16 騒ぎのおわび と お別れの挨拶

「はわわわわわわぁわわわわわ……」


 今にも口から泡が出そうなくらい、クオは混乱していた。


 この場所に畳んで置いていた制服が、ない。


 ということは……ということはつまり……!


「こ、ここここのままわたしっ、制服のない学園生活を送らなければ……!」


「んなわけないだろ」


 下着姿で頭を抱えるクオに、ノエルがすかさず冷静な声を浴びせた。


「先輩が下着だって知ってるのはルカだから、あいつが持っていったんだろ。

 見つけた時、その場で着替えさせようってつもりだったのかもな」


「あ…………っ」


 クオは目を見開く。


 なんという迅速で理知的な状況把握と推定。

 その頼もしさにクオは思わず目を潤ませていた。


「にょ、のっ、ノエル……! さすがですっ、きっとそうだと思いますっ」

「それはいいけど早くなんか着ろって」

「へぅ、ですがあの、今は着ぐるみしか……」

「体操服は?」

「……あっ」


 ──というわけでクオは無事に自前の体操服に着替え、学内を出歩いても問題ない姿となった。


「つ、次はルカを探さないと、です」

「そうだな。衣装係の子たちにも、先輩はとっ捕まえたって言わないと」

「へゃ……おさ、お騒がせ、してしまし、しま、してしまして……」

「謝るのはいいから、手分けしてみんな集めるぞ」

「は、はいっ」


 ぱっと駆け出したクオを見て、「ふ、」とノエルが小さく噴き出した。


「?」


 クオが不思議そうに振り返ると、ノエルはいつもよりゆるんだ目で体操服姿のクオを見ていた。


「なんかあらためて見るとさ、体操服ってへんだよな」


「ふぇ? へん、ですか?」


「だってさ、下の丈なんて下着とほぼ同じなのに体操服ってだけで出歩くのに抵抗なくなるんだぞ。へんな感じだ」


「…………ふへ……」


「? なんだよ先輩」


「あ、いえその、ちょっと思い出して……」


 クオもまた、緩んだ声になっていた。


「ルカも先日、同じようなことを言っていた、ので」


 ──あれは中庭で、役作りのためワイヤーで宙に浮いてみようとしていた時のことだ。


『あの体操服、丈はパンツと同じなのに、なんでか抵抗感失せるんだよねえ』


 何気ないその一言が、思わぬところで重なってなぜか嬉しかった。


 ルカとノエルの共通する感覚を見つけたような。

 ふたりが仲良くできる要素を感じ取れたような。


 そんな気持ちになる。


「なにニヤついてんだ、先輩」

「ふぁえっ、すみませんっ」

「言っとくけど、あたしはあいつと違って人の下着の色探るなんていやらしいことはしないぞ」

「……? いろ……? いやらし……?」


 何やら釘を刺され、きょとんとするクオ。


「──なんでもねえよっ。さっさとみんな集めるぞ」


 ノエルはさっさと廊下を行ってしまう。


 けれど気を悪くしているようには、見えなかった。




 クオはノエルと分かれて、学園校舎を駆け回った。


 自分を探していた衣装係の子を見つけては「すみませんっ、お騒がせしましたっ」とび、「着ぐるみっ、あまりにも居心地がよかったのでっ」と半分本音の言い訳をしていく。


「じゃあ、更衣室に戻ってるねー」


 特に気にした様子もなく、女子たちは引き上げていく。

 校舎内をひと巡りしたところで、クオははたと気づいた。


(あ、わたし、自分からクラスの方に話しかけることができていた、ような……)


 話しかけられても首を縦か横に振るのが精いっぱいだった──編入したての頃と比べれば別人のようだ。


『もっと、クラスの方とお話できるように、なりたい、です──』


 それはあるとき口にしていた、自分が学生生活でやりたかったことだった。


 自分から話しかける。


 きっかけは──衣装作りの測定のときだ。


『──自分から言わないとさ』


 ルカに助言をもらって、勇気を出して話しかけてみて、だんだんと慣れてきた。

 会話を何往復もさせるにはまだほど遠いが。


 クオは胸に手をやり、そっと目を閉じる。


〈やった~うれしい~お話できたよ~~〉


 自分だけのおともだち・おこげちゃんがまぶたの裏でバンザイしている。


 ひとりで喜びを噛みしめるための癖のようなものだ。


 けれどクオはあまり長く浸ることなくすぐに目を開けた。

 この嬉しさを直接伝えたい相手が、まだ見つかっていない。


(あ、もしかしたら──)


