15 着ぐるみの逃走 と 校務員との遭遇

 重たい着ぐるみと視界の悪いヘルメットであろうと、クオは俊敏しゅんびんだった。


 学園の地理は網羅もうらしており、目を閉じていようと動き回れるほどだ。


 ただ、放課後の学園は文化祭の準備に学生たちがあちこちで作業しているので──


「……えっ?」「…………あれ?」「……なんか今、白くて大きいのが走ってなかった?」


 駆け回る着ぐるみのクオの姿を見つけた生徒たちが、その姿に反応する。


 ぽふぽふぽふぽふ……


 間の抜けた足音を鳴らしつつ、クオは人気ひとけのない地点を求めていた。


(ひぃやぁぁぁぁっ)


 驚異的な脚力で廊下を駆け、階段を下り、校舎の本館を脱出し、並木通りを抜け、茂みに飛び込む。


(ど、どうしようどうしようっ。あわ、そうだこの格好のままでは身を隠せないです、けど、ここで脱ぐわけにはっ。わぁぁ、衣装のまま逃げたばかりにっ)


 ここで着ぐるみで逃走してしまったミスにようやく気付き、その場でぐるぐる回り出す。


「──おい先輩、」


「ひぃわぁぁっ⁉」


 おろおろしていたら、駿足で追いついたノエルに見つかった。

 やはり白くて大きいフクロウの着ぐるみは遠目にも目立つのだ。


「ひえぅわぁぁ、すみませんすみませんっ、さささ探さないでくださいーっ」


「もう見つかってんだろ」


 必死にその場でしゃがみ込み、どうにか身を隠そうとするクオをノエルはあきれて見下ろしている。


「逃げることなかったんだぞ。あの場は更衣室だったんだし、先輩が下着姿でも誰も気にしないし」


「…………はぇ」


 言われてみれば、そうだった。


 クオが下着姿で着ぐるみを被っていたことを知ったのはノエルとルカだけで、あとから来た衣装係の子たちは「着替えの最中」と見るだけだったろう。

 それなのに恥ずかしさのあまり慌てて、逃げ回ってしまった。


 クオは着ぐるみの中でへたりこんだ。


「……す、すみませんノエル……わたし、いろいろ間違ってしまって、おおごとに」


「べつに間違いってほどでもない。あんたは大袈裟おおげさなんだよ──ほら」


 ノエルが差し出す手に、クオはおずおずと手を伸ばした。

 ふわふわした翼の部分を柔らかくつかみ、ノエルがそっと起こしてくれる。


「みんなが先輩探し回ってるうちに更衣室に戻るぞ」


「ひゃい、はい、ノエルすみませ──」


 と、言いかけて、クオは改めた。


「ありがとうございます、ノエル。いろいろ、助けてくれて」


 彼女はあくまで軍の特務にある自分を監視しているのであって、ここまで世話を焼く必要なんてないはずだ。


 今だって、困ったときにノエルは助けてくれている。


 クオは着ぐるみ越しにノエルの手を小さく握り返していた。


「……ふん」


 ノエルは鼻を鳴らすだけだったが、心なしか柔らかい音だった。


「べつに、助けてるつもりない。戻るぞ」

「あ、はい──」


 頷いた直後。

 

 クオはその気配に気づいた。


 視界が悪いままでも、それを感知することはできた。

 ノエルも気づいたらしい。すぐさま気配をとがらせて振り返る。


「おや、こんにちは」


 低い声。男性のものだ。大柄で、三十代だろうか。


「──どうも、こんにちは」


 クオに代わってノエルが硬い声で挨拶あいさつを返す。


 そこに立っていたのは、麻袋を手にした作業着姿の男だった。


 岩を思わせる屈強な体躯と長身。学園内の見回りや雑務を担う校務員であることを示す校章入りの作業着と、温厚な笑みがこちらの不審を拭わせる。

 ただ、目だけが刃物のような光をたたえていた。



「……ゴミ拾いですか」


 ノエルはまず、男が手にしている麻袋に目をやっていた。


 男はひょいと片手にぶら下げた袋を掲げる。中身は──ほぼ空のようだ。


「ああ、そんなところですよ。見回りのついでに」


 男は作業帽のつばを軽く持ち上げて見せた。


 穏やかだが鋭い眼差しがクオとノエルを捉える。


「まだ使われていない学園内の施設に不審者がいたとの報告があったのでね。君たちも気を付けて」


「──ああ、先日の」


(……?)


