第五話 リーグ戦開幕
リーグ戦開幕前日の二月二十一日、孝弘は台府SCのホームスタジアムである台府スタジアムの監督室にいた。
「明日からリーグ戦。君はベンチスタート。後半のどこかで出したいとは思っている。いつ出番が来てもいいように準備しておいてほしい」
「はい!」
孝弘はそう応え、一礼。そして、監督室を出る。
ゆっくりとドアを閉め、ドアノブから右手を離す。
「ふぅ…」と息をつくと、視線を関係者出入口へと続く通路へ。
「新しいシーズンが始まる。クラブのために、関わってくださる方々のために…!」
右手に握り拳を作り、小さく頷く孝弘。
「よし…!」
自身に気合を入れるように言葉を発し、孝弘は歩を進めた。
午後五時過ぎに引っ越し先のマンションへ帰宅した孝弘。朋子と凜の姿はない。
二人は関東にいるため。
リビングの照明を点灯させ、机上の写真立てに飾られた一枚の写真を眺める。
朋子と凜が映った写真だ。
孝弘は右手で写真立てを取る。
「来月、待ってるからな…!」
写真を通して朋子と凜に言葉を掛ける孝弘。口元を緩め、小さく頷くと、写真立てを机上へ。
そして、照明を見つめる。
「クラブを優勝に…!」
その言葉と同時に、孝弘の携帯電話に朋子からメールが届いた。孝弘は微笑みながら文面を眺め、朋子へ返信。
-勿論だ!-と。
迎えた翌日。
朝五時十二分に目を覚ました孝弘はジャージに着替え、外へ出る。そして、まだ暗く肌寒い朝の道をジョギングで進む。
一年間戦える体力はある。そう自身に言い聞かせ、十字路を右へ曲がる孝弘。
しばらく進むと、公園が。孝弘は公園へと入り、ベンチに腰掛ける。
「途中出場でどれだけアピールできるか。この試合でのプレーが今後に影響してくる。百パーセント以上のパフォーマンスを発揮できるように準備しないとな…!」
小さく頷いた孝弘は目を閉じる。すると、瞼の裏に一人の人物の姿が。その人物は顔を僅かに俯け、目元を袖で拭っていた。
それからすぐに、孝弘は目を開ける。
「歓喜の涙に変えることができるよう、全力でボールを追いかけます…!」
そう言葉を発し、立ち上がる。そして、上空を見上げる。
「応援、よろしくお願いします…!」
空を通してその人物に言葉を贈り、孝弘はジョギングを再開した。
午前九時過ぎ。
孝弘は台府スタジアムのロッカールームへ。ドアを開けると、選手の気配はない。
孝弘が一番乗りだった。
着替えを済ませ、孝弘はピッチへ。目の前に広がるのは色鮮やかな人工芝のピッチ。視線を移すと、大型ビジョンとスタンド。
三百六十度見渡した孝弘は視線を正面へ。
同時に、熱気のようなものが孝弘の背中に伝わる。孝弘は口元を緩めると、目を閉じる。
すると、これまでに自身がピッチで耳にした歓声が頭の中で再生される。孝弘に大きな力を与えた歓声が。
歓声とともに、チャントが流れる。孝弘はそのリズムに乗るように、頭を動かす。
しばらくし、その動きを止め、目を開ける。試合開始を今か今かと待ちわびるその目は台府SC側ベンチを見つめる。
「よし…!」
孝弘はそう言葉を発し、ダッシュを始めた。
午前十一時。
開場時間となり、スタンドに観衆の姿が。その光景をロッカールームのモニターから眺める孝弘。
選手の名前を記したフラッグを掲げ、キックオフを今か今かと楽しみに待つサポーターの姿がモニターに映る。
その中に、孝弘の背番号である二十のアラビア数字が。サポーターが着用している選手ユニフォームだ。そのユニフォームを着用していたのは高校生と思われる少年。
「あれ、この子…!」
孝弘の隣でモニターを眺める佳史の言葉に孝弘が頷く。
「嬉しいな…!」
孝弘の表情に笑みが。
「勝利に繋がるプレーを…!」
孝弘は囁くように言葉を発し、引き続き、モニターを眺めた。
正午過ぎ、この日のスターティングメンバーに続いて、リザーブメンバーが発表された。
「MF、二十番、一ノ瀬孝弘」
スタジアムDJのアナウンスとともに、スタンドから割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こる。
「一ノ瀬!一ノ瀬!」
台府SCサポーターからの一ノ瀬コールが台府スタジアム内に響く。
ピッチへと続く通路に立つ孝弘の耳にもサポーターの声が届いていた。彼の隣に立つ佳史は微笑みながら一ノ瀬コールに耳を澄ませる。
「やっぱり凄いや、一ノ瀬さん」
佳史の言葉に孝弘は正面を見つめ、こう応える。
「まずは、期待に応えること。そこからだよ」
孝弘の言葉と同時に、台府SCの選手がロッカールームから続々と姿を現した。
十二時五十分。
両チームの選手がピッチへ。スターティングメンバーに続いて、リザーブメンバーが姿を現す。
孝弘が通路から出ると同時に、割れんばかりの歓声が台府スタジアムを包む。
ベンチ前に立った孝弘は観衆で埋まったスタンドを見渡す。
俺は幸せ者だ…。この歳になってもこうしてベンチに入ることができて…!そして、多くの声援をいただけて…!
孝弘は心でそう呟く。
そして、一時三分。
「ピーッ!」
ホイッスルと同時に、大きな歓声が沸き起こる。
台府SCの、そして、一ノ瀬孝弘の新たなシーズンが始まった。
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