5 学園祭事 と 町の治安
◆
学園理事室に軍部直通黒電話のベルが鳴り響く。
室内に控えていた軍服のひとりが素早く受話器を取った。
「こちらウルラス学園理事臨時代行グスタフ・マスグレイブ少尉」
『ドラウプニル大佐は不在か』
「あっ……アビゲイル・ブリューナク大佐殿……!」
誰もいない理事室で、受話器を手に直立を強張らせる。反射的に敬礼までしていた。
無理もない。相手は王国軍人にとって軍神と崇められているほどの存在だ。
リーゼンワルド王国軍遊撃隊・特殊部隊大佐アビゲイル・ブリューナク。
先の魔女戦争における彼女の戦果は、魔女との戦争史においても他に類を見ない功績として語られている。
少尉であるグスタフにとっては雲の上の存在だ。
その声を直にこの耳で拝むなど──
グスタフはすぐに動揺から立ち直り、硬い声を張った。
「ドラウプニル大佐は先週よりアウリス軍事局にて
『喫緊の……〝
「はッ」
グスタフは
〝新興集団〟は今、王国南東部アウリス地方を騒がしている物騒な火種だった。
戦後、王国ではならず者が集団化し、各地で犯罪を起こしては警察局と軍部を悩ましている。
〝新興集団〟もその一つだ。最近突如出没した組織で、地元のならず者を制圧・吸収して勢力を広げている。
奴らが他の犯罪集団と比べ厄介なのが、突発的な暴力に留まらず、地元の地主を脅しては法手続きを悪用し、土地建物や財産を奪うといった知能犯じみた犯行にも及んでいることだった。
その上、軍や警察から横流しした銃器や兵器まで所持しているとの噂まである。
その活動に声明はなく目的も不明。自ら名乗らないことから〝新興集団〟という通り名で扱われている。
今、王国南東部で最も危険視されている犯罪集団だ。
基本情報を省き、グスタフは近況を手短に報告することにした。
「──ウルラス学園周辺の繁華街でも〝新興集団〟による暴行・恐喝による被害が急増し十日前より地元警察局で対策本部が立ち上がりました。
ドラウプニル大佐は軍事局代表として陣頭指揮を下されておりますッ」
ハーシェル・ドラウプニル大佐は、現在ウルラス学園知事としての籍も有している。
それはひと月ほど前から始まった、王国軍幹部と一部が知る特殊任務のためだった。
〈魔女狩りの魔女〉──クオ・アシュフィールドの学生生活の遂行。
それは魔女戦争で人類勝利に貢献し、いや、しすぎたために「脅威たる兵器」とみなされた彼女を処分するか否かを判断するための特殊任務だ。
特異な力を持つ〈魔女狩り〉は戦後即処分すべしとの考えを表明しているハーシェルは、もともとこの特殊任務そのものに反対していた。
しかし思わぬ事態が勃発する。
任務開始直後、マクミラン・アロンダイト元通信兵少将が軍部の情報や技術を王国最大機関のひとつ貴族連盟に提供した挙句、極秘開発していた兵器を暴走させたのだ。
結局、謀反騒動は〈魔女狩りの魔女〉が兵器暴走を制圧、アビゲイル・ブリューナク大佐の采配により元少将のみが裁かれることで納められた。
今後は〈魔女狩りの魔女〉処分のチャンスを逃さぬよう、ハーシェル自ら学園理事に籍を置くことで監視と干渉の立場を確保している──というのが現状だった。
グスタフは〝新興集団〟の対応に当たる大佐不在の間、代行を務めている。
──受話器の向こうから、小さく鼻を鳴らす気配があった。
『ドラウプニル大佐も殊勝なことだ。南東部の治安に集中しておけばいい話を。
わざわざ学園に代行まで寄越して特務に関与するとは』
「はッ──あ、いえ、大佐殿には、自分には到底及ばない深遠なお考えあってのものと思われますッ」
『学園の状況は』
唐突にアビゲイルは問う。すでにハーシェル周りの近況に興味は失せた様子だった。
「はッ、戦後の学園開校を記念した、文化祭が催される予定です。学園内部向けの行事であり、生徒による出し物準備が進められています。
学園施設は別館を除く建物が順次開設され図書館と部室棟が利用可能に、一月後には寮宿舎も稼働予定です」
『そうか。監視対象の状況は』
「問題なし、特務継続中です。監視の〈スクルド〉からも同様の報告でありますッ」
『そうか』
硬質に徹した相槌。受話器越しの声からはなんら感情が
「──申し訳ございませんッ、書類上にある状況報告のみで──、ですが軍人である自分が学園内を歩き回ることは控えるべきかと──ッ」
『問題ない。引き続き理事代行に励むように、グスタフ・マスグレイブ少尉』
用はもう済んだとばかりに、アビゲイルからの通話は切れた。
ふぅ──と細長い溜息とともに、グスタフは受話器を下ろす。
強張っていた身体がどっと重たくなる。
声だけで、こんなにも緊張を覚えてしまうとは。
アビゲイルは特殊部隊〈魔女狩り〉の創設者でもある。身内という理由で学園の特殊任務には関与できない立場とはいえ、特務の進捗を把握しておきたかったのだろう。
〝新興集団〟の対応に追われているハーシェル不在時に、自分のような代行があの軍神のお声を拝聴できるとは。しかも、名前まで呼ばれた。
(戦後だしそろそろ除隊も考えてたけど、これはテンション上がる……!)
