4 トラップ と 下着の話

「な、なにしてんだルカ……こんなとこで……」


 内心の動揺を必死に抑えようと、低い声でノエルが問う。


 ルカはがさがさと茂みから歩道に戻ると、髪にくっついた葉っぱを払いながら、


「ええっとね……深い意味はないけど、ネコになるつもりはなかったんだ」


「…………っ」


 ノエルの耳や首すじがみるみる紅潮していく。


「ま、まぎらわしいことしやがって……」


 うなるように言い捨てる。

 日頃思うところあって注視していた相手をネコと勘違いし、恥ずかしい姿を見られたのだから無理もない。


 ルカは頬を指先でちょいちょいといた。

 気まずくて咄嗟とっさに身を隠した後ろめたさはあったものの──思わず尋ねてしまう。


「ノエル、ネコ好きなの?」


「べっ、べつに、おまえには関係ないだろっ」


「いやいや、茂みの物音ですぐにネコが思い浮かぶなんて、日頃から好きなあまり勘違いしちゃったのかなあ、と思ってさ」


「だっ、だとしても別にいいだろ! べつにそんな、重大なミスでもねえしっ」


「そうかなあ、致命傷受けたみたいな顔の赤さだけど」


「うるせえじろじろ見んな!」


 一喝いっかつしてすごんで見せるが、迫力は激減している。

 気を取り直すように、ふんすと息を吐いてノエルは腕組うでぐみした。


「質問に答えろよ、ルカ。こんなとこで不審な行動しやがって。先輩はどこにいる?」


「クオなら体操服を着るから教室に行ったよ。ぼくはクオが戻ってくるのを待ってただけ。

 クオね、役作りのためにここで飛んだり浮いたりするんだってさ」


「? なんだそれ」


 怪訝けげんなノエルにルカは「役作り」にいそしむクオの経緯を簡単に話した。

 ワイヤーを利用して、フクロウが飛翔する感覚を身に付けるため──というくだりで、ノエルはやや戸惑い気味に眉根を寄せる。


「……妙なこと思いつくんだな、先輩って」


「誠実に、与えられた役に向き合ってるのさ。クオらしいよね。

 ノエル、ぼくらも結構重要な役回りみたいだから、頑張らないとねー」


「それは言われるまでもねえよ」


 ノエルは当然のようにうなずく。


「クラスのみんなが文化祭に向けて団結してるんだ。演技の経験はないけど、台詞を頭に叩き込んで、全力を尽くして必ず成功させるまでだ」


 口調こそぶっきらぼうだが、根が真面目なノエルは、学園祭での出し物に真剣に取り組む姿勢を見せている。

 任務や監視といった物騒な関係ではあるが、〈魔女狩り〉のクオとノエルは何事にも誠実という共通点があるのだ。


「コワい顔してこなければ、仲良く出来そうなのになあ」


 ぽつりとルカがつぶやくと、ノエルは小さく鼻を鳴らした。


「……ふん。魔女と仲良くなるつもりはねえよ」


 目の前に仕切りでも置くような硬い声でそう言うと、ノエルはそっぽを向いた。


 ルカが魔女であると知りながら秘密にすると約束はした。

 しかしそれはルカと親しくなることとはイコールでない、というわけだ。


「そっかあ」


 ルカはひょいと肩をすくめ、それ以上は食い下がらない。


「じゃあ期待してるよ、『勇敢な騎士』さん」


「ああ、『邪悪な妖精おまえ』を倒す役回りだから、張り切ることにするよ」


「ひゃあ、迫力あるなー。くわばらくわばら」


「……で、なんで先輩はわざわざ体操服着ることにしたんだよ」


「ああ、それはね、ワイヤーでふわーっと宙に浮いたらパンツが見えちゃうからだよ」


 おおよその察しがついたのか、ノエルは呆れた声を漏らす。


「意外と抜けてんだな……先輩って」


 学園でクオの行動を余さず監視しているノエルだが、時折こんな脱力した顔になる。


〈魔女狩り〉の隊員間でも伝説扱いとなっている最強兵士の、人間相手のコミュ力最弱ぶりを目の当たりにすればそれも無理からぬことだ。


 ノエルは中庭全体を見回しながら、辺りを歩き出した。


「その役作りとやらここでするのかよ。ワイヤーって、もう仕掛けてあるのか?」


「うん。罠を応用してみたとか言って──あ、ノエルちょうどその辺り──」


 と、ルカが声をかけた時には。

 ノエルの足首が、落ち葉で隠されていたワイヤーにらわれていた。


「──っ⁉ きゃあっ」


 ワイヤーの仕掛けが発動し、ノエルの足首を捉えたわっかが唸りを上げる。


 しゅるしゅるとあちこちでワイヤーが巻き上がり──


 あっという間に、ノエルは中庭の木の前で逆さ吊りになってしまった。


「わあっ、ノエルっ⁉」


 止める間もなかったルカが、慌てて駆け寄った。


「っ、と……!」


 制服のスカートを慌てて両手で押さえたノエルの身体が、振り子のようにふらふらと揺れている。


「ノエル大丈夫? パンツは見えてないよ」

「余計な心配すんなっ、くっ、このトラップ、ハング式か。ワイヤー外さねえと──」


