1 夢うつつ と 記憶

 クオは声を感じ取った。


「────」


 視界は閉ざされている。まぶた越しのうすらぼんやりした光だけがわかる。


 なんとなく──温かいものに包まれている気がした。


 大きなものに、抱かれている。


 その両腕のなかにクオは収まっていた。「今のわたし」の身体はとても小さい。


 目も開かない、立ち上がれない、しゃべれない──「わたし」はとても頼りなかった。


 生まれ落ちたばかりの、赤ん坊くらい。


 もろくてはかない者を守るようにその両腕はクオのことを抱いている。


 ──やわらかくて、ここちいい。


 自分をふところに抱いている者の鼓動が耳を震わせる。

 心臓の音。

 とても安らぎを覚える音だった。


 ──ずっとこうしていたい。


 そんな思いに満たされる。


 ほう、と温かい風がかかる。クオを抱いている者からの、深く静かな吐息だった。


 目が見えなくても、なぜかクオには判った。


 腕の中で眠るクオを抱く存在の、満ち足りた微笑みの気配が。そして。



「わたしは  きっと  おまえを  愛する」



 慈愛に満ちた声音。

 それは震えるほど、泣きたくなるほど、なつかかしいもので──






「…………」


 クオは目を覚ました。


 鮮明な声はまだ耳元に残っている。


 ぼんやりした視界のなかで何度かまばたきを繰り返した。


 ──あれは、誰だったのだろう?


 記憶力に不備はないはずなのに。

 声の主が思い出せない。

 ただ懐かしさがある。


(どこかで……わたしはあの声をいたことが……?)


 と。記憶を手繰たぐろうとしたところで。


 クオは今、自分のことを包み込んでいる者に気付く。


「…………ふぇうっ⁉」


 クオは思わず声をあげる。


 就寝時間の自室、自分の寝床で寄り添うように眠っていたのは──ルカだったのだ。


 白に微かな黒を混ぜた薄墨うすずみ色の長い髪が、身動きしたクオの鼻先をくすぐる。

 一人用のベッドをものともしない細身で、クオの顔を自分の胸元に包み込んですやすやと寝息をたてていた。


 クオは思わず顔をあげた。


「る、るるるるるルカっ? あ、わわわわあわわ、なぜ、どうしてっわたしの寝床に──」


「…………んー……?」


 あたふたするクオの気配に、ルカが寝惚ねぼけまなこをうっすら開く。


「クオー? 起きちゃったの? まだ時間じゃないでしょ。もうちょっと寝よー」


 とろんとした声とともに、ぎゅっとクオを抱き寄せる。


「ふにゃ」とクオはルカの腕のなかへ。その胸元に顔を埋められる。薄い身体越しの鼓動がはっきりと聴き取れるほどだった。


 夢で聞いた音に通じる、しかし少し別の音。


 やはりあの夢で耳にした声には憶えがある。ずっと昔、聴いたことが──?


