7 おんぶの女子たち と ハットの青年
ひと芝居は不発に終わったので、路地裏に暴漢を残したまま帰宅することになった。
クオとルカは表の路地に戻ると、人混みのなかを歩き始める。
「よしよし。じゃあ頑張ったクオにごほうびをあげよう。はい、あーん」
「ふぁ、む?」
小さく開けた口にちゅるんと飛び込んで来たのは、ルカが買っていたミルクライチの一粒だった。
甘酸っぱい味が口のなかに広がる。みずみずしい弾力で歯ごたえもいい。
「きゅ、ふ、……ん、美味しい、です」
「それは良かった」
「……あ、さっき逃げられた生徒の方、きっと無事に寮に帰れたと思います、よ」
「そっかそっか」
ルカは満足そうに頬を緩めた。
その横顔を、クオはそっと見つめる。
ルカは自由気ままにふるまっているようで、他人と一定の距離をとっている。
長年独りで生きていた魔女であるルカが
その一方で困っている人を迷いなく助け、手を差し伸べる。そのために無茶な行動を起こすこともあるのだ。
とても心の優しいともだち。
それがクオにとってのルカだ。
「ルカ、美味しい果物ありがとうございます。今度はわたしがごちそうしますので」
するとルカはくすぐったそうに笑いだした。
「なんだよー、堅っ苦しいなあ。いいって、そんなの。──あ、じゃあさ、」
何か思いついたように視線を上にやり、ルカはクオの背後に回り込んだ。
クオの肩に両手を置くと、
「──とうっ」
「わふっ?」
ぴょん、とルカがクオの背中に身体を預けてくる。
「おんぶして、寮まで帰ってー」
「ひゃわあっ」
体幹もあるのでクオがよろけることはないが、人で
「わ、わっ、わわわっ」
クオは慌てて小走りでその場を駆けだした。
ルカが耳元に口を寄せて
「速すぎるよクオー。それじゃ寮にすぐ着いちゃうじゃない」
「で、ですが、おんぶで町中を歩くのは、とても目立ちます、のでっ」
「そんなに急ぐとぼく、落っこちちゃうよ」
「それは大丈夫ですっ、絶対離しませんのでっ」
「……ふふー。やったー」
なぜか嬉しそうにルカは呟いた。
クオの足取りが普通の人と変わりないので、歩いていてもそう目立たなくなる。
ルカは
「いつもより視界が高いから、いろいろ見回せるなあ。おや、あんなところに
「あ、あのルカ、お腹減ってるんですか? 食べ物のところばかり気にしてるような」
「んー、そうかも。寄り道する?」
「きょ、今日のところは──」
そろそろ寮に帰らないと、と言いかけたところで。
「もしもし。そこのお嬢さんたち」
よく通る声が、二人に向けられた。
「道をお尋ねしてもよろしいかな?」
二人が目を向けた先に佇んでいたのは、ひとりの青年だった。
切り
その一方で、青年自身の
すらりとした長身を際立たせるスリーピースのスーツに、艶を放つ革靴。胸元の懐中時計の鎖やカフスボタンは瞳の色に合う金色に統一されている。
上品。まさにその一言を具体化したような青年だった。
人々が賑わう商店街にはとうてい似つかわしくない存在を前に目をぱちくりさせるクオとルカの反応に、青年は優雅な微笑みを見せた。
「急に話しかけてすまないね。慣れない町に来たばかりですっかり道に迷ってしまって。
クォーズウェイ・ハウスという建物がどこにあるか、君たちご存じだろうか」
「──あ、それでしたら、次の路地を曲がった赤レンガの建物です」
クオはすんなりと回答する。
特殊任務のため、地元の詳細は習得済みだ。地図情報は通りの名前や番地だけでなく、建物名も把握している。
青年は少し驚いたように目を開き、
「これは助かった。詳細な答えをくれるとは」
すっとハットを取り軽く一礼した。
「感謝するよ。実に素敵な導きだ。称えさせてもらおう、レディ」
そう言って、にこりと微笑む。演舞を思わせる流麗な挙動だった。
「あ、はい……」
ぺこりと軽く頭を下げると、青年は
