17 嘆きの未来 と 輝く今

「…………ぇ…………」


 どこからともなく力の抜けた声をこぼして。

 クオは、ルカを見つめる。


「ぼくのことは気にしないでね」


 少し腕をほどいて顔を上げたルカは、いつもの薄い笑みだった。


「なんなら、忘れてくれてもいいからさ」


「……っ」


 クオは慌てて首を横に振った。


「どうしてですっ、ルカ、なんで、いなくなるなんて、そんな──」


 直前の言葉を思い出して、クオははっとする。


『もう──たなくなっちゃうから』


「──やっ、やっぱり何かあるんですかっ?」

 ルカの肩をつかむ指と声が震えた。


「ルカ、問題があるなら言ってください。悩みごとでも、困ったことでも……わたし、〈魔女狩り〉の初番ハーフ世代なので魔力はたくさんあるんですっ」


〈魔女狩り〉の中でも特異端である自分の特質を、自らそう口にするのは初めてだった。


 のちの世代を遥かに凌ぐ、高い魔力を有した自分の血の力は。

 人とは違う後ろめたい力だ。

 でもルカの力になれるのなら──今すぐにでも躊躇ためらいなく使える。


「……クオ、」

「わたし、なんでもします。ルカのためなら、わたし〈魔女狩り〉の──」

「しぃ」


 切迫したクオを落ち着かせるように、ルカはそっと人差し指を立てた。


「こらこら。あんまり〈魔女狩り〉とか口にしちゃだめでしょ。

 ぼくら共犯ともだちの大切な秘密なんだから」


「ですがあの……ルカが……いなくなるなんて、いやです」


「ごめんごめん、急に変なこと言っちゃって」


 硬い声のクオをやわらげるようにルカは微笑む。

 だが、その目には寂しさが宿ったままだった。


「ちょっとここ最近ね、ぼくこわくなっちゃったんだよ」


「……こわ、く?」


「うん。ぼく、もともと人に紛れて生きるつもりだって言ってたでしょ」


「あ、はい。それで、この学園に生徒として──」


「……人に紛れこんで目立たず、見つからず、生きるために。

 だからね、きみと共犯ともだちになったのも、ただの安全確保のつもりだったんだ」


「……」


 あくまで取引として。

 お互いの秘密を守り合う。

 そんな関係を作ろうとしていた──ということだったのだろうか。


「最初はそのつもりだったのにさ……クオ、きみったらねえ、本当に愚かなんだもん」


 そんな言葉を使いながらも、ルカの声は柔らかい震えを滲ませていた。


「ぼくのこと、ともだちって言ってくれて、助けてくれて、一緒に生きるって言ってくれて──嬉しくなっちゃったんだ」


 クオは軍人による魔女の血を巡る騒動でクオはルカの救出し、戦った。

 ルカを守るため。ルカと一緒に生きるために。


「ぼく、こんなの初めてだったんだよ。

 だって、ずっとひとりだった。きみよりも遥かに長い年月〝ぼっち〟の魔女だったから──なーんて」


 おどけて笑う、その目元はすぐにかげる。


「でもさ、クオ。きみはきっとぼくより早くに寿命が来ちゃうでしょう?

 この学園の生活も永遠じゃない。嬉しかった分、いつか終わるときのこと考えちゃったんだ。

 それに、きみやノエルが秘密を守ってくれても、何かの拍子にぼくが魔女だってバレちゃうことだってあるかもしれない。そしたら──それは絶対に悲しいお別れになるよ」


 ルカはふっと笑った。「悲しい」という言葉におびえるように。


「そんなの、考えただけで心がたない。ぼく、どんどんこわくてなって──。

 おかしいね。ぼくは長年孤独で感情なんかすっかり鈍って、悲しいとかこわいなんて感じないと思ってたのに。全然、違った。

 ぼくのこと、『ただの寂しがり』って……ずっと昔に言ったやつもいたなあ」


 何かを思い出すように、独りぽつりと付け足して。

 だからね、とルカはそっと続けた。


「もっともっとこわくなる前に、ちょっといい思い出を沁み込ませて、きみの前から姿消そうって思ってるんだよ。その方が悲しさもちょっとで済むでしょ」


 クオは何も言わずに、心のうちを吐露したルカを見つめていた。


(あ……、それで……ルカあのとき──)


 ふっと思い出したのは、ここ最近のルカのことだった。


 触れてきたりくっついてきたり、部屋に押しかけては一緒に眠る──


『今日だけ、今だけ』


 唱えるようにそう言って甘えていたのは。


『しょうがないよ。ヒトと魔女は違うんだからね』


 あの夜、不安そうに呟いていたのは。


 近々姿を消そうとしていたから──?