 トラップに引っかかってしまったおのれ迂闊うかつさに、ノエルは動揺混じりに口走る。

 腹筋を使って身体を足首まで上げることは可能だが、作業をするには手をスカートから離す必要があった。


「くっそ、手が……」


 片手ではスカートを押さえられず、小さく呻いていると、


「ぷふ」


 宙吊りのノエルを見上げていたルカが、小さくき出した。


「ノエル……意外と乙女な悲鳴あげるんだね。きゃあって」


「⁉ い、言ってねえよ」


「なんか可愛い反応だったなー」


 文字通り手も足も出ない状態となってしまった逆さ吊りのノエルの下へ。

 ルカがにまにましながら歩み寄る。


「ふふー、ノエルの意外な一面を色々見ちゃった」

「……あ……?」


 二人はさかさまの顔を見合わせる状態になる。


「ネコが好きだったり、悲鳴が乙女だったりさ。スカート押さえてる姿も可愛いよ」

「なんだとルカ、おまえなあっ」

「ふふー、こうしてると、悪いやつに捕まったヒーローのピンチな姿に見えるなあ」


 対するルカは、さしずめヒーローを捕まえた悪の幹部だ。

 きょうをおぼえたのか、ルカは「あ、そうだ」とわざとらしく手を打って見せた。


「ぼくも役作りしようかな」


「あ? なんだよ……役作り……?」


「『邪悪な妖精』として、ノエルに邪悪なことをするのさ」


 そう言って悪さが足されたルカの笑みに、ノエルがぐっと息をむ。


「な、何する気だ」


「ノエルが逆さ吊りになってる今がチャンスだから──お腹コチョコチョしちゃおっかな」


「⁉ なっ、やめろ……っ」


「ふっふっふ。どうだ、スカートを手で押さえてるから抵抗できるまいー」


 なんだか悪そうな声音で、指をわきわきさせながらノエルに近付くルカ。


「ばっ、ばかやめろルカっ、ふざけんなこのっ」

「『邪悪な妖精』は邪悪にふざけるのさ、なーんて」

「っ、来るな触るなーっ」

「ちなみにノエル今履いてるパンツは何色なの? 黒とか?」

「変態みたいな質問すんじゃねーよっ。く、黒なんて大人の下着だっ、着れるかよっ」


 赤い顔で抗議するノエルに、思わずルカは指の動きをぴたりと止めた。


「おやおや。意外だなあ。ノエル、黒い下着は大人のものだと思ってるの?」

「当たり前だっ。黒い下着は、大人の女性じゃないと着ちゃだめだろっ」


 ルカは思わず笑いだす。


「ふふーっ、ノエルったらうぶなコだねえ。またまた可愛いさ爆上がりだ」

「いじってんのかっっ!」


 からかわれていることが確定し、ノエルはひときわ大きな声でえた。


「くっそ、こうなったらワイヤー無理矢理にでも──」


 とそこへ。


「ただいま戻りましたっ。体操服を下にきましたっ。

 これで浮いてもだいじょ──ひょわあ⁉」


 駆け足とともに現れたのはクオが、中庭の光景を前に、声をひっくり返す。



 ◇



「の、ののの、ノエルっ? ど、どうしたんですかっ、どうしてさかさまに──」


「あんたのトラップに引っかかったんだよっ!」


「ひゃーっ、す、すみませんすみませんっ。すぐお助けしますっ」


 クオは慌てふためきながら、瞬時に逆さ吊りのノエルのもとに駆け寄ると、その場で垂直飛びをした。


 ぶら下がっているノエルよりも高い地点でくるりと旋回し片脚をひるがえす。


 ぱしんっ、と硬い音。鋭い蹴りの力ですっぱりとワイヤーが切断された。


「──っ」


 次には落下の感覚がノエルを襲う。


 そこへクオが腕を伸ばし、頭から落ちようとしていたノエルを抱えると、難なく着地した。


「すみませんでした、ノエル。大丈夫です?」

「……あ、ああ……」


 ノエルは頷きかけたところで我に返り、パッと弾けるようにクオから離れる。


「──て、ばかっ、気を付けろよ先輩っ。中庭に変なトラップ仕掛けるなっ!」


「ひえ、すみませんーっ! 目立たないよう隠したつもりで、」


「余計あぶねーだろ! 今度やったら不審な行動とみなして軍に報告するぞ!」


「ひえわあ、すすすみません本当にー!」


 そこでノエルは、にんまりしたルカの視線に気づいて「ぐぬ」と呻く。


「……今日のところは見逃してやるっ」


 震えあがるクオに、ノエルはばつが悪そうな捨て台詞を残すと立ち去ってしまった。


「…………あ、あれ……?」


 荒々しい足取りで中庭から立ち去るノエルを、クオはおどおどと見送る。


「ど、どうしたんでしょうか、ノエル……? もっと説教されるのかと、思ってました、けど……」


「さあー?」

 ルカは訳を知るような含み笑いを浮かべるだけだ。


「?」

 叱られたばかりのクオは、小首を傾げるしかない。

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