3 ワイヤー と 役作り

 その日の放課後、クオはさっそく中庭で「役作り」の準備をしていた。


(役目をいただいた以上、フクロウになりきらないと、です……!)


 鋼鉄製のワイヤーは人ひとりなら吊り上げられるくらいの強度がある。

 中庭にあるベンチや木の枝に手際よく引っかけていくと、クオはワイヤーの先端に持ち手となる輪を作って準備を完了させていた。


(まずは飛んでみなければ……)


 フクロウと言えば、音もなく飛空し獲物を捕らえる狩りの名手。

 立派なフクロウ役をつとめるためにも、まず「飛ぶ」体感を得るのだ……!


 思い立ったクオの行動は素早かった。


 授業が終わると学園の用具室でワイヤーを拝借し、中庭で下準備を整える。

 あとはこの持ち手にぶら下がり、仕掛けを発動させるだけだ。

 クオは精神集中すべく、その場で一度目を閉じた。


 すると。


〈わ~い、すご~い。空を飛ぶ感覚をつかんで、フクロウになれるよ~〉


 クオの脳裏で、黒くて丸っこい小さな影が現れ、明るい声で激励を始める。


 それは〈魔女狩り〉として戦場で常にひとりだったクオが、コミュニケーション能力の弱さと心細さを補うために脳内で作り上げたイマジナリーフレンド。


 その名も「おこげちゃん」。


 目を閉じれば現れ、ニコニコ笑顔の口元とクオの裏声で明るく激励してくれる。

 今もクオの心をちょくちょく支えてくれる(想像上の)存在だ。


〈これで立派に役者としての任務も達成だ~〉


 クオもいつになく前向きだった。目をぱっと開くと、意気込みを口にする。


「なりますっ、わたし、立派なフクロウに!」


「それはちょっと難しいんじゃない?」


「ぅひゃうわああああ⁉」


 真横からの声に、クオは情けない声をあげてくずおれる。

 顔をあげると、薄い笑みをにんまりさせたルカが小首を傾げている。


「どしたの、クオ。変なひも握りしめて、面白い宣言しちゃってさ」

「あ、ルカ。えと、これはワイヤーでして、ちょっとこれから使おうと」

「それでフクロウになれるの?」

「や、あ、いえその、これは……フクロウの飛空の感覚を掴むために、このワイヤーで宙に浮いてみようと思っておりましてっ」

「なるほどー。役作りってわけだ」


 立ち上がって手元のワイヤーを解説するクオをルカはしみじみと見つめた。


「クオの役者としての意気込みはすごいねえ。フクロウになりきるために空を飛ぼうとするなんて。きみは役者のかがみだ」

「あ、いえそんな、その……ふへ」


 ルカからの賞賛に、クオはふにゃっと頬を緩める。


「じゃあぼくも役作りがてら『邪悪』になってみちゃおっかなー」

「でっ、わっ、だ、駄目ですよルカっ、悪いことするのはっ」

「冗談冗談」


 真面目に詰め寄るクオに、ぷくく、とルカはくすぐったそうに笑う。


「じゃあクオの役作りでも見学させてもらおっかな。

 ここで今から飛ぶの? そのワイヤーで?」


「あ、はい。飛ぶといっても、正確には宙に浮く形にはなりますが」


 軍の訓練で習得したワイヤートラップを応用したものだった。

 なので、より正確には「ぶら下がる」状態になる。


「じ、実際の『正義の使徒』役につながるかはわからない、ので……結局は無駄かも、ですけど……」


「なに言ってるの。役に向き合って、さっそく行動してるじゃない。

 その誠意ある姿勢こそが、きみのすてきなところさ──なーんて」


 当初は絶対無理だと拒絶した舞台役者も、いざ引き受けると積極的に向き合う。

 そんなクオをたたえるように、ルカはぽんと軽く背中を叩いた。


「さっそくぴょーんと飛んでみてよ」


「あ、はいっ。ではさっそく──」


「制服のまんまだと、パンツが見えちゃいそうだね」


「ふぇい⁉」


 クオは反射的にスカートのすそを押さえた。


 たしかに、この膝上スカート丈で宙に上昇すれば、下にいるルカからは確実に見えてしまう……!


 クオはおろおろと辺りを見回した。中庭にあるベンチや木の枝を利用して、すでにワイヤーで三メートルくらい浮けるよう設定しているのだ。絶対見える。


「ちょ、えとあの、ちょちょちょちょっと……高さの設定を変えてみても、」

「ええー、今から? ワイヤーいじるの時間かかるんじゃないの?

