8 台詞の練習 と 心臓の音
「ふわーはははははははー」
「愚かなやつめー、今ごろ気付いたかー、我が正体にー」
「なんてことだ。おまえが神をも
ベッドの
機械仕掛けのような棒読みぶりだ。
ベッドのルカは手にした本を指で追いながら、
「その通り、我こそが邪悪なりー。ふわーはははははー……。
ええっと……精霊はさらに高笑い?」
「あ、ルカ、そこは地の文なので読まなくていいやつですっ」
「あれあれ、そしたらこの
「あ、そっちは騎士の台詞です」
「……あーぁ、もう判んないよークオー」
ルカは本を投げ出し、突っ伏してしまった。
「小説の文章は読みにくいんだもん」
「う、すみません。舞台の台本は脚本係の方が準備中ですので」
「その完成を待てばいいのに。わざわざ原作の本借りて予習するなんてさ」
「ですがその、わたしがみなさんの足を引っ張るようなことはできないので、その……」
クオはもじもじと絡めた自分の指先を見つめる。
「今からできることは、可能な限りやらなければと……」
「クオってば、ほんとに役者の
しみじみと感心するルカに、クオは慌てて頭を振った。
「そんなことはっ。わたしが本当にお芝居をやり遂げられるのか……とても不安、です」
──学生寮にて。
クオが夜の自室で取りかかっていたのは、文化祭の演目「カーニバル」の予習だった。
最近開放されたばかりの学園図書館で原作本を借り、一読で作中の台詞部分を覚えたところで、ルカが部屋にやってきた。
面白がったルカが台詞合わせをしようと、小説本をもとに途中のシーンから読み合わせをしてみたのだが──
ルカはすぐに飽きてしまうし、クオは完璧に台詞を口にするも棒読みで、お芝居とは程遠いやりとりとなっていた。
「まあまあ、そんな焦ることないよクオ。実際にみんなと練習してったら喋りもなじんでくるものかもよ? ぼくもよくわかんないけど」
「ひぅっ」
びく、とクオは肩を震わせた。
みんなと練習──その言葉だけで早くもクオは緊張し出していた。
「み、みなさんと……。喋ったり目を合わせたりなんて……きっ、緊張で息ができるかどうか……あ、でもたとえ窒息しようと台詞だけは間違えないようにしなければ」
早口で呟くクオは、やがて全身をカタカタし始める。
と、そこへ。
「ぷーふぁー」
「ひょわぅっ⁉」
突然のハーモニカ音に、クオがその場でピョンと跳び上がる。
いつの間にか、ルカがハーモニカを手に吹き出している。出会ったばかりのころ、クオがルカに貸したものだ。
「そんなに今から構えてたら身が保たないって。ぷー」
「わわわっ、ルカ、隣に聞こえちゃいますから静かにっ」
「はーい。ねえねえクオ、ぼくこのハーモニカもうちょっと持ってていい?」
「あ、はい。もちろんです」
「やったー。お守りにするー」
子供のような笑顔で、ルカはハーモニカを枕元に添える。
学園で時折吹いている姿を目にしていたが、夜も肌身離さず持っているみたいだ。
ルカは満足そうにベッドの傍らをぽんぽん叩いてクオを迎える。
「ほらほら、今日はもう寝よ? 練習も緊張も後にしちゃお」
「へぅ……は、はい……では今日は寝ることに、します」
先の不安は拭えないが、クオは素直に従いベッドにころんと寝転んだ。
仰向けになると、ルカがささっとランプを消して布団をかけ、そのまま顔を寄せて寝転ぶ。
「それじゃおやすみークオー」
「はい。おやすみなさい、ルカ」
……
「……ふぁえ⁉」
ふにゃ、と
「る、ルカっ⁉ ななななぜどうして、わたしのベッドで寝るんですかっ?」
「クオと眠りたいからだよ」
「ふゃ、ひゃえ、ななななぜっ」
「まあまあいいじゃない。今日だけだよー」
「今日だけ、て、あれ、二日前も同じ──」
「固いこと言わないでよークオー」
甘えるような口調になると、ルカはクオの顔にすり寄った。
「寮のヒトには怒られないようにするから。今日だけ。今だけ」
「う、えとその……ううう……」
上手い返しが浮かばず、クオはそのまま口ごもってしまう。
ルカがクオのベッドに押しかけて眠るようになったのは、最近のことだった。
