第十四話 「足を止めたくはない」
五月十一日。
台府SCの選手は台府市内にある練習場で軽めのメニューをこなす。
「コバは次節からですかね」
「まあ、日本のサッカーを見せるということが一番の目的かもな。セリージェのあの戦術にハマったら脅威だ」
佳史と孝弘はランニングをしながら言葉を交わす。
コバは前日の試合、リザーブメンバーとしてベンチ入りしたが、出番は訪れなかった。
「まずは途中出場で日本のサッカーに慣れさせつつ、戦術理解を深めてもらう。そこから……」
孝弘はその先を続けることなく、空を眺める。
佳史はその先の言葉を心で受け取ると、同じく空を眺める。
「チームの中心となり、リーグを席巻。そして、優勝へ」
佳史が孝弘の言葉に繋げるように呟くと、練習場内に雄太の声が響いた。
午後一時過ぎ、練習が終了。
「次にセリージェと当たるのは最終節。これは何かの巡り合わせなのかもしれない。コバがセリージェへ入団したことも。コバが戦術にハマれば、セリージェは更に厄介な相手になる。コバへ繋ぐ戦術を封じても、あいつには個人技がある。それを止めることができるか……」
孝弘は練習場内で腕を組みながら呟くと、視線を左に移す。
そこには、隆義からアドバイスを受ける、雄太の姿があった。
「雄太、相手がこう来た時はな……」
隆義は身振り手振りを交え、雄太にアドバイスを贈る。
雄太は真剣な表情で時折頷きながら隆義のアドバイスに耳を傾ける。
孝弘は雄太の表情を見つめ、僅かに口元を緩める。
それは、雄太の成長を実感した瞬間であった。
「雄太には雄太にしかないものがある。それを存分に発揮してほしい。それを発揮することが、クラブの躍進を支える。頼んだぞ」
「はい!」
隆義の言葉に雄太が力強くこたえると同時に、佳史が孝弘の元に赴く。
「コバを封じるためにはまず……」
佳史のその先の言葉を先読みしたように、孝弘は頷く。
「鹿取君の成長が必要不可欠だ。新しいことを覚えるというよりも、今持っている武器を更に磨く。鹿取君にしかないものがあるからな」
「ええ。なかなかいないですから。あんなに流れるようにボールを奪える選手は。ですけど、あれがコバにも通じるかは未知数。幾多の世界クラスの選手とマッチアップしてきたスター選手。選手の癖は一発で見抜くでしょう。雄太は今抱えている癖をどう矯正するか」
「そこだな」
二人の目には、隆義のアドバイスを元に動きを確認する雄太の姿が映る。
雄太は足の動きを時折確認しながらボールを奪いに走る動きを実践する。
それを見て孝弘が呟くように言葉を発する。
「良くなっている。それをしっかり体にしみ込ませ、モノにする。その動きを基本とし、そこから応用へと移していく。そうすれば……」
孝弘の言葉に続けるように、佳史が雄太に語り掛けるように言葉を発する。
「十分渡り合えるぞ。世界クラスの選手と」
しばらくし、雄太の元に大地が赴く。
「怪我には気を付けろよ、雄太」
「はい!」
大地の言葉は孝弘と佳史が雄太に伝えようとしていたことでもあった。
雄太と大地が楽しげに言葉を交わす姿をしばらく眺め、ベテラン選手二人は更衣室へと歩みを進めた。
「怪我か……」
練習ウェアを脱いだ孝弘がふと呟く。そして、自身の右膝を見つめる。
古傷が残り、僅かな痛みが走る右膝を。
「やっぱり、時折痛むな……だけど、足を止めたくはない。出場して勝利に貢献し、優勝したい。その時まではもってくれよ……!」
孝弘は右掌を自身の右膝に当てる。
「ここで離脱したら、クラブに申し訳ない。拾われた身だからこそ余計に……」
その言葉と同時に、自身が怪我をした試合を思い出す。
相手と接触し、自身が倒れ込んだ映像が頭の中で流れたと同時に、右手を強く握り締める。
「怪我で離脱し、クラブに迷惑をかけた。もうそんなことは二度としたくない。俺は何のためにサッカーを続けてきた……? どんな気持ちを胸にこのクラブでプレーしている……?」
自身への二つの問いは一つの答えに繋がる。
それは――。
「イタリア代表がなんだ!絶対優勝しましょうね!」
更衣室へ入った雄太の声が孝弘の耳に届く。
「勿論だ!」
続けて、大地の声が孝弘の元まで届く。
孝弘は二人の会話を聞き、口元を緩め、目を閉じる。
そして、ゆっくりと頷く。
二人の会話の中に自身への問いに対する答えが隠されていたのだ。
午後三時過ぎ。
「おかえり」
マンションへ戻った孝弘を出迎える朋子。
孝弘は「たまいま」とこたえ、靴を脱ぐ。その時、右膝に僅かな痛みが走る。
孝弘の右手が自然と自身の右膝に伸びそうになった。
すると――。
「『無理しないで』は禁句。だよね?」
孝弘は顔を上げ、朋子を見つめる。そして口元を緩めると目を閉じ、小さく頷く。
「足を止めたくはないからな。目標に向かって。その目標のために俺はサッカーを続けている。『無理しないで』という言葉は気にかけてくれている言葉であると同時に、俺の足を止める言葉でもある。足を止めたら全体のバランスが崩れ、その目標に辿り着けない。そんなことになったら同じ目標を持つ人に申し訳ない。俺には無理をしてでも成し遂げたいことがある。それは……!」
孝弘はその先の言葉を言うことなく、やさしい表情で朋子を見つめる。
朋子は心でその先の言葉を受け取る。そして、微笑みを浮かべ、ピッチに立つ孝弘の姿が写された写真を見つめる。
「結婚前から話してたもんね。『優勝こそが最大の目標』って。チームの勝利をいつも最優先で考えてた。だからこそ、お父さんは……」
朋子はその先の言葉を言うことなく、ダイニングへ歩を進める。その途中で一度立ち止まる。
「『無理しないで』とは言わない。でも、これだけは言わせて」
「何だ?」
孝弘のやさしい声で再び写真を見つめ、朋子がこう続ける。
「膝、診てもらってね。心配だから」
そう続け、再び歩を進めた。
孝弘は朋子の言葉に頷くと、右掌を自身の右膝にやさしく当てる。
「そうだな……」
そして、軽く「ポン」と叩く。
「足を止めたくはないからな……!」
優勝という目標のために。
優勝の喜びを仲間、サポータと分かち合うために。
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