──ふたりは顔を見合わせる。
「素敵な導きだってさ、クオ」
「は、初めて耳にする言い回しでした……」
「なんかキザったらしいヒトだったけど良かったじゃない。これで騎士を導く『正義の使徒』に一歩近づけたってわけだ」
「ふゃ、そうでしょうか……まだ演技の面に課題が多いので……」
二人は再び寮に向けての路を歩き出す。
とはいっても、おんぶ姿のままだ。
◆◆
「やあお待たせ」
その男が扉を開け
家具の類が一切ない殺風景な空間に、その存在が異様に映える。
辺境ではまずお目にかかれない高級なスーツ。
白いハットから露わになった
暗い部屋の隅で腕を組んでいた男が鋭い目を向ける。
「クエンティン」
「なにかな?」
「お前その恰好で町を出歩いていたのか」
「そうだけど?」
「悪目立ちしやがって……」
暗がりにいる男の低い声に、室内で同じく待機していた複数名が緊張する。
ハットを取った青年・クエンティンは部屋の真ん中に進み出ると、自身のファッションをお披露目するようにくるりと回って見せた。
「これでも抑えたつもりだよ。お世辞にも治安良好とは言えない辺境の町の環境に合わせてくすんだ色をベースにね。ただ、生まれ持つセンスは隠せないから。
そこでハットをかぶって、貴族のお忍び旅行をテーマにスタイリングしたわけだが」
「フザける気しかないようだな」
腕組みをしていた男が、すっと一歩前に出た。
要所をベルトで押さえた戦闘服姿によって分厚い筋肉の存在感がいや増し、武器を思わせるガタイを強調している。
しかし今は息を詰め、飼い慣らされた犬のように押し黙っている。
物言わぬ駒に徹する面々のなか、クエンティンは優雅に肩を
「判っていないなぁライノ君。僕は常日頃から、何事にも大真面目だ。
特に今回は大事な目的がある。遠路はるばる足を運んだ以上、一切のおふざけはなしだ。実に
流麗な口調と滑らかな語り口。まるで人々の耳目を巧みに奪う弁論者の振る舞いだった。
だが狭く暗い部屋で発揮されるそのカリスマ性は、異様を
「…………まあいい。俺もここでつまらん
黒ずくめの男ライノは眼光そのままに、話を切り上げる。
クエンティンはにこりとして見せた。
「実に賢い判断だ。
ただ、僕の到着が遅れたことは謝るよ。道に迷ってしまってね。
通りすがりのウルラス学園の女子生徒に道を尋ねてやっと来られた。ああ、それにしても──」
クエンティンはうっすらと笑みを浮かべた。
「平民二人。小さく、細く、弱かった」
その姿を脳裏に浮かべながら人差し指を突き出し拳銃の形にすると、少女たちと
「あんな薄い身体……拳銃一発で、二人まるごと殺せるくらいの
もしもあの場で急に撃ち殺したりしたら──あの子らどんな顔するんだろうね」
その口の端が、
突然撃ち殺され、何が起こったのか判らないまま死ぬ少女たち。広がる血だまり。
なんだか白昼夢じみていて面白そうだ。
喜劇のワンシーンみたいじゃないか。
不気味な欲望に笑みを歪めるクエンティンから、それまで
既に緊張状態にある一同が凍り付く。
ライノだけはクエンティンの狂気を受け流し、気のない声で話を進めた。
「ウルラス学園──例の現場だな。目的の『兵器』は見つかったのか」
「まだ調査中だよ。あの学園、戦時中も軍人に使われていたとあって、探りにも難儀してるんだ。ただ、どうやらまだ学園に残っているみたいなんだよねぇ」
クエンティンは呟くように言うと、拳銃の形にした手をウルラス学園がある方角へくるりと向ける。
「軍を裏切って開発に勤しんでくれたマクミラン君の置き土産……魔女の血を含有した新型兵器の試作品。さっさと
連盟がこれ以上王国軍と力の差を付けられてしまうくらいなら、学園ごと消してしまう方がよほどマシだよ──ねぇ?」
◆◆
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