 クオはきゅっと目に力をめた。


「ルカ、いなくならないでください」


 ルカの肩を自分に寄せ、真正面からその顔を見つめる。


「そんなの、わたし嫌です。そんなの……ずっとずっとルカが悲しいだけじゃないですか」


「……」


「わたしもルカも、生きているから寿命があって、いつかお別れするときがきます、けど、そんな悲しいことだけ考えてほしくないですっ」


 気づくとクオは、ルカの手を取っていた。

 力なく垂れ下がっていた細くて少し冷えた手を、下からすくい上げるように。


 それは任務で学園に編入した初日、人がこわくて茂みに隠れていたクオを見つけたときにルカがしてくれたことだった。


『ぼくら、ともだちになろうよ』


 初めはルカの打算だったのだとしても。

 今のクオにとって、ルカは大切なともだちだ。


「それにルカ、この先の方がもっときっと面白くて楽しいことがたくさんあるんですよっ」


 クオはルカを握る手にも力をこめる。


「文化祭だけじゃなくて、体育祭とか、修学旅行は汽車に乗って北部の都市を見学すると学園案内にありました。

 あ、あと、教員の方が増えたら今はまだない音楽や美術の授業もできますっ。

 ほかにも、ええっと、学内のプールが復旧したら使えるようになりますし……。

 たくさんあります、楽しみなことも面白そうなことも。

 わたし、そのときはルカと一緒にいたいです」


「……」


 ルカは何も言わず静かにクオを見つめ返していた。

 その寂しげな眼差しを手放してなるものかと、クオは一歩近づく。


「わたしはルカといっしょに楽しい時間をたくさん増やしていきたいです。

 だって、いつかお別れする時が来ても、楽しい時間の記憶はずっと残せる、ずっとおぼえていられるんですから」


 その思いは、ずっとクオの胸のうちで大切にしていることだった。


『戦争のない世界で生きる』


 それは過去、同じ〈魔女狩り〉であり〈欠番ヌル〉としてひっそりと処理され戦死した、名もなき仲間のねがいだった。


 今のクオは、その希いに自分の望みも合わせている。


 ただ生きていくだけではなく。

 新しいこと、楽しいことを、たくさん体験したい。手に入れたい。


 そう思えるようになったのは、ルカに出会ったからだ。


 だから新しいこと、楽しいことがあったとき、一緒にいたい。

 同じ場所と時間を過ごして、お互いの想いを分かち合いたい。


 そのときの想いは遠い過去になろうと決して消えてなくならないだろう。

 仲間のねがいが、この先もずっと自分にとって大切なものであるように。


 自分との時間が、ながい時間を生きるルカの「大切」になったらとクオはねがっていた。


 その時間は、楽しい方が、きっといい。


 だから──


「いつかわたしとの時間が『楽しかった』って思い出して笑えるくらい。たくさん、一緒の時間を……なので、だから──いなくならないで、ルカ…………い、今お別れしたら、悲しいだけになる、ので……それは、や、いや、です……」


