第二話 このクラブを優勝に導いてくれませんか?
一月九日、午前十時四十五分。
スーツ姿の孝弘は新幹線で東北の地へ降り立った。
十分ほどして、ホテルの外観が孝弘の目に映る。更に進むと、一人のスーツ姿の男性の姿が。孝弘の姿に気付いた男性は軽く頭を下げ、歩み寄る。
「初めまして。私、台府SCで編成部長を務めております、
幸彦の後ろを歩く孝弘。
エレベーターの前へ立つと、幸彦が言う。
「まさか、一ノ瀬さんのようなスーパースターが我がクラブに来ていただけるとは思ってもいませんでした。今の我々には一ノ瀬さんのようなスター選手がいない。そして何より、経験豊富な選手が非常に少ない。だからこそ、一ノ瀬さんのような選手が必要なのです」
それからすぐに、エレベーターのドアが開く。二人はエレベーターへ乗り、五階へ上がる。
到着し、ドアが開く。
「こちらです」
再び、幸彦の後ろを歩く孝弘。しばらく進むと、幸彦はとある部屋のドアの前で止まる。
そして、ドアを二回ノック。するとしばらくして、一人の男性がドアの向こうから姿を現す。彼の姿を目にした瞬間、孝弘は思わず、直立不動になる。
「待ってたぞ」
ドアを開けた男性は微笑みながら孝弘に言葉を掛ける。孝弘は彼の姿を見て、どこか恐縮した表情を浮かべる。
「どうぞ、お入りください」
幸彦の言葉で何かが解れたように孝弘の表情が僅かに緩む。そして視線を幸彦へ。
「失礼します」
丸いテーブルを挟み、二人と向かい合う孝弘。彼の目の前には幸彦と台府SCの監督である
隆義は孝弘がプロ一年目に所属していたクラブの監督だった。
幸彦は「それでは」と前置きし、封筒から抜き取った数枚の書類を孝弘へ差し出す。
「こちらが契約書になります。契約期間、年俸等を明記しております」
孝弘は書類へ目を通す。
契約期間は一年間。年俸は一千万円。その金額に加えて、成績による出来高。そして、背番号はプロ三年目から付けていた二十。
この状況の孝弘にとっては十分すぎる契約だった。
孝弘は書面を眺めながら小さく数回頷く。
「こちらの内容にご納得いただけましたら、署名と捺印をお願いいたします」
幸彦の言葉からすぐにバッグから万年筆と印鑑を取り出す孝弘。そして、署名と捺印を済ませ、書類を幸彦へ。
幸彦は署名と捺印を確認し、書類の角を合わせ、封筒へ入れる。
「ありがとうございます。以上で終了となります」
幸彦の言葉に笑顔で頭を下げる孝弘。その姿を見て、隆義が口を開く。
「また俺の下でプレーしてくれること、とても嬉しく思う。若手が多いクラブ。フレッシュだが、逆に経験が少ない。お前のような選手は若手のお手本にもなる。是非、これまでの経験をこのクラブに落とし込んでほしい」
隆義の言葉に孝弘は力強く「はい」と応える。
その後しばらく言葉を交わし、孝弘は部屋を出た。
孝弘がホテルを出ると、小雪が舞っていた。まるで、孝弘の入団を歓迎するように。
幻想的な光景を目の前に、孝弘は気を引き締めるように小さく頷き、台府駅へと歩を進めた。
午後五時三十七分。
孝弘は自宅のマンションへ戻った。ドアを開けると、朋子が出迎える。
「おかえりなさい」
「ただいま。さっき、契約を終えてな。まあ、単年契約だ。でも、契約していただけるだけありがたいと思わないとな」
孝弘は靴を脱ぎ、寝室へバッグを置き、着替える。
リビングへ入ると、ソファに腰掛けていた凛が立ち上がり、孝弘の元へ。
「おかえり!」
「ただいま。凛、お父さんな、もう一年だけサッカーをするチャンスをいただいた。絶対活躍するぞ!」
孝弘の言葉に凛は笑顔を浮かべる。
孝弘は凛の頭に手を乗せる。同時に、ホテルでのある会話が頭の中で再生される。
「もし、今年でダメだと分かった時点で引退の連絡を入れさせていただきます。中途半端なプレーをお見せするわけにはいきませんから」
契約を済ませた孝弘は幸彦にそう話していた。
話を聞き、幸彦は。
「承知しました。ですが、一ノ瀬さん。我々からもお願いがあります。聞いていただけますか?」
孝弘は真剣な表情で小さく頷く。
隆義はじっと孝弘の目を見つめる。
「このクラブを優勝に導いてくれませんか?まだ、このクラブは一部リーグで優勝を経験したことがないんです。今の我々の夢。それは、一部リーグでの優勝。これまでそれを目標に手を尽くしてきましたが、なかなか上手くいかず…。そんなシーズンを繰り返していました。しかし今年、掲げてきた夢が現実味を帯びてきた。その根拠は一ノ瀬さんの入団」
台府SCは長年一部リーグで戦っているが、十八年前に一部リーグに昇格して以来、一度も優勝を果たせていなかった。
「一ノ瀬さんは若手へ積極的に指導を行なってきたというお話を伺っております。そして、指導を受けた選手が飛躍し、主力に成長した。我々は一ノ瀬さんのサッカーの技術だけでなく、そういった指導力も評価してオファーを出したんです」
試合に出場できなくとも、クラブに貢献する方法はある。
そう言うように、隆義は孝弘を見つめる。
「お力をお貸しください、一ノ瀬さん」
幸彦はそう続け、頭を下げる。
同時に、隆義も。
二人の姿を見つめ、孝弘は決意を固める。
「微力ながら、クラブのために尽力いたします」
そこで、孝弘の頭の中で流れていた映像は終了。
それからすぐに、朋子が孝弘に言葉を掛ける。
「謙虚に全力で」
背後から聞こえる朋子の声で振り向く孝弘。
「でしょ?」
笑顔の朋子。
彼女の表情を見た孝弘も笑顔を浮かべる。
「ああ!そして、クラブ、サポーターのために!」
孝弘の言葉に朋子は小さく頷く。
熱く、温かな心を持ったベテラン選手は新天地での活躍、そして、クラブを優勝に導くことを改めて誓った。
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