2 おちこみ と よりみち
つつがなく過ごすウルラス学園での学生生活。
その日の放課後、帰り道。
「へぅー…………」
クオは気弱な溜息を足元に落として歩いている。
「おやおや、クオったらそんな落ち込むことじゃないのにさ」
弱々しい足取りのクオの腕を、ルカがぎゅっと抱いた。
「ロイドなんてガミガミ言うことが仕事だと思ってるヤツでしょ。大したことないって」
「ふぇう……ですが『生徒たるものの基盤がなっていない』と宣告されてしまい、」
「それこそ気にしちゃダメだってー」
しょんぼりしたクオの声を、ルカは明るく笑い飛ばす。
「難しい質問をクオにきっちり答えられて悔しかっただけじゃない。つまんない捨て台詞みたいなもんだよ」
「そ……そうでしょうか」
「そうそう。なんか美味しいもの食べて忘れよー。クオのほっぺたくらいフカフカのやつ」
「う、ふゃ…………」
頬をつつきながらのルカの励ましに、クオは少し視線を上げる。
──この日の授業の締めくくりは、学園きっての堅物教員ロイド・フラーグラムによる言語学だった。
王室好きのロイドによる言語学は王国史を絡めた内容になりがちだ。軍人のような詰問口調で生徒に投げかける質問はやたら複雑。
しかも生徒が「わかりません」と言うや「なっとらん」と怒鳴るばかり。
高圧的で融通の利かない「嫌な大人」
女子だけの学び舎であるウルラス学園の生徒たちにはすっかり嫌われている。
いつぞや授業中のおしゃべりを注意されたことがきっかけで、クオはロイドに目をつけられていた。今日も難解な質問をぶつけられており──
『第十五代
『わ……っ、は、はい。烈火帝時代は
クオは特殊部隊〈魔女狩り〉を率いる上官の意向で並み以上の知識を備えている。
あわあわと立ち上がりつつも、淀みなく正確に回答していくと。
『なんだその過不足のない回答はぁああッ!』
ロイドはバァン、と教卓に両手を叩きつけ怒鳴り出した。
『ひぃえええ……っ』
突然の大声に腰を抜かしたクオは椅子にへたり込んでしまう。
『クオ・アシュフィールド! まったくお前というやつは授業の何たるかをまったく理解もせず、判で押したようなつまらん回答ばかりしおって!』
ロイドの発言に、教室中の生徒が一斉に「はあ?」という顔になる。
正確に答えなければ「なっとらん」と怒鳴るくせに、答えたら答えたで理不尽な説教ときたものだ。
(もうやだこいつ……)
しかし当のロイドはそんな教室の女子生徒一同のげんなりした反応など目もくれない。
指令を下す上官のように大げさに腕を振り回しながら、
『優れた授業とは生徒と教員の問答の応酬で成り立つのだッ! お前の答えだと問答のラリーが成立しないだろうがッ!』
『……ひ、ひゃい……』
『つまりこれでは優れた授業が行えないということだッ!』
ドォン、と拳を教卓に叩きつける。あまりのうるささに全員が顔をしかめる。
静まり返る教室を見回したロイドは、そこである生徒の気配に気づいて指を差した。
『ムッ、なんだその目は! ノエル・コートニー!』
『…………』
無言でロイドを見ていたのは、すらりとした長身に
軍にいた経歴と凛々しい
『……いえ。授業中ですので集中していただけです』
簡潔で冷静な一声が教室に響く。ロイドは水でも浴びせられたように
『ぐ……ぬ…………っ』
思わず
『クオ・アシュフィールド! とにかくお前は生徒たるものの基盤がなっていないッ! 次の授業までにその態度を改めるようにッ!』
そう言い放つと、ロイドは授業時間がまだ残っているのに乱暴な足取りで教室を去ってしまった。
『…………はあー?』
教室が静かになった途端、誰からともなく
『マジで何言ってんのアイツ』『もうやだーロイド先生きらいなんだけどー』『どんどん無茶苦茶になってってない?』『でもノエルさん、かっこよかったぁっ』
教室の平穏が取り戻され、わいわいと賑わう女子たち。
『…………』
その中でノエルは無言のままだった。
軍人たるもの、上官に意見することは許されない──そんな難しい表情をしている。
クラスメイトはノエルの素性について「元軍人」と知り及んでいるので、少女らしからぬ様子も「カッコイイ」の一言でまとめているのだが。
実は彼女もクオと同じ〈魔女狩り〉に所属する現役の特殊部隊員だ。
素性を隠し、クオと同じ教室に同じ制服姿で学園に在籍している理由とは──
『普通の生徒』として特務中のクオのことを監視するためだ。
そんなノエルは、お昼休みに生徒で
ノエルがちらりと教室の後方に目をやると。
『……ひぅ…………生徒としての……態度、とは…………』
ロイドの横暴から解放されクラスメイトが気楽な顔をしているなかで。
クオだけがひとり、ロイドからの言葉を真に受けて落ち込んでいるのだった。
「じゃあ今度ロイドが滅茶苦茶なこと言ってクオを怒鳴ったら、ぼくが暴れちゃおっかな」
「……ふぇう⁉」
落ち込むクオの横顔を見つめていたルカが、ぼそりと物騒なことを言って来た。
「さっきは我慢してたけどさ、やっぱりあいつはダメなヤツだよ。クラスのみんなもそう言ってたし、いいでしょ」
「わ、わわわわ、だめですよっ、ルカっ」
クオはたちまち慌てふためく。