入寮したてのころは食堂や部屋のルールをクオがあれこれと教えていた。
なかでも大変だったのは、屋根のあるところでの生活自体が久々だと衝撃的なことを軽く口にするルカに、
はだかでかなり大騒ぎした挙句、
『実はぼく、シャワーの使い方知ってたんだー』とルカにいたずらっぽく言われ、
『へぅー……』と、クオは泡まみれで目を回したものだ。
そのうち、
『クオー、勉強教えてー、宿題やってー』
と、ルカはクオの部屋に入り浸るようになっていた。
寮に入ったルカと衣食住をともにするおかげだろうか、「誰かが横にいる」という状態にクオが慣れていったのも事実だ。
とはいえ、寝る時間まで押しかけてくるのはここ最近のことだった。
寮の管理人に見つかったら「規則正しく、各自で生活を」とお説教されてしまうはずだが、結局ルカを部屋に帰さないまま一緒の夜を過ごすこともしばしば。
「──おやおやクオ、もしかしてベッドが狭くなるの嫌だった?」
「あ、いえそんなことはっ。ルカは寝にくくないですか?」
「ぜーんぜん。ぼく、もともと身体ヒョロヒョロだからね。寮のベッドは大きすぎるくらいだよ」
クオはふとルカの身体に手を回した。腕のなかに収まるその身体の細さをあらためて実感し、思わず「わ、」と声を漏らす。
「ルカ、
「ふふー。ぜーんぜん平気」
ルカはクオの肩に頬を寄せた。
「前にも言ったでしょ。ぼく、魔力だけはあるから身体も丈夫で無駄に長生きなのさ。寿命なんて当分先かも──なーんて」
「あ、それならよかった、です。安心しました」
ほっとするクオの胸に、ふとルカは手を添えた。
「……クオも、問題ないみたいだね。心臓の音がちゃんとするなあ」
「ひゃ、わ、はい……」
あまりに無造作にルカの手が胸にあるので、クオは少し遅れて変な声を出していた。
「──ぼくも安心だな」
ルカがぽつりと呟く。
その声音に、クオは
ルカの顔は、近すぎて表情まで見えない。ふわりと広がる
「心臓の音がしているってことは、生きてるってことだからね……」
「……あ、はい。えと、生きております」
「ふふー、そうだね。でもクオはヒトだからね。だから、いつかそのうち……」
「? ルカ?」
ルカは応えず、胸元に顔をさらに埋めて来た。
「ん……しょうがないよ。ヒトと魔女は違うから」
それは
クオは腕のなかにあるルカを抱き寄せた。
心配になるくらい薄い身体のなかの心臓の気配を肌で感じ取る。
「…………ルカあの、なにか、体調以外の心配ごととかが、あったり、しま、す?」
「んー? どしたの急に」
「あ、や、いえその、へんな質問ですみません」
クオはおたおたしながらも、ぎこちなく言葉を
「ルカはいつも、わたしの近くにいたり、くっついたりしてますけど、あ、それは別に問題ないんですけど、なんというか、今は、いつもと違って……。
ルカが、何か不安なことがあって、でも言えなくて、こうしてるのではないかと……」
つまりは「ルカがいつもと違うので何か悩みでもあるのか」と
ルカは一呼吸分の合間をとって、
「……ふふー」
と、クオの胸元で深い吐息をついた。
「クオ、きみは愚かだね」
「へ……?」
「きみが心配するようなこと、なんにもないよ。
ただぼくは何かと理由をつけて、きみをフカフカしたいだけだもん」
「フカ……そ、そうだったんですか?」
「そうだよ。ぼくはね、抜け目なくてずるいところがあるんだ」
「ふゃ」
身体をさらに寄せられ、クオからへんな声が
ルカはかまわず顔を擦り寄せながら、
「これは、今日だけ、今だけ……だからね……」
と呟き、そのまま寝息をたててしまった。
「…………」
こんな近くに誰かの気配があるなんて。
今までの自分だったら過呼吸か気絶でもしていただろう。
でも今は平気だ。
むしろ安心するくらいに。
クオはルカを起こさないよう彼女を抱きしめた姿勢のまま、そっと瞼を閉ざした。
心臓の鼓動が肌でわかるくらい近くに、ルカを感じながら。
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