18 切なさの共感 と ひそやかな決意

 ノエルがすらりと剣を抜く。


「すべて偽りだったのだな──この邪悪な妖精め!」


 まっすぐな声が、凛とした騎士の佇まいをいっそう際立てる。


 相対するルカは、その光を呑み込むように真っ黒なドレスをさっと広げた。


「そうさその通り。愚かな騎士め。面白いくらいに騙されたなあ! 楽しかったぞ~」


「おのれ──覚悟!」


 ノエルは軽やかなステップとともに剣を振るった。踊るような動きが舞台の華と化す。


 右へ左へ、単純に避けるルカの間隙かんげきを狙う絶妙な剣さばき。


 わあ、と舞台の周りで感嘆が零れた。


 そしてついに、身を翻したルカに向かってノエルは剣を振り下ろす。


「正義のもとに、滅びるがいい!」


 びゅん、と唸りを上げた刃の閃きが、ルカを裂くように振り下ろされた。


「うーっ」


 呻き声ひとつ、身体を押さえてルカが倒れる。と。


「わああっ! あっ、……あ」


 頓狂とんきょうな声が、舞台の奥手から上がった。


 それまで二人の戦いを静観していた『正義の使徒』──白フクロウの着ぐるみを被ったクオだ。


 はたと周囲の空気が固まってしまったので、クオはびくーっと身を震わせる。


「あ……わわわわわっ、すみ、すみませんっ」


「はいはーい、じゃあいったん止めまーす」


 パンパンと手を打ち合わせて、脚本係リーダーのアンナが立ち上がった。


「最後のとこ音楽の音量も調整しよう。ラスト、村人役の準備しておいてねー」

『はーい』


 文化祭の前日。

 授業返上で丸一日が準備に充てられ、今は本番で立つ舞台上での通し稽古ゲネプロが行われていた。


 稽古は順調に進行していたのだが。


 正体が暴かれた『邪悪な精霊』を『勇敢な騎士』が倒すクライマックスで、クオはノエルとルカの演技に圧倒され、思わず声を上げてしまったのだった。


 わいわいと舞台周りが動き出すなか、クオは着ぐるみのままぺこぺこと頭を下げた。


「す、すみっ、すみませんでしたっ。大事な通し稽古なのに、邪魔をしてっ」


「いいよいいよ、あとは終幕のシーンだけだし」


 脚本係のリーダーであるアンナが気楽に手を振る。


 道具係や他の配役の子もそれぞれの役割を確認し合っている。クオのミスを責める者などいない。


 せっかくの稽古だったのに申し訳ないような、ほっとしたような、しかし落ち着かないような──


「こらこらクオ。大事なとこで『正義の使徒』が慌てちゃったらダメじゃないか」


「ぅひぇうう⁉」


 脇からの声にびっくりして、クオはその場で垂直飛びしてしまった。


 びよよよん、と胴体との接続が甘い頭部が揺れる。


「おおー、すごい高さだ。頭が天井に届いちゃうよ」


「ぷふ」と笑うルカが寄って来た。

「そんなにぼくの演技、迫真だった? 練習で何回もやったとこなのにさ」


「わ、あ、はいっ。衣装着て、ライトも当たって、本番さながらでしたのでっ、すっかり呑み込まれておりましたっ」


「純粋なコだなあ。──ねえアンナ」


「うんほんと、脚本係冥利に尽きちゃうなー」


 ルカの声に、舞台に上がったアンナが頷きを返す。


「──わ、わわっ、すみませんっ。ですがわたし、邪魔をしてしまって、」


 クオはあたふたするが、着ぐるみ越しのおかげで急な会話でも硬直せずに声を出せる。


 そこでアンナはふと脚本を口元に寄せて二人にささやきかけた。


「──ねね、ここだけの話さ、あのシーンでクオちゃんが反応しちゃうの、なんか私わかるんだよねー。実はちょっと切なくない?」


 ルカは意外そうに小首を傾げる。


「そうなの? そういえばクオもちょっと前に似たようなこと言ってたなあ。

 ワルい妖精が倒されてハッピーエンドなのにさ」


「でもさ、ルカさんの『邪悪な妖精』が倒されちゃうのが、なんかこう、残念っていうか」


「! わ、わわわ判りますっ」


 アンナの言葉に弾んだ声で反応したのはクオだった。


「妖精はたしかに悪さをしてましたが、理由がちゃんとあって、それは仲間を復活させるためだったので、倒されてしまうなんて、悲しい、といいますか、」


「わかるー!」


 アンナが声をはずませながらクオの手をとった。


「邪悪な妖精が勇者をそそのかしてきたのは、洞窟に封印された仲間を解放させるための嘘だったんだって思うとさ! 切ないよね!

