第2話


 みゅう……



 寝台に寝そべって、明るい朝の光の中、自分の側で眠っている孫策のあどけない寝顔を、じっと優しい表情で飽きることなく眺めていた周瑜は、寝所に響いた猫のような声にくすっ、と笑った。

 冷たい石の床を、子虎が半分開いたままの扉を避けて入って来て、寝台の側の絨毯の所まで来て、そこにしゃがみ込んだ。

 エサはきちんと決められた時間にやっているので、これは遊んで欲しい時の声なのだ。

 最近朝方、ここに来るようになった。

 冬で、外は寒いので、最近烈火は城の中で遊ばせている。

 他の季節は庭にいて、元気いっぱい走り回っていたので、多分遊び足りないのだと思う。

 庭で遊ばせてる時は、遊び疲れて庭先で眠っているのを、緋湧が回収して来てくれて、変な時間に起きて来ることは無かった。

 ぱちりと開いた大きな黄金色の瞳で寝台の上の周瑜を見上げ、みゅうみゅうと鳴き始めた。


「……だめだぞ、烈火。静かにするんだ」


 周瑜は孫策を起こさないようにゆっくりと身を起こすと、毛布に包まってから、しなやかな脚を寝台から下ろした。

 みゅ……、

 周瑜が歩み寄って、静かに上から手で制止して見せると、鳴き続けていた子虎はぴたりと鳴き止んだ。

「よし、いい子だ」

 周瑜は烈火を撫でてやると、胸に抱き上げてやる。

「さぁ、おいで。朝の支度を整えたら、私が遊んであげよう。

 ここはダメだ。

 伯符がまだ眠っているからな……」

 静かな声で囁いて、聞かせている。

「昨日また黄蓋殿達に随分飲まされたらしい。

 伯符は自分の飲みたいように飲んでれば、酒も強いし酔い潰れたりしないんだけれど、相手に飲まされるとあまり強くない。

 黄蓋殿と甘寧が揃うと必ず飲み比べになるんだから……」

 烈火に聞かせながら、周瑜はゆっくりと寝所から出て行く。

「目が覚めたら伯符がきっと遊んでくれるから。寝室に入って来てはダメだぞ」

 目が完全に覚めていたわけではない。

 意識がなんとなく、曖昧に起きているだけだ。

 それでも周瑜の優しい声が、烈火に言い聞かせてるのが分かって、孫策は目を閉じたまま唇を微笑ませた。

 


 


◇ ◇ ◇



「周瑜様。おはようございます」



 寝所を出て、二つほど部屋を過ぎると、次の間で玉蘭ぎょくらんが花を生け替えていた。

「おはよう玉蘭。ああ、花をありがとう」

「はい。あら、またここに?」

 周瑜の腕にひっくり返って抱かれている烈火に、玉蘭は小首を傾げる。

「この子どーやってここに入って来るのかしら……。

 そこの扉も今私が入って来るまでずっと閉まってたんですよ。

 となると、どう考えても回廊の方からね……。

 けど、この子が通れるような道は、夜の間は閉まっているんですけれど」

「朝方に来るから、多分朝の支度で開いたどこからか入って来てるんだろうな。

 烈火。秘密の抜け道を見つけたのか?」

 仰向けの体勢で、ふわ~と大きな欠伸をしている。

 二人は笑った。

「悪いけど。少しの間預かってくれるか? 湯を浴びて、着替えを済ませて来る」

「はい。かしこまりました」

 玉蘭は微笑むと、花を入れて来た壺を差し出した。

 彼女は虎が怖いので触れないのである。

 あと猫も、爪で衣装をひっかくので嫌いらしい。

 それでもここには色んな動物がいるのに、玉蘭は世話を頼まれるときちんとやってくれる。

「もう一月もすれば暖かくなって来る。

 そうすれば動物たちは庭に出せるからな。きっと遊び足りないということも無くなると思うよ」

 そうだといいのですけれど……、と玉蘭は溜め息をついて、壺に入れられまたみゅうみゅう鳴き始めた子虎を外に連れ出した。

「いつになったらもっと強そうに鳴けるようになるんだろうな」

 部屋続きに移動すると、湯殿がある。

 湯はすでに用意されていて、周瑜が入る時は玉蘭が世話をする。

 周瑜は虎の世話を彼女に任せたので、こういう時は一人で湯浴みを済ませる。

 王ともなると湯浴みをするにも、大勢引き連れて世話をさせる慣例があるが、孫策はそういった無意味な慣習を嫌い、封じていた。

 周瑜も堅苦しいことは好きではなかったので、この朝の空気の中、一人で湯を浴びれるのは嬉しい。

 今沸かされ、溜められたばかりの温かな湯を全身に掛け、浴槽に浸かる。

 窓は開閉出来る作りになっていて、朝陽の中で湯を浴びることが好きな周瑜の為に、玉蘭が開けてくれていた。

 浴槽の中で身体を温め、足は伸ばし、自分の二の腕を抱えるようにして目を閉じ、ここで今日するべきことを頭の中で整理することが、周瑜の日課だ。


 今日は午前中に三つほど、客があった。

 全て周瑜だけで会う公務だ。孫策は夕刻に軍議があったはずだが、差し迫った内容のものではないし、各戦線、各砦の定期報告に留まるだろう。

 ということは、孫策はまだ当分、ゆっくり眠らせておいてあげられる。

 周瑜はそこまで考え、湯から上がった。

 身体を拭き、長い髪を拭き、今は適当に頭の上に結い上げた。

 これはあとで玉蘭に結ってもらうのだ。

 身に纏うのも今は部屋着である。

 平服の女衣を広げ、身に纏おうとして、周瑜は湯殿の飾りに置かれた硝子に、自分の身体が映っているのを見た。

 じっ、と数秒自分の裸体を見つめた周瑜は、ふと思い立ったことがあった。

 今日の公務は午前中で終わる。

 あとは時間が出来るだろう。

 明日も用事はあるが、少し動かせないか考えてみようと思ったのである。






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