あれもほしい、これもほしい、もっともっとほしい


人の欲望というのは尽きないもので、おそらく何を持っていても不満だけはいつでも持てるようになっているんじゃない? 不満だけは呪われた装備のように外れず、際限なく膨らんでくる。それ以外の装飾品によって一時的に抑え込まれるけど、また膨らんできて、抑え込む。それの繰り返し。


最近、サイバーパンク・エッジランナーズというアニメを見ている。高度に発達した社会。電脳化、人体改造当たり前の世界の中で生きるエッジランナーズたち。その名の通り、社会を作る組織・企業に対し、社会の片隅、社会からこぼれ落ちるギリギリの縁(エッジ)で生きる若者のお話。もちろん、崖っぷちからこぼれるイコール死です。概要は以下。


https://www.cyberpunk.net/ja/edgerunners


第一話からこれぞサイバーパンクって感じで弱肉強食の世界で強者と社会に翻弄され、なにも持ってないのに、根こそぎ奪われる厳しい現実が描写されるんだけど、これフィクションと思えないのよね。持つものと持たざるもののギャップが大きいという意味で。とにかく、話はめちゃくちゃおもしろいから見て。どう生きるかじゃなくて、どう死ぬかって話。


僕は何もかも欲しいんだけど、一番欲しいのは経験だった。昔から周りの人には良い子と言われて来たが、それは癇癪を起こさず、おとなしい手のかからない子だっただけだ。親以外の周りの大人の褒め言葉はずっとそうだった。小中高は公立、大学は地元の国立。塾にいかなくても成績はぼちぼちだし、問題も起こさず課題を出すから、評価は全教科5か優があたりまえで、内申は満点。でも、それだけ。


エピソードで褒められたことないんだよ。何もないから褒められるんだよな。何もしないってのは案外難しいみたい。


薄々気付いていたけど、働いて、友達の結婚、子育ての話を聞いて、海外駐在で他の家庭を見て、自分の家の特殊性を目の当たりにした。こんなに旅行とか行くんだ。塾とか習い事をするんだ。両親が揃って面倒見てくれるんだ。親が毎日怒鳴りあわないんだ。家族揃ってご飯食べても空気がピリつかないんだ。買いたいものを買ってって言えるんだ。甘えられるんだ。


僕は一人で生きる才能がある。エッジに立っていても、たった一人の親が死んでも、お金がなくても、自分で組織に潜り込んでどうにかできるだけの能力があった。だから、それを持たない人じゃなくて良かった、っていう傲慢さを持ち合わせている。でも、僕が持っていないのは今更持てるものじゃない。両親がいるとか、子どもの頃の経験とか。青春とか。


だから、僕は嫉妬している。それらも含めて欲しいと思っている。完全に青春コンプレックスであって、どうしようもないんだけど、羨ましいって思ってしまう。今の外面だけ見たら、そんな人だと思われないけど、そうして騙されてくれる人が多い事自体は嬉しい。僕が意図してそう見せているから、思い通りになってにまにまできる。ただそれは努力の結果であって、手放しで「育ちが良かったんですね」って言われると複雑な気持ちになる。努力を全否定されてるようで。何を知ってるんだよ。くそが。って思ってる。ニコニコしながら。


でも、それで良いんだよな。もう手に入らないんだから、あとはどう死ぬかだけなんだよ。あのとき童貞じゃなかったらとかよく考えるけど、こうなっちゃったのは全部自分の選択だし、多分、僕が僕である限り無理なんだよな。


分かってんだよな。

でも、ほしいんだよ。もっと欲しかった。

いつまでも、ずっと、この欲望はくすぶって僕は死んでいくんだと思う。

それを笑ってくれる人がいたら幸せだな。

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