 歪んでぼやけていく視界。


「一緒にいてください」


 クオは泣かないようにと、さらに目に力をめる。


「わたしはルカと一緒にいたいです、ので」


 瞬きひとつで涙がこぼれそうなくらい潤んでいたけれど、ぐっと堪える。


 このねがいを、悲しいものにしたくなかったからだ。


 力がこもったクオの目があおみを増す。

 その強い藍をルカはじっと見つめた。


「…………そっか……」


 やがてルカは静かにクオの手を握り返した。


「きみと一緒だと、そんな楽しそうなことが、この先もあるんだね……」


「そ、そうですそうですっ」


 クオは力いっぱいぶんぶんと頷く。


「今学園を去るのは得策ではないですっ。三年間は学業を修め、学生として経験できる行事に励む方がきっと最善手と思わらるれられれ……」


「ぷふ、言葉がぐしゃぐしゃだ」


「すっ、すみません……っ」


 大事なところでんでしまう。しかしめげずにクオは続ける。


「えとその、これからもわたしは、ルカと一緒がいいです、と、思っておりまして──」


 けれど口にすると結局同じ言葉になっていた。


「ああ、そっか……そうだね」


 ルカはそっと目を細めた。目じりが微かにきらめく。


「あーあ、ここ最近のぼくはとても愚かだったよ。……やっぱりこわかったんだ。

 今の幸せが眩しくて、だから未来が不安になって、良くない考え方しちゃったんだね」


「ルカにもこわいこと、とか、あるんですね……」


「ぷはは、そうだよ。ぼくはこわがりでひ弱な魔女なのさ」


 自嘲にしては軽やかな調子でルカは笑う。


「はは……そうだね……先の不安に落ち込んでたら、せっかく楽しい今の時間まで悲しくしちゃうよね」


「! そうですそうですっ」


 クオは再びぶんぶんと勢いよく頷いた。


「そ、そういう感じのことをお伝えしたかったんですっ。

 すみません、わたし、上手く言えなくて」


「ぷははっ。充分伝わったよ。ありがとねクオ。

 うん──気が変わった。

 そうだ、ぼくオンガクの授業って受けてみたかったの、思い出したよ」


 ルカの笑みからかげりが消え、クオはほっとする。


「あ、ではあのルカ、これからも、一緒に──」


「うん。でもさ、この先もしもぼくが魔女だってヒトにバレちゃったら──」


「そんなことっ、ならないようにしますっ」


 ルカを遮り、クオはまくし立てた。


「わたしがルカの秘密を守りますからっ。

 たとえ正体が知られたとしても必ずわたしがルカのことを守りますっ。心配しないでくださいっ」


「ふ──ぷははははははっ!」


 ルカは明るい声をあげて笑い崩れた。


「クオ、きみったら本当に愚かなんだから」


「ふぇい?」


「守るのは約束だけでいいのに。そんなこと言ってくれるなんてさ」


「あ、でも、本当にそう思っていることで、」


「──ありがとね」


 ルカは握りしめていたクオの手を自分の頬に寄せる。


「ぼく、これからもきみと一緒にいたいな」


「あ……あのルカ、ではその、姿を消すとか、いなくなるとか、ないですよね……?」


「うん。ぼくのこと信じてよ、クオ」


「…………っ」


 クオは胸中の不安を拭うように、反射的に何度も首を縦に振る。


 ルカがそっと笑いかけた。


「──これからもお互いの秘密を守り合おうね」


「はいっ」


「ぼくら、」

共犯ともだちです」


 ふたりは顔を見合わせた。

 そうして二人で、クラスメイトたちの元へと戻っていく。



 ◆◆◆◆



 ウルラス学園での調査と作業を終えたライノは拠点に戻ると、変装のため学園内で拝借した作業着と、中身の失せた麻袋とを部屋の隅に放り捨てた。


「該当施設は残されたままだった。撤収の痕跡もない」


 学園で遭遇した生徒に向けていた「校務員風」の温厚な声は消え失せている。

簡潔な報告に、クエンティンは目を細めた。


「そう。──となると例の兵器はまだ学園内だね」


 クエンティンは勢いよく立ち上がった。

 その部屋に唯一ある家具──安楽椅子がゆらりと傾ぐ。


「それもそうか。マクミラン君が声高らかにプレゼンしていた通りの新型兵器が実在するのなら、さすがに王国軍だって持て余しているはずだものねぇ。

 だよねぇ。魔女の血を動力源とした、大型機動兵器……破壊なんて簡単にできるわけがない」


 マクミランは「完成すればこれに匹敵する兵力など存在しえない」とも語っていた。