 いや、今はそれより。


「る、ルカあの、いつのまにわたしの寝床に来たんですかっ? 寝る時は別だったのに、」

「なんだか眠れなくてさー。夜中にこっそり忍び込んじゃった」

「そ、そんな……っ、あれでも、眠る前にわたし部屋の施錠はしたはずで、」

「ぷふ」


 腕のなかでまだ驚いているクオの反応に、ルカはきだした。


「クオったら。そんなのぼくには意味ないもん」


 腕をゆるめ、薄い笑みでクオの顔をのぞき込む。


「ぼくは魔女だからね。隙間があれば体を霧散させて忍び込むなんて朝飯前……この場合はおやすみ前って言うのかな」


「ふぇ」


 さらりと口にされて、クオは思わずへんな声を零れ落とす。


 有史以来、人智を越えた魔力でもって人類を脅かしてきた種族──魔女。

 存亡を懸けた戦いの果てに、先の戦争で終に滅ぼした人類の天敵。


 それがルカの正体だ。


 だがルカは早々に戦場から身を引き、同類とも関わらず千年近く生き延びてきた変わり者だ。魔女が滅び戦争が終わったのを機に「ヒトにまぎれて生きる」ことを選んだ。


 クオはルカが魔女であることを知り、その秘密を守っている。


 というのも──


「ぼくはともかく、きみの方が問題なんじゃないかな、クオ」


「へゃ、問題? わ、わたしの?」


 きょとんとするクオへ、ルカは薄い笑みにいたずらっぽいものを含ませた。


「きみは〈魔女狩まじょがり〉最強の軍人さんでしょ。

 ぼくみたいな魔女が寝床に忍び込んで添い寝してるのに、フカフカ眠って抱き枕にされちゃうなんてさ。すきだらけじゃないか」


「ふぇう、そ、それはたしかに、わたしの不覚のいたすところで……」


「相変わらず堅っ苦しいなあ」


「あ、ですがあの、今は軍人とは違う立場ですからっ」

 動揺露わにしつつも、クオは弁明する。


「今は特殊任務のもと『普通の生徒』として学園に通っておりますので、」


 王国軍特殊部隊〈魔女狩り〉に属するクオは今、特殊任務のさなかにいる。それは──


『〈魔女狩り〉の力を使わず、正体も隠したまま普通の生徒として学園に通うこと。』


 クオは先の戦争で数多の魔女を討ちたおし、軍部でも〈魔女狩りの魔女〉と呼ばれる最強の兵士だった。


 兵器にも匹敵する戦力が危惧されたため、戦後その「安全性」を証明するべく学生としてこの少し変わった特殊任務に取り組んでいる。


 極度の人見知りであるクオにとって、人との関わりが不可欠の学生生活は魔女相手の戦闘以上に過酷な状況だ。


 クオが学園に編入してからのおよそ二か月──軍幹部の謀反むほん騒動や文化祭などを経て、今も特務は継続しているのだった。


「えとその、普通の生徒なので、ともだち相手なら隙があっても問題ないかと、」

「ふうん。じゃあぼくも遠慮なくフカフカしよーっと」

「ふゃうっ、わわ、でもルカっ、寮では個別に就寝するよう言われてますのでっ」

「ちぇー、だよ。クオったら真面目すぎるんだから」

「あ、ですがルカに気付けず眠ってしまったのも事実なので、厳重に受け止め──」

「そんなのいいってー。ぼくに油断してくれたってことでしょ?」

 クオったら……きみは愚かなんだから」


 ルカはどこか嬉しそうだった。


「〈魔女狩り〉なのに、魔女ぼくふところで眠ってくれるなんてさ」


 魔女の生き残りであるルカと。

〈魔女狩り〉の軍人であるクオ。


 ふたりは戦後、女子校のウルラス学園で出会い、お互いの正体を偶然知り合った。

 そこで本当の素性を秘密にしたまま学園生活を過ごすことを約束したのだ。


 ともだちとして。


 互いの秘密を守り合う、共犯関係を築いている。


 今となってはともだちになったのが先か、共犯となったのが先かあやふやだが。


 クオにとって確かなのは──

 ルカは大切なともだちということだ。


「あ……そろそろ起きる時間になりますよ、ルカ」


 あらためて自分を抱き寄せて眠ろうとするルカの胸元で、もごもごとクオがつぶやくと。


「うーん。まだ眠いよーあと三時間ー」


 ルカが足を使ってクオの身体に巻きつきだす。


「ふわわわ、それだと遅刻しちゃいます、のでっ」


 ベッドの上で転げながら、クオは柔らかくて暖かいルカの感触にくるまれる。





 ────あの夢はなんだったのだろう。


 夢にしては鮮明で、今もあの声は耳の奥に残っている。


 あれは夢ではなくて。

 自分にとって遠い昔の記憶なのでは──?



 そんな思いを過らせながらも。


 クオはきちんと時間通りに起床して、ルカとともに町にある寮から学園に通う。


 今日も普通の生徒としての日常、いや、特殊任務が始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る