 ノエルは反応するものの、クオは聞き及んでいない話だった。ひとまずは静観しておく。


 ──学園敷地内に現れた不審者に遭遇したノエルがその日のうちに軍部へ報告し、さっそく校務員が補充された──とみられるのだが、それはクオのあずかり知らぬ経緯いきさつであった。


 反応したノエルに男は目を向ける。


「不審者の件は先生から聞いたのかな? 見回りは強化しているけど、最近は生徒たちが放課後多く居残っているみたいで──」


「はい。学園祭の準備があるので」


「ああ……そうだった」


 校務員の男は忘れていたことを思い出したように頷いた。


「ではその後ろの置物も、準備の一環かな?」


「ひゃぇ」


 反射的にクオは着ぐるみの内側からへんな声を零す。

 ぎくりと動いた「置物」に、校務員は驚いたように少し目を見開いた。


「──人が中にいたのか」


「そんなところです」


 ノエルが代わりに答えた。


 クオは依然として下着姿のままなので、顔を見せて挨拶というわけにはいかない。


 ノエルはクオの手を着ぐるみ越しに引いた。


「では、あたしたち準備の続きがあるので」


「ああ、頑張って」


 にこやかな声の校務員をその場に残し、二人はその場を立ち去った。




「──あいつ、校務員だったんだな」


 本館に向かいながら、ぽつりとノエルが口にする。


 手を引かれ、後を歩くクオもまた、ぽつりと着ぐるみのなかで呟いた。


「学園が新しく雇われた方、ですよね……」


 実は学園の校務員は、先のマクミラン元少将による事件の巻き添えで欠員のままだった。

 ようやく補充されたということは、学内の修繕や安全管理の面の安心要素となる、はず。


 着ぐるみ越しとはいえ相手の挙動は見えていたので、クオは小さな呟きを足していた。


「一瞬、軍の関係者かと思いました……」


「ん……」

 その言葉にノエルも頷いていた。


 屈強で頼れそうな校務員ではあったが、あの佇まいがかもすものには懐かしさすら覚える。

 戦場で、戦闘を経験した者。

 もっと言うなら、軍という特殊な環境にった者特有の気配に他ならない。


 ノエルが校舎に入った辺りでひとちる。


「──まあ、特に不自然じゃないか。

 報告したから元軍人の校務員を補充したんだろ。学園には軍の伝手つてもあるし」


「ほうこく?」


 クオが耳聡みみざとく、その言葉を拾う。


「あ、あのノエル、何かあったんですか? その、報告するような大変なこと、とか」


「……」

 むぐ、とノエルの押し黙る気配。

「……こういう時に限ってカンが働くんだな」


「?」


「なんでもない。先輩の特務にも関係ないことだ」


「あ、あの……でも……」


「いいんだよ。下着姿のまんまの先輩に心配される事なんてねえし。それよりさっさと着替えとけよ」


「……へぅ……」


 それを言われてしまうと、クオは何も言えなくなってしまう。


「──ほら、更衣室着いたぞ先輩」


 先導していたノエルが扉を開けた。

 逃げたクオ捜索のために、みなが出払った室内には誰もいない。


「はや、早く、着替えないと、です……」


 あらためて大騒ぎしてしまったことを思い出し、クオはしょんぼりと着ぐるみから抜け出て──


「…………あれ……?」


 下着姿のまま辺りを見回し、その場を探り出す。


「? おい何してんだよ先輩。早くきがえ──」


「なっ、なななないですっ」


「あ?」


「着替えっ、服っ……わたしの制服が、ないですーっ」


 くるくる回りながら、消えた制服を求めてクオは叫んだ。

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