「ロイド先生は学園の教員で、授業を通してわたしたちのことを指導する立場ですからっ。上官の指摘には部下が応える必要がありますのでっ」
「そんなものないよ」
ルカはあっさりと言い切り、
「クオ、きみは愚かだね」
きょとんとするクオへ薄い笑みを寄せる。
「ロイドはただの教員できみの上官じゃないでしょ。なんでも言うこと聞く必要なんてないんだよ。あいつは無茶苦茶で理不尽で横暴な、ただの嫌われ者さ」
「ひょわ……る、ルカ、けっこう手厳しい、ような……」
「でもそっか、きみもノエルも立場的にロイドのことを上官と捉えているのか。それで言い返したりはしないんだね。
やれやれ、真面目なんだから二人とも。その気になればロイドなんて三秒でこてんぱんにできるでしょ」
「こて……っ、そっ、そんなことしたらだめですよっ」
「ええー、残念だなあ。ぼくが強かったら、あんなやつ『ヒョイッ』ってしたいのにさ」
「ひょいもだめですっ」
ルカの軽口を律儀にいさめるクオ。
「と、とにかくえと、次の授業までに生徒としての基盤を……へぅ、でも基盤ってなんでしょうか……うぅ……普通の生徒は、やっぱり難しいです」
「あーあ、クオが落ち込まないようになんとかしたいなあ」
それは。
なんということのない軽い口調で。
願うように切ない呟きだった。
クオは思わずルカを見つめる。
「……? ルカ、すみませんあの、そんなに心配させてしまいましたか?」
「んー、心配っていうか、」
ルカはクオの肩に頬をくっつけたまま、呟いた。
「ぼくはきみが好きなんだよ」
「……」
「だからなんとかしたいなーって思ってるだけなんだ」
クオは何も言えずに、腕にくっつくルカを見つめる。
──それは文化祭でルカがクオに告げてくれた言葉だった。
『ぼく、そんなきみが好きだよ』
その言葉にクオのなかで不思議な感覚が芽生えた。
──わたしは、ルカのあの言葉が嬉しかったんです。今も、ずっと。
嬉しい。ともだちのルカに好きと言われて。
楽しいことを、一緒に分かち合いたい。
何かあったとき、力になりたい。
ルカは、大切な、ともだち。
そんなルカからの「好き」という言葉が嬉しかった。
けれど時折苦しくなってしまう。
ルカが誰かに触れているとき。ルカが自分ではない誰かに笑顔を見せたとき。
それは魔女のルカが人と平穏に生きている証だ。
とても喜ぶべき光景なのに。
ルカが触れたり、笑顔を向けているのが自分ではないときに。
胸が痛くなってしまう。
なにか自分は間違っているのだろうか。
あるべき感覚から自分がずれてしまっているような気がして、落ち着かない。
だけど正解が判らない。
「ともだち」ができたことも「好き」と言われたことも。
クオにとっては初めてだから──
「──あ、あのっ、ルカっ」
自分の落ち着かない心地は一度思考の端にやると、クオは声を張った。
「心配をかけてしまってすみません、あの、わたしはもう落ち込んでないので、その──」
きょろきょろと辺りを見回し、
「そっ、そこに料亭がありますっ、ので、よりみちでもしませんかっ」
クオが指差した先にあるのは、お皿に丸っこい料理を乗せた看板が目印の料亭だった。
〈黒バーグ亭〉
素朴な手書きで店名が添えられている。
看板の真ん中を占める料理が、黒くてまるい。
だからクオの目に留まったのだろうか。
(おこげちゃん、みたいです……)
おこげちゃん。それは戦場にいたころからひとりぼっちだったクオの心を励ましていた「クオの心のなかだけのおともだち」──いわゆるイマジナリーフレンドだ。
黒くて丸くて〈がんばれ~〉〈すご~い〉など肯定的なことだけを言って励ましてくれる……とはいってもクオが心中で裏声を使って自作自演しているだけなのだが。
ここ最近、ひとりの時間が減ってクオの中での登場頻度はめっきり減ってしまったものの、こうして無意識のうちに黒くて丸っこいものを選んでしまうのは、やはり今も自分の心の
そんなクオの内心はさておき。
「ディナーは五時過ぎから──あ、ちょうどオープンしたばかりみたいですっ」
「わーい、もう良い匂いがしてくるねー」
ルカを連れて、クオは料亭の扉を開けた。
「こ、こんにちは、失礼します……っ」
「お腹へったよー」
と、二人して店内に足を踏み入れたその瞬間。
「あ──」クオが少しだけ頭を横にずらす。
「……ん?」ルカが気付くよりも早く。
ごづん
クオの顔面で鈍い音が鳴った。
足元に、重たいものが落ちて転がり、
「ふきゅー……」
ゆっくり
「わあっ、クオっ⁉」
ルカが声をあげてクオを抱き起す。
「クオっ、クオっ、大丈夫っ? 大丈夫なのっ? しっかり、」
「ふぇ……ふぇいき……平気、です」
入店した瞬間なにやら
偶然ぶつかった、という体裁のためにも尻餅をついてこけたフリも
足元に目をやると、重たい塊が転がっていた。
ガラス製でお皿とは違う形状の器。
灰皿──だろうか。
「閉店だ、雑魚はすっこんでな!」
目を
そこに立っていたのは、三人の大柄な男と──
「フザけるなッ、出てくのはお前らだろうがッ!」
その大男たちに向かって一喝を浴びせる大柄の女性がいた。
コック帽に白エプロン姿で、手には巨大な包丁を握りしめている。
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