 彼の言葉は信憑性があった。過去にはお忍びで開発途中の兵器を見学させてもらったこともあるのだ。「胎動」とも呼ぶべき攻撃試射もこの目で拝んでいる。


 これが完成すれば、王国軍を凌駕りょうがする最強の力となるのは間違いない──そう確信したものだ。


 やはり兵器は学園の地下に残存している。


 だが、今となっては手に入れられない。それならば。


「やっぱり破壊するっきゃないねぇ地下施設。学園ごと」


「初めからそのつもりだろ」


「まぁね」


 クエンティンはにこりとする。


「だって僕はアレの引き金を引きにきたんだ。

 マクミラン君の兵器開発に触発され独学で設計してくれた僕のトモダチの力作──その素敵な兵器の引き金を引くためにね。

 ライノ君。〝目印マーク〟は設置してくれたんだよね?」


「完了した」


「実に結構。〝目印マーク〟さえあれば百パーセント成功したも同然だ」


 クエンティンはご機嫌な足取りで室内に置かれていた木箱に手を伸ばす。

 上等な絨毯の上に置かれた、ひつぎを思わせる縦長の大型木箱。


 蓋を開けるとそこに眠っているのは銀の装甲を施された狙撃銃だった。


 全長の半分を占める砲身に、どっしりとした銃身には〈雷浄ルーメン〉式の砲撃出力機器が装着されている。出力調整によっては四キロ先の狙撃が可能とされている、貴族連盟特製の〈雷浄ルーメン〉式長距離狙撃銃だった。


「さすが僕の同志トモダチ。実にいいセンスを発揮してくれている」


 クエンティンは優美な手つきで砲身をそっと撫でた。


「やっぱりゴールドよりシルバーだよね。上品で洗練されたフォルムにピッタリだ。

 僕さぁ、貴族たちのすーぐ金ピカにしたがる趣味キライなんだよね。

 でも一番イカれてるのは野蛮な軍人の白装甲か。まったく……洗練を履き違えてる」


 独り言が徐々に嫌悪で濁っていく。


 リーゼンワルド王国は魔女との戦争を受けて〈雷浄ルーメン〉の技術全般を軍が独占している。


 そのため貴族連盟は王室を頂点とした国家機関の一翼を担いながらも、常に王国軍の後塵こうじんはいする立場に甘んじてきた。


 だが、戦争終結により貴族らは動き出す。


 王国軍人から金で武器を横流しさせ、地位や権威をエサに技術職・幹部を抱き込むなど、貴族ならではの手練手管を駆使することで〈雷浄ルーメン〉の独自開発に及んでいたのだ。


 マクミランに謀反をそそのかしたのもその一端だった。


 今手元にある銀製の狙撃銃は、まさしく貴族による『陰の結晶』だ。


「おかげで僕は現場から遥か離れた土地で上等なスーツ姿のままスコーンをかじり紅茶をたしなみながらでも、引き金さえ引けば必中の狙撃を楽しむことができるわけさ。

 あぁ……実に待ち遠しい」


 うたうような口調が、くらたかぶりを帯びる。


 いずれ使い捨てる〝新興集団〟をこの町で形成し、法的手段を悪用して町の私有地を手に入れていたのも。


 マクミランが学園に残した兵器の始末を良い機会とばかりに、貴族連盟手製の〈雷浄〉式兵器を使用し、その威力を直接目にするため。


 つまりこの高慢で狡知こうちな男クエンティンは──


 引き金を引きたいだけなのだ。


「あの学園、たしか一週間後に文化祭が催されるんだよね?」


「そう聞いた」


「じゃあ狙撃はその日に決定だ。町での陽動も午後イチで動いてよ」


「早すぎる。陽が沈む前に学園を狙撃するつもりか」


「そりゃそうさ! 学園に人間がたくさんいる時こそ最高の狙い目じゃないか」

 クエンティンは鷹揚おうように頷いた。


「学園と兵器だけじゃもったいない。学生教員も丸ごと吹き飛ばさないと意味ない。そうだろう」


 派手な破壊と大勢の犠牲は、なにごとにおいても絶大な効果を生む。


 原因不明の学園壊滅は軍事兵器暴発などのデマを生み、王国軍に対する不信がたちまち国中に溢れるだろう。


 軍の醜聞としも、無垢で罪のない平民どもの犠牲は、最上のスパイスとなる。


 これは序章だ。


 魔女の滅びた人間世界で、美しく優秀で強い貴族たちが覇者となる歴史物語の。


「さあ、実に華麗なる喜劇の開幕といこうじゃないか。

 平和でみんな仲良しなんてぬるい内容より、強い者が弱者を蹴散らし輝かしい勝利を手にする話の方が絶対に盛り上がる」


 クエンティンは嬉しそうに呟いた。


 主演は僕。まずは若い者たちが命を散らし、王国軍には野蛮な悪役になってもらう。



◆◆◆◆


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