12 屯する路地 と 渡り歩く屋根

 にぎやかな台本読み合わせののち、その日の放課後が終わった。


 クオはひょろついた足取りで帰り道を歩く。


「……へゃぁぁ…………」


「クオったら、不思議な溜息を吐くねえ」


「ぶ、舞台の練習……すごく、大変でした……」


「そう? 今日はみんなで台本を読むだけでラクだったじゃない」


 疲れ果てたクオの横で、ルカは軽やかな足取りだ。


「そういやきみはずっとアワアワしてたね。どしたの?」

「ひょ……ひょれ、それはその、ルカとノエルの雰囲気がケンカになるのではと、心配になってしまいまして……っ」

「いやだなあクオ。役柄上、ぼくとノエルに緊張感があるのは当たり前でしょ」

「う、でも、あんなにノエルを怒らせなくても……」


「いやあ、ノエルをからかうのが楽しくてついつい。

 でも、妙なことばっかり言って『勇敢な騎士』をムッとさせるのは、ぼくなりの演技プランだよ?」


「えんぎ……ぷらん?」


 へにゃついた目をしばたたかせるクオに、ルカは得意げに立てた人差し指をくるくる回して見せた。


「だってさ、ぼくは『邪悪な妖精』なんだよ? 終盤には正体がバレてノエルにやっつけられるんだから、観客にもぼくのワルさが伝わる方がいいでしょ」

「そ、そうかも……です?」

「そうだよー。ぼくがやっつけられることで、みんなが『ワーッ』と喜んで終わるのが大事なんだ。要するに、ぼくがワルければワルい方が盛り上がるってこと」

「そう、でしょうか……?」


 クオはぽつりと呟いた。


「あ、あのでもわたし……作中の『邪悪な妖精』がそんなに悪い存在だと思えなくて……」


 少し先を歩いていたルカが「ん?」と足を止める。


 クオは自信のない目をあちこちに彷徨さまよわせながら、


「あ、すみません、ちょっと思っただけなんです。『カーニバル』は正しい知識を得た騎士が悪い妖精を倒すというお話の内容は知っています、けど、あの妖精のことを倒す必要はあったのか、という、そういう気もしておりまして」


「……ふーん?」


「あっ、いえでもっ、演劇の内容が悪いということではなく、脚本を変えた方がいいという話でもなく、ちょっとその、引っかかってしまって……だってあの妖精は、」


「ぷふ、」


 あたふたしながらも珍しく自分の意見を口にしたクオに、ルカは緩い笑みをこぼした。


「クオったら、そんな優しいこと言われたら『邪悪な妖精』としては惚れちゃうじゃない」


「ほ、へ?」


「そんな難しく考える必要はないよ、クオ。ぼくがワルくてやっつけた方がいい妖精なんだってノエルにきっちり教えてあげる。それがきみの役割なのさ」


「や、やくわり……ですか……」


「そうそう。お互い役割を全うしようじゃない。それがぼくたち役者の生きる道ってね」


 ルカは再び足取りを弾ませて先を歩き出した。


 舞台の準備のときと変わらず、ルカは楽し気だった。そんな後ろ姿をクオは浮かない顔で見つめていた。


 お互いの秘密を知っているルカとノエルは、普段お世辞にも仲良しな間柄ではない。


 だけど二人とも、この舞台を成功させたいと思っていることは確かだ。


 クラスメイトたちも各自の役割に精一杯、全力を尽くして臨んでいる。


 みんな、思いはひとつ。


 だからなおさら──


 ルカだけが邪悪なものとして倒される、というこの演劇の結末に抵抗を覚えてしまったのだ。


「──おっと?」


 と、先を歩いていたルカが道の角の何かに気付き足を止める。


「クオ、来て来て」


「?」


「ほらあれ。こないだのカツアゲのヒトじゃない?」


 ルカに寄り添いその視線の先に目をやると。


「あ」


 たしかに。そこにたむろしていたのは、先日女子生徒を取り囲んで金を奪おうとしていた三人組の男たちだった。


「……ふーん。今は学生のコを物色してるようには見えないね」


「はい。待機しているようです」


「待機? たしかにじいっとしてるけど」


 三人組は道端で気力のない暗い顔を煙草の煙に包んでいる。


 クオはものかげからじっと観察しながら、


「自発的に行動していた先日と違い、上からの命令を待っている様子と見受けられます、が」


 おかげで他の生徒たちが彼らの被害に見舞われることはなさそうだが──


「ふうん。たしかにそう言われれば納得だ。クオの名推理ってやつかな」


「あ、いえそんなっ。ただ、挙動から相手の状態を推測するのがくせといいますか……」


 戦争で超常の存在である魔女を相手に戦った〈魔女狩り〉のクオにとって、常に一瞬の判断が生死を分ける。


 たとえ確証まで至らずとも、相手のわずかな情報、かすかな挙動から状況打開の「匂い」を嗅ぎ取り即時判断する──そんな「カン」に基づく行動は今も骨のずいみついていた。


「カン」がクオを魔女戦争で生かしたといっても過言ではない。

 その精度はかなり高いものだった。


「ふうむ、でも困った。寮までの近道を占拠されちゃったよ。回り道するのもめんどいね」


「そ、そうですね……相手に気付かれるのも得策ではない、ので……」


 クオは周りを見回すと、ふと建物の屋根の高さに目を留める。


「あのルカ、ちょっと失礼していいですか?」


「うん?」


「抱っこします、ので」


「だっこ?」


 きょとんとするルカを、クオは両腕で抱き上げた。

 そのまま左右の建物の壁を蹴ってななめ上に跳んでいくと、次にはすたんと屋根の上に着地していた。


「おおー!」


 いわゆるお姫様抱っこで抱えられたまま、ルカは無邪気な声をあげた。


「ぷははっ、すごいすごい。そっか、屋根の上を渡っていくのか。

 これは一番の近道になるねえ!」


「し、しーっ。ルカ、下の人に気付かれちゃいます、ので、こっそり行きましょうっ」


「わーい、じゃあこのまま抱っこで寮まで連れてってー」


「は、はいっ」


 ルカを抱えながら屋根の上を渡り歩くクオは俊敏しゅんびんだ。人混みにはばまれず、建物の合間も軽々とひとっ飛びで越えていく。


 黄昏たそがれ時の少し涼しい風を浴び、跳んでは走る揺れのなかで、ルカはすっかり大はしゃぎだった。


「ふふー、ひゃー、ゆーれるーう」


 無邪気な笑い声がクオの耳元をくすぐった。


「こんな帰り道、クオと一緒じゃなきゃ不可能だね!」


 足元の商店街では人々が賑わっている。まさか女子生徒が屋根の上を渡っているとは誰も気づいていない。ふたりはそのまま大胆かつこっそりと──


「ひょ──っと、つ、着きました」


 屋根上の最短ルートを駆け、寮に到着した。


 すたん、と道に降り立ちクオはルカを下ろす。


「ああー、もう終わっちゃった。クオー、楽しかったから明日もまたやってー」


「やっ、わっ、ですがあの、緊急だったとはいえ、誰かに見つかると怒られてしまいそうなのでっ、これは今日だけにしましょうっ」


「ちぇー、だよ。クオったら真面目でお堅いんだからー」


「す、すみません……」


 悲しそうにねたその声に、思わずびてしまうクオ。


「じゃあこれも今日だけだね」


 ルカはいつもの軽い口調でそう言った。


 声音に少ししみじみしたものを含ませながら。

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