第四話 キャンプイン

 一月二十日。この日から台府SCは九州でのキャンプを開始。練習前にこのシーズンから台府SCに加入した選手が一人ひとり挨拶をする。


 順々に挨拶が終了し、孝弘の番がやってきた。



「一ノ瀬孝弘です。四十という歳になりましたが、初心を忘れることなく、そして、クラブのために何ができるかを常に考えながらボールを追い続けます。こんな選手ですが、よろしくお願いします!」



 孝弘が頭を下げると同時に、大きな拍手が起こる。孝弘は頭を上げると、練習場の外に駆け付けた台府SCのサポーターに体を向け、深々と頭を下げた。




 この歳になった自分を受け入れてくれるクラブがある。そして、応援してくれるサポーターがいる。彼らのためにできることは……。




 孝弘の心がそう言うと同時に、練習場の外からサポーターの男性の声が響く。



 「絶対優勝だー!」



 すると、同じく練習場の外に立つ男性サポーターから声が上がる。


 孝弘は微笑みを浮かべ、しばらく彼らを見つめる。すると徐々に、孝弘の瞳の中ではメラメラと何かが滾る。


 これは、男性の一言がエネルギーとなって、孝弘の心身に注がれたからなのかもしれない。



 孝弘は目を閉じると、顔を正面に向ける。



 「勿論です……!」



 そして囁くように言葉を発すると同時に、再びサポーターから声が上がった。




 ランニングを終え、五対五の練習に入った。孝弘はディフェンス。目の前にはボールを右足で収める新島聡にいじまさとしが立ちはだかる。二十三歳のMFミッドフィールダーだ。


 聡は孝弘を注視しながら、二十一歳のMF、鹿取雄太かとりゆうたへショートパスを出す。そして、すぐにパスが聡の右足に収まる。その瞬間、聡はドリブル突破を試みる。



 抜いた!



 聡はそう思った。



 だがしかし――。




 「おお!」



 練習場の外で、どよめきに近い声起こる。


 サポーターの目には流れたボールを拾い、スタート位置に立つ佳史にパスを出す孝弘の姿が映る。



 孝弘はそのままオフェンスに回り、佳史からボールを受ける。そして、軽快な動きで聡と雄太をかわし、シュートのフォームを見せる。


 聡が孝弘を追いかける。


 聡の動きを察知したかのように孝弘はサポートへ回った佳史へショートパスを送る。そして、佳史はそのまま右足で押し込んだ。


 ゴールネットに吸い込まれたボールを見つめ、孝弘は小さく頷く。



 「良い感じに体が動いてる。これを続けていけるように……」



 自身にそう言い聞かせた孝弘は、すぐにディフェンスへと回った。




 

 午後二時過ぎ、キャンプ初日の練習を終え、孝弘はサポーターからのサインに応じる。


 一人ひとりに感謝の言葉を述べ、色紙やユニフォームへサインを記す。


 三十分ほどして全員へのサインが終了し、孝弘は練習場を出て、ホテルへと向かうバスに乗り込む。席へ着き、バッグを足元に置いた孝弘の目には自身の右膝が映る。


 手術痕の残った右膝だった。



 孝弘は三十八歳のシーズンに相手選手との激しい競り合いの中で右膝を負傷し、手術を受けた。


 孝弘はこれまでに試合でいくつもの傷を負ってきた。人工芝との摩擦で頬から出血したこともあった。くるぶしに相手選手のスパイクが直撃し、しばらく立てなくなることもあった。


 しかし、孝弘は不屈の精神で苦境を乗り越えてきた。


 そしてこの時に至る。



 バスは動き出す。孝弘は窓に映る手を振りながら見送るサポーターの姿を見つめ、る。


 

「一ノ瀬さん、うちのクラブに来てくれてありがとう!」


「このクラブを押し上げてくれ!」



 サポーターの熱い声援に孝弘は手を振り、こたえる。


 孝弘はサポーターの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。


 バスは練習場の敷地内を出て、信号機の前で停車する。同時に、孝弘の左隣の席に着く佳史が孝弘に言葉を掛ける。



「いい意味でスパースターらしくないですよね、一ノ瀬さん。自然体というか」



 孝弘は口元を緩め、佳史の目を見る。



「俺はスーパースターなんかじゃない。一人の人間。そして、一人のサッカー人だ。ひとシーズン活躍してもその翌年はどうなるか分からない。甘くない世界。その気持ちを持ちながら練習をこなし、試合でピッチに立っている。ピッチから離れたらただの四十のおじさんだ」



 孝弘は笑いを交え、そうこたえる。


 

 それからしばらくして、バスは交差点を右に曲がる。同時に、孝弘がこう続ける。



「そんな俺にできることは出場した試合で勝利に貢献する。そして、クラブを優勝へ近付ける」



 佳史は視線を動かすことなく孝弘を見つめる。




「試合に勝つ。そして、優勝するのみ。一人のサッカー人として」



 孝弘の続く言葉と同時に、バスは僅かに速度を上げ、直進する。



 練習場を出発してから数十分後にバスはホテルに到着し、選手が続々とバスから降りる。孝弘は最後にバスを降り、ホテルの自動ドアをくぐる。


 部屋の前に到着するとカードキーで鍵を開け、室内に入る。そして、バッグを机の横へ置くと、窓に映る外の景色を眺め、口を開く。


 

「俺に与えられた使命を果たす。勝利、優勝。最終節まで帯同できるように……!」



 孝弘はそう言葉を発し、右手に握り拳を作る。すると、孝弘の頭の中に多くの人物の姿が映る。


 孝弘は目を閉じると、心の中で彼らにあることを誓う。


 その数秒後にゆっくりと目を開ける。それからすぐ、孝弘は何かが背中を走る感覚を覚える。


 しかし、孝弘は振り向くことなく、正面を見据え、再び口を開く。



 「シーズンの最後に喜びを分かち合うために……!」



 力強く言葉を発すると、航空機がホテルの上空を通過する。


 まるで、孝弘の言葉を天に運ぶかのように。


 孝弘の言葉は天に届くだろうか。

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