Full of scars ~傷だらけのスーパースター~

Wildvogel

第一話 一つのオファー

 「うちでプレーしてくれてありがとう、一ノ瀬いちのせ君」



 年末、クラブのオフィスの一室でスーツを身に纏った男性にそう言葉を掛けられ、彼の正面に立つ一人のプロサッカー選手は頭を下げる。



 「こんな私を置いてくださって、本当にありがとうございました」



 お礼を伝えるとドアを開け、部屋を出た。




 一ノ瀬孝弘いちのせたかひろ。この年、四十歳。彼は高校卒業後にプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。


 入団二年目からレギュラーとして活躍し、二十三歳で高校時代から交際していた同級生の女性と結婚。二十六歳になった年から海外でプレーし、その年に日本代表に選出された。


 三十五歳で帰国し、国内プロリーグでプレー。彼のプレーは多くの観衆の目を引いた。


 順調に見えた帰国後のサッカー人生だったが、三十八歳の年に怪我をしてしまい、シーズンの半分をリハビリに費やした。


 半年ほどして復帰したが、若手の台頭で出場機会はほとんどなくなった。


 翌シーズンは一試合もピッチに立つことはなかった。


 そして、その年の年末に、孝弘は契約満了を告げられた。




 オフィスを出た孝弘は小雪が舞う十二月の空を眺める。


 四十歳。


 この歳までプレーできるサッカー選手はほんの一握り。多くの選手は二十代でユニフォームを脱ぐ。


 そろそろ潮時か。


 そんな思いが彼の頭の中を駆け巡る。

 

 一つ息をつき、孝弘は道を進む。


 するとしばらくして、孝弘は覚悟を決めたように小さく頷く。



 一月中にオファーがなかったら引退しよう。




 年は明け、一月六日。


 

 孝弘はとある屋内サッカー場で練習をしていた。



 「まだ現役でプレーできる力は残っている」



 自身にそう言い聞かせる孝弘。


 ドリブル、そして右足を振り抜く。ボールはゴールネット中央に吸い込まれた。


 バウンドするボールを見つめ、孝弘は頷く。



 俺はまだ現役でできる…!



 心がそう言葉を発する。


 

 孝弘はボールを拾うと、バッグへとしまう。そして、屋内サッカー場を出ようとした。


 その時、孝弘の携帯電話の着信音が流れる。



 「電話だ…」



 孝弘はバッグから携帯電話を取り出し、画面を開く。そこに映ったのは見知らぬ番号。


 

 「誰だろう…」



 一瞬出ることを躊躇ためらったが、孝弘は画面をタップし、応答。



 「もしもし」



 孝弘の言葉からすぐに、電話の相手が応える。



 「一ノ瀬孝弘さんの携帯番号でお間違いないでしょうか?」



 孝弘は「はい」と答えると、電話の相手はほっとしたような言葉を発し、こう続ける。



 「私、台府SCだいふえすしー編成部、塚原健太つかはらけんたと申します」



 この言葉と同時に、孝弘は持ち歩いているボールペンとメモ用紙をバッグから取り出す。


 

 「お伺いしたいのですが、他のクラブさんからお話は?」



 健太が問う。



 「まだありません」



 間を置くことなく、孝弘は答える。



 すると、電話の向こうから書類を捲るような音が孝弘の耳に届く。それからすぐに、健太の声が。



 「実は、今回ご連絡させていただいたのは、あなたをスカウトしたくて。色々調査をさせていただき、大丈夫という判断に至りました。もしよろしければ、我々のクラブでプレーしませんか?」



 この言葉と同時に、孝弘の頭の中に二人の人物の顔が浮かぶ。


 しばらくの沈黙があり、健太が言葉を繋ぐ。



 「ご家族のこともあり、即答するのは難しいと思います。しかし、一ノ瀬さんとご家族の方にできるだけ安心していただける環境づくりに努めてまいります」



その言葉で孝弘は目を開ける。



 「結論を急ぐ必要はありません。今月末までご返答をお待ちしております。こちらの電話番号にご連絡ください。お話にお付き合いいただき、ありがとうございました。それでは失礼いたします」


 「失礼します」



 電話が切れたことを確認し、孝弘は画面をタップ。そして、壁紙に設定した自身の妻と一人娘が映っている写真を見つめる。



 「まずは相談しないと…」



 孝弘は携帯電話をバッグへとしまい、屋内サッカー場を出た。




 午後四時過ぎ、自宅のマンションへ戻った孝弘を妻の朋子ともこと十二歳になる小学六年生の娘のりんが出迎える。


 孝弘は玄関で靴を脱ぐと、真剣な表情で二人に言う。



 「ちょっと、話に付き合ってくれないか?」



 三人はリビングのソファに腰掛ける。



 

 「どうしたの?お父さん」



 凛が心配そうに尋ねる。


 

 「まさか…」



 朋子のその先の言葉を察知した孝弘は「そういうことじゃないんだ」と応える。


 朋子と凛は「ほっ」と息をつく。


 孝弘は少しの間を挟み、話し始める。



 「実はさっき、台府SCさんからオファーをいただいたんだ。こんな俺を欲しいと。これも何かの縁。俺はこのオファーを受けたい。だが、それには二人の意見を聞かなくてはいけない。凜の学校のこともある。それも含めて話し合いたいんだ」



 三人はこの時、関東在住。台府SCは東北に拠点を置く。新幹線で一本だが、関東のマンションから試合会場と練習場に通うとなると、孝弘の体に負担が掛かる。


 孝弘はもしもの場合、単身赴任を考えていた。


 二人を真剣な眼差しで見つめる孝弘。


 沈黙とともに時間は経過し、あっという間に四時四十分過ぎ。


 その時、沈黙を打ち破るように凛の声が。



 「行くよ。私達も」



 朋子は凛の横顔を見つめる。


 孝弘は凛の目をじっと見つめる。



 「だって、お父さんがサッカーを続けることができるんでしょ?それだけでいいよ」



 朋子は目を閉じる。


 孝弘は凛から視線を逸らさず、尋ねる。



 「いいんだな?」


 

 凛は。



 「うん」



 間を置くことなくそう答えた。



 朋子は目を開け、視線を孝弘へ。


 そして、小さく頷く。



 「中学校を探すわ」



 そう言い残し、朋子は腰を上げる。


 孝弘は彼女の背中を見つめ、感謝の言葉を述べる。


 それからすぐ、視線を凜へ。



 「凛、お前の気持ちは決して無駄にしない。絶対活躍するからな…!」



 孝弘も腰を上げる。そして、バッグから携帯電話を取り出し、塚原へ連絡を入れた。



 「台府SCさんでお世話になります」

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