのは心配そうにプロサッカー選手の夫を見つめる妻の表情。孝弘は表情を緩めると、やさしく言葉を掛ける。



 「心配するな。軽症だ。今日は一日、安静にしてるよ」



 孝弘は靴を脱ぐと、リビングのソファへ腰掛け、サッカー雑誌を広げる。開いた頁にはセリージェ伊阪に入団したコバのインタビュー記事が。



 「大きく取り上げられてるな。まあ、当然だ。あれだけの選手。実績がある。世界的な知名度もある。そんな選手が日本に来るなんて誰も思わなかっただろう」



 孝弘は記事を読み進める。すると、ある文章に目が留まる。



 -セリージェ伊阪への入団を決めた理由は?-



 記者からの質問。その質問にコバはこう答えた。



 -以前所属していたクラブでは希望外のポジションでの出場がほとんどでした。プロですから、勿論試合に出場したい。一番強みのあるポジションで。そういったわがままな希望を条件付きでのんでくれたのがあのクラブでした。それが一番の理由ですが、もう一つの理由はイタリアリーグで活躍する日本人選手のプレーを見てですね。数多の選手の中でも一番印象に残ったのが、かつてチームメイトだった一人の日本人選手でした。その選手は私が随分前に動画サイトに上げられていたプレー映像を見て衝撃を受けた選手と同じクラブに所属していたそうです。その彼のプレーは衝撃を受けた選手とどこか似ていた。チームメイト時代、彼は嬉しそうに私に話してくれました。「一ノ瀬さんのおかげでここまでの選手になれた」と。それが、日本でプレーしたいという気持ちを強くさせた。「彼とピッチ上で対戦したい」と。オリンピックではピッチで対戦できませんでしたから。オファーなんて全く期待していませんでした。ですが、こうして私にオファーが届いた。条件が合わなければ、他のクラブへの道を模索するつもりでしたが、条件付きで希望をのんでくれた。そして、入団が決まった。これも何かの運命なのでしょうかね。-



 孝弘は唸るように息をつくと、雑誌をテーブルへ置き、腕を組む。



 「運命…」



 そう呟いた孝弘はカレンダーへ視線を向ける。



 「契約満了になった俺を拾ってくれたのが台府SC。フリーになったコバにオファーをかけ、獲得に繋げたのがセリージェ。シーズン一回目の対戦を終えた後にコバの入団が決まった。これもある意味…」



 その先は孝弘は呟いた言葉と同じ。



 孝弘は再び雑誌を持ち、記事を読み進める。


 すると。



 -目標は?-



 記者からの質問にコバは一言。



 -台府SCを倒して優勝。-



 そう答えた。




 翌日。練習での休憩中、佳史と言葉を交わす孝弘。



 「そういえば、サイドで出場することが多かったみたいですね」


 「本職はアタッカーだからな。だが、クラブの事情もあり、サイドで出場しなくてはならなかった。監督から見ればいいプレー。だが、コバは自身の武器を活かせないプレーに感じた。そして、監督にアタッカーとしての出場を直訴したが、断られ、退団を決意。オファーを待っている時に声を掛けたのがセリージェ。アタッカーとして出場できるクラブ」



 孝弘はミネラルウォーターで喉を潤す。


 少し遅れて佳史も。


 二人の喉を冷たい感覚が通る。それから少しの間があり、孝弘がこう続ける。



 「偶然とは思えない。運命としか言いようがない」



 佳史は孝弘の横顔を見つめ、小さく頷く。


 それからすぐ、やや強い向かい風は吹き抜けた。




 五月十六日、遠征先のホテル。


 孝弘は部屋の椅子に腰掛け、携帯電話でスポーツニュースを閲覧。


 記事を目で追うにつれ、表情は徐々に苦笑いに近くなっていく。



 「おいおい……いきなりか……」



 孝弘の目に映ったのは。



 -セリージェ伊阪は前半二十一分にグイード・コバのミドルシュートで先制すると、その八分後に同選手がスルーパスに上手く右足で合わせ、追加点を上げる。その後も追加点を上げ、セリージェ伊阪は五対一で快勝した。-



 記事を読み終えた孝弘はテレビを点ける。丁度、スポーツニュースが流れていた。


 テレビ画面を食い入るように眺める孝弘。


 しばらくすると、国内プロ一部リーグの試合のハイライト映像が。


 最初に流れたのは。



 「彼を止めないことに我々の優勝はない」



 その言葉からすぐ、コバのミドルシュートの映像が。


 チームメイトと笑顔でハイタッチを交わすコバの映像で孝弘は口元を緩める。



 「やっぱり凄い選手だ。改めて」



 孝弘はミネラルウォーターで喉を潤す。それからすぐ、コバの二得点目のゴールが。


 キャップを閉めたペットボトルを机上へ置く孝弘。そして、口元を緩めたまま、眼光をやや鋭くし、テレビ画面を通してコバにこう言葉を掛ける。



 「ようこそ日本へ」

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