 クオはある場所を思い出し、きびすを返した。




 その空き教室は文化祭の準備作業でも使われていなかった。

 普段から生徒たちの出入りがないため、机と椅子が並んでいてもひっそりとしている。


「あっ」


 クオは教室の奥にあるロッカーに駆け寄った。

 スチール製のロッカーは扉が開けられており、覗き込むと奥の板が外れている。


 その奥は──隠し部屋に通じていた。


 学園の地下に造られた軍事施設同様、マクミラン元少将が王国軍の目を忍び秘密裏でしつらえたものだった。

 クオはそっと殺風景な隠し部屋に顔をのぞかせる。


「……ルカ、いますか?」


「わっ」


「ひゃわぁあっ」


 真横からの声に驚いたクオはその場でくずおれた。


「ふゃ……あ、ルカっ」


「なんだなんだ、びっくりした。クオかあ」


 壁にもたれるように立っていたのは、クオの制服を両手で抱えていたルカだった。


「おやおや、体操服だ。ということは……ノエルがきみを見つけて、無事に着替えられたってかんじかな?」

「あ、はい、お察しの通りですっ」


 クオは立ち上がりながら頷く。


「衣装係の方たちも呼び集めましてっ、あの、すみませんでした、お騒がせしまして」

「いいよ。相変わらずきみってば堅っ苦しいなあ」


 ルカは薄い笑みで、手にしていたクオの制服を見下ろして肩をすくめた。


「びっくりしたでしょ、ぼくが制服持ってっちゃったから」


「はい、あ、いえでも、すぐにノエルが気づいてくれまして」


「おおー、さすがノエルだ。ぼくがいない間に、万事解決してたんだね。ごめんね、ぼくが先にきみを見つけるつもりだったのに」


「あ、あのっ、ルカありがとうございますっ」


 唐突なクオの言葉に、ルカはきょとんと目をしばたたかせた。


「──ぼくはウロウロしてただけだよ?」


「いえそのっ、さきほど気付いたことがありましてっ、わたし、衣装係の方に声をかけたり、お詫びをしたり、自分から話しかけることができたんです」


「そっかそっか。よかったじゃない」


「あ、あの、ルカのおかげなんです」


「……ぼく?」


「はい。先日の衣装のための測定で、ルカがわたしに『自分から言わないと』って助言してくれて。わたし、それがきっかけで、先ほど自分からクラスの方に話しかけることができました、ので、それができて、嬉しくて」


「……」


「あ、すみません。上手に喋れていないので、伝わりにくいかも、です、けど……」


 あたふたと口を動かし落ち着きないが、それでもクオは息を吸った。


「クラスの方と、少しずつ話せるようになったのは、ルカがいてくれたから、です」


 それで──


 あらためてお礼を言おうとルカを見ると、


「ぷふ、」


 小さな笑いを零し、ルカがぴょんと胸に飛び込んで来た。


「ふゃっ?」


「クオ──きみは愚かだね」


 かみしめるように、しみじみとルカは言った。


「それはね、きみ自身ががんばったからできるようになったんだよ。

 ぼくのおかげじゃない」


「や、あの、でも──」


「でも安心だ。きみはもう、大丈夫だよね」


 ルカは腕をクオの身体に回した。その手からクオの制服が足元にこぼれ落ちる。


「……? ルカ……?」


「……うん。心配ないね」


 ひとり、確信をみ込ませるように、ルカは呟く。


 近い距離にあるその頭を、クオはじっと見つめた。


 抱きついたりくっついてきたり──でもいつもと違うのは、ルカがこちらの顔を見てこないことだった。

 クオの胸元に顔を埋めたまま、ルカはぽつりとその言葉を口にした。


「ぼく、近いうちに学園から消えることにする。

 きみとはお別れするよクオ。

 もう──たなくなっちゃうから」

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