まだ年若いグスタフの内心は、にわかなミーハー感覚に浮き立つのだった。
◆
クオはこくんと小さく喉を鳴らした。
放課後、
露店を左右に展開する夕刻の繁華街には人々が多く、活気にあふれている。
そんな道のりは、クオが緊張を覚える場でもある。
(──いざっ)と心で気合いを入れ、
「い、いきましょうっ、ルカ」
「うんいいよー」
かちこちとした足取りのクオと並び、露店に出ている食べ物を眺めているうちにルカの身体はあちこちをふらふらし始める。
「うーん、果物は良い匂いがしてつられちゃうなあ。クオー、買い食いしようよ、コレとか、ソレとか、その丸っこいやつも美味しそうな匂いするね」
「わわわっ、ルカっ、ここで食べたら寮の晩御飯が食べられなくなっちゃいますよっ」
露店の果物を前にさっそく物色しはじめるルカに、クオは慌てて駆け寄った。
「平気平気。寮のご飯って夜の七時くらいでしょ? その頃にはまたお腹減ってるって」
「そ、そうです……? でもあの、そんなにたくさん選んでしまうと……」
ひょいひょいと気に入った果物をルカが腕のなかに納めている。
「今日食べられなかったら明日に回せばいいもんね。ぼくの部屋、本棚が空っぽだからそこに並べて置いておこっかな」
「あのルカ、その本棚は、教科書の収納に使わないと、ですよ……」
「そーだっけ? ぼく寮の使い方まだ慣れてなくてさあ」
ルカはへらっとしながら、自分の腕に収まらない果物をひょいひょいとクオの手にも載せ始めた。
ルカが寮に入る手続きをして、こうして一緒に帰るようになったのはごく最近のことだ。
『クオ、実はぼく、きみに相談があって……』
王国軍幹部の陰謀に巻き込まれた事件が一段落したのち、妙に気まずそうな顔でルカが話してきた相談とは──
『きみが寝泊りしてるところって、どうやって入れるの?』
意味がわからずきょとんとしたが、なんとルカは今日まで寮で寝泊りをせず、学園の片隅でこっそり野宿して過ごしていたというのだ。
『今までずっと野宿だったから不便はしてないけど、さすがにそろそろ学生っぽい生活をしようと思ってさ』
魔女が持つ魔力のおかげで、野ざらしで寝ようと清潔かつ健康な状態は維持できていたらしい。
心配したり驚いたりしつつもクオは早速入寮手続きを手伝い、晴れてルカは寮生となった。
寮では別部屋のはずなのに、ルカがやたらとシャワー室や寝床にまで押しかけてくるようになったのだが──それはまた別の話だ。
「──ふわぁっ、ルカ、こんなにたくさんは、持って帰れないですよーっ」
気付けばルカはクオの腕にまで果物を
積み上がる果物の山を、クオは背中を逸らしながら支えている。
「まあまあ、遠慮しなくていいよクオ。──おっと、ここに載せられそうな隙間が」
「ひゃあ、あぶないですーっ、ば、バランスゲームをしないでくださいーっ」
積み上がった果物越しに悲鳴を上げると、ルカはけらけら笑い出す。
「ぷはは、もうちょっと載せてみたかったけど、これくらいにしておこうかな」
「へゃ……あの、できれば数を減らしてほしい、です」
「ふーむ、じゃあこの小さいやつにしよっかな。これ二つくださーい」
「──はいよー」
「へぅ」
結局、
「じゃあこの辺は戻しておこう。ごめんねおじさん、また買うね」
「あいよー」
商売の邪魔になってしまってないかとそわつくクオだが、ルカも店主ものんびりしたものだった。手にしていた大量の果物をささっと露店に戻していく。
クオもまた、器用に腕を傾けては元の位置に戻していった。
陳列される果物の見栄えをよくする。
「ふぅ、ではルカ、寮に帰還を──て、あれ?」
果物から解放され見回すと、つい先程まで横にいたルカの姿がない。
「ルカ?」
複数の低い声と。
小さな悲鳴。
クオはすぐさま駆け出した。
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