 うわー、こういうとこ共感できてうれしー!」


「! わ、わたしも、ですっ」


「ぷはは、熱い友情って感じだねえ」


 ひそやかに共感し合う女子ふたりを、ルカがにこやかに眺めている。


「あははっ──まあ脚本は原作通りにしないとややこしいからいいんだけどね。

 そうだ、よかったらクオちゃんに今度別の演劇作品紹介してもいい? オススメしたいのがあるんだ。すごい切ない、いい感じのやつなの」


「ひゃい、はいっ、ぜひにっ、お願いしますっ」


 それじゃ後でねーと、アンナが手を振って別の子たちとの作業に向かう。


 ──はひぇ…………、と、着ぐるみのなかでクオは柔らかい息を吐いた。


「クラスの方と、おはなし、できました……」


 しかも自分の考えを口にして、会話も成立したなんて。

 夢見心地とはこのことだ。


「ぷふ、きみもアンナも心の優しいコだねえ。『邪悪な妖精』に、切なくなるなんてさ」


「あ、でもこの気持ちは、わたしだけじゃなかった、です」


 クオはぶんぶんと首を縦に振った。


「誰かと同じ気持ちだって判るのは……嬉しいです」


 いつになく満ち足りた心地を覚える。

 それはいつも脳内で自分を全肯定してくれる「おこげちゃん」の激励とは別の心強さだった。


「へへ、ふひぇへへへ、へへ……」


 喜びを表すことに慣れていないので、ちょっとへんな声がこぼれ出る。


 ふんにゃりするクオの手を取ったルカがダンスでも踊るように揺れだした。


「ふふー、よかったねクオ。いかにも喜び慣れてない感じが面白いや」

「ふひぇ、へへへ、へへへぇ……」


 ふたりは大きな白いモフモフと細くて黒いヒラヒラ衣装とで、暢気のんきに揺れ合うのだった。



 ◇◇◇



 本番を翌日に控えた緊張と高揚にある舞台上で、ノエルはひとり冷えた気配をうちに秘めていた。


 ──雷銃トールスクロプを持った不審者と学園で遭遇して以来。

 ノエルは〈スクルド〉の仲間とともに学園周辺の状況把握に動いていた。


 耳にしたのは軍や警察を悩ませている〝新興しんこう集団〟の台頭だ。

 町の各地で犯罪を起こしては地元の人々をおびやかしている素性不明のアウトローたち。


 学園で遭遇したタイミングからして、雷銃トールスクロプを持った不審者は〝新興集団〟の関係者だとノエルはみていた。


 町の中で犯罪活動しているはずの集団が、なぜ学園にまで足を伸ばしていたのか──取り逃がしてしまったので、引き続き警戒すべき状況だ。


 明日は文化祭当日。


 ノエルは〈スクルド〉の仲間二人に、近隣の町内を巡回してもらうことにした。


 学園を狙う不審者が文化祭で手薄になった敷地にまた侵入するおそれがある。それを事前に阻止するためだった。


『学園敷地に入った時点で迎え撃てばよくないすか?』


 昨日の〈スクルド〉班作戦会議で、ティマからの指摘にノエルは首を振る。


『先輩が気づく可能性が高い。そうなる前の段階であたしらが手を打つ。

 先輩には「普通の生徒」としての任務優先で動いてもらわないと困るからな』


『なるほど。すべては先輩のためってかんじすね』


『べつにそういうつもりじゃ──』


『リーダー、マジで男前すぎるぅ! もう先輩の監視っていうか守り手じゃん』


『違う! これはあくまで監視の一環だっ』


 慌てて反論するノエルだが、二人はさらっと流してしまう。


『ウチらは町歩けるし、無法者ブチのめせるから、ちょーたのしみぃ!』

『ついでにその集団ごとオレらで潰しちゃえばよくないすか?』


 巡回する町の地図を手にうきうきした調子の二人に、ノエルは釘を刺しておく。


『いや、隠密行動が鉄則だ。本来のあたしたちの任務とは、少しれてるからな。

 あくまで学園に向かおうとしてる奴らだけを狙うんだぞ』


 文化祭当日の学園を守る。


 これはノエルが自分で選んだ行動だった。

 根拠も確証もない。ただ、〈魔女狩り〉として戦場にあった彼女にとって、決して無視できない不穏の「匂い」をぎ取った。だから動く。


 文化祭を無事に実現させるため。

 学園の者を危険から守るために。


「──それじゃあ続き始めまーす」


 ほどなくしてアンナが稽古再開を告げると、みなが『はーい』と動き出す。


 ノエルも模造刀を手に舞台の真ん中に立った。


 すると背後からぽふぽふと緩い足音が近づいて来た。


「あ、にょ、ノエル……」


 白く大きく丸っこいフクロウ──の中身、クオだ。

 こちらに話しかけるたび緊張するのか、毎回名前を噛んでくる。


「さっ、先ほどはすみませんっ。稽古を止めてしまって、」


「気にすんなよ。それより登場直後の長台詞スラスラ喋ってて、びっくりしたよ」


「あ、はいっ。台詞はしっかり覚えておりますのでっ。あと、着ぐるみがあると緊張が緩和されますのでっ」


「そっか──じゃあ本番は無事にやり遂げようぜ」


「はいっ。あ……あの、ノエル」


 クオはそこで潜めた声を寄せて来た。


「な、何か気にしていることなど、あるんですか? 心配事ですとか」


 ノエルは思わず目を瞬かせた。


「べつに。なんだよ急に」


「あ、いえっ。『無事に』と言っていたので……なにか問題でもあるのかと」

「……」


 ──瞬時に働くクオのカンの良さに、ノエルは内心で動揺を押し殺した。

 明日の隠密行動は独断だ。クオに気取けどられるわけにはいかない。


「問題ねえよ」


 ノエルは慌ててフクロウの顔から目を逸らすと、軽い口調であしらった。


「先輩こそ、人の心配してないで『正義の使徒』らしく堂々としてろよ」


「ぅひゃう、はい、がんばります……どうどうと……」


 もごもごしつつ芝居の立ち位置につくクオを後目しりめに、ノエルはあらためて表情を引き締めた。


(先輩には、借りがある)


 自分で考え、選んで、行動する。

 命令だけでない〈魔女狩り〉の生き方を自分自身で示してくれたクオは、ノエルにとっての恩人だった。


 だから、クオにはこの特務を無事完遂してほしかった。


(〈スクルド〉で、守っていくんだ。学園も。生徒も)


 ノエルはひとり、胸のうちで決意をあらたにする。


 ◇◇◇

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