 いいじゃない、ひょいっと浮き上がるくらい。パンツ見えてもぼく気にしないよー」


 軽い口調のルカに対し、クオは気まずそうにスカートの裾を指先でもじもじとつまむ。


「そ、そうなんですけど、いっ、いくらルカがわたしの色々な秘密を知っているとはいえ、やはりあの……ぱんつとか、見えてしまうのは、恥ずかしいものがある、といいますか」


「ぷはは、クオったら恥じらうねえ」


「す、すみません……」


「ぼくも無理に見る趣味はないよ。あ、そうだ。下だけ体操服着てみたら?」


「あ……っ!」


 クオはぱっと顔を上げた。


「そ、そうでした! それなら下から見えても大丈夫ですっ」


「あの体操服、丈はパンツと同じなのに、なんでか抵抗感せるんだよねえ」


「た……たしかに……。で、ですがあの、下着を見られるよりは平気な気がしますので、ちょっと教室へ取りに行ってきますっ」


 クオはわっか状のワイヤーの先端を道の端に置くと、ささっと手近な落ち葉をかぶせた。

 そうすると、中庭に仕込んだワイヤーが上手く消える。

 人の出入りはないが、念のため目立たないようしておくのだった。


「ルカ、踏まないように気を付けてください。ぶら下がっちゃいますので」


「わかったわかった。近づかないようにしとくよ」



 ◇



 すばやく駆けて行ったクオを見送り、ルカはその場でワイヤーの見張りをする。


 もともとこの中庭は学校再開後も整備が行き届かず、荒れた状態で放置されているので生徒も先生も足を踏み入れることがない。


 数日前、教員にとある罰としてクオとルカが掃除をして以来、二人にとっては妙に愛着のある空間となっていた。


「早いなあ、もう一か月くらいか」


 ぽつりとルカは呟くと、中庭から見える空をぼんやりと見上げた。


 ──同族の魔女から疎外され、人類との戦争にも加担せず、世界を放浪して千年近く。

 気の遠くなる年月よりも、クオと出会って「ともだち」となった時間はとても濃厚だ。


〈魔女狩り〉の力を巡る王国軍の陰謀に巻き込まれ、自分が魔女だとバレてしまうという最悪の状況すらも乗り越えて、今もルカはここにいる。


 学園で、ヒトに紛れてヒトと生きている。


『ルカは、と……ともだちですから』


 すべてはそう言ってくれた、クオのおかげだった。

 ながく生きてきた時間よりもずっと短く、だけどなによりも彩り多く質感豊かな日々。


 ルカは思わず目を細め、


「…………ぼく、つのかな……」


 ぽつりと、そう口にしていた。


 とそこに足音が近づいて来た。


 姿は見えない。まだ廊下にいるみたいだが、まっすぐにこちらへと近づいている。

 人よりはるかに耳がいいルカは、さらにその足音が何者かも聞き分けていた。


 特に違和感のない足取りだが、その足運びは周囲に溶け込むべく計算されたものだ。

 何かあれば次の一歩目からトップスピードで疾走しっそうできる、戦う者の足音。


(ノエルだ)


 そう確信すると同時に、ルカはすばやくその場から離れて茂みに飛び込んだ。


 ──ノエルが〈魔女狩り〉の隊員で、クオを監視するために軍部からつかわされていることをルカは知っている。

 当初、ノエルの前ではクラスメイトのひとりとしてふるまっていたルカだったが、先の王国軍幹部による陰謀の折、自分が魔女であることをノエルに知られてしまった。


 大きな事件を乗り越えた後のルカが一般の生徒として過ごせているのは、クオに頼まれたノエルが「ルカは魔女だ」という事実を秘密にしているおかげでもある。


 つまりノエルは、ルカとクオの秘密を知っている唯一の存在だ。


 とはいえ彼女の内心はまだ穏やかでないらしい。とくにルカに対して複雑なものを抱いているように見受けられた。

 ノエルはクオに監視の目を光らせる一方で、時折ルカにも警戒を帯びた視線を向けることがあるのだ。

 目が合えばウインクを返したりとルカは軽くいなしているものの、ノエルの油断ない眼差しはお世辞にも居心地いいものではない。


(軍人のノリで堅っ苦しく絡まれるのは、ちょっとなあ)


 茂みに潜って、離れた場所で身を隠そうと動いていると──


「……ん?」


 思ったより早く、ノエルが中庭に姿を現していた。

 ルカがガサッと動きを止める。

 ノエルは茂みの音に気付いたのか、そろそろと慎重な足取りでこちらに近付いて来た。


「……今の音…………もしかして……」


(やば)


「……ネコちゃんか?」


(…………へ?)


 茂みのなかで思わずきょとんとするルカに対し、ノエルは徐々に声をやわらげていく。


「なんだ、先輩が中庭で何か動きがあるっていうから来てみたら……中庭にネコちゃんいたのかよ」


 相手を驚かさないように、と抑えた声には嬉しそうなものが混じっている。

 茂み越しにちらっと見えるノエルの顔は、教室ではお目にかかれないくらいゆるんでいた。


「ほら、おいでー、こわくないぞーネコちゃんー」


 ルカが潜んでいる茂みに向かって、ノエルは柔らかい声をかけてきた。

 なぜか物音の主がネコだと、すっかり断定している様子だ。


「ネコちゃん、こわがらなくていいぞー、にゃーにゃー」


 猫なで声には慣れていないのか、ずいぶんと不器用な招き方だ。


 が、ネコ(と思っているもの)への熱情だけはひしひしと感じられる。


(これは……忍びない)


 ルカはそれ以上粘ることはせず、その場で立ち上がった。


 ばさっ、と茂みが割れて、葉っぱをくっつけたルカが顔を出す。


「にゃ」


 ネコへ呼びかけていたノエルの声が途切れて、凍り付く。


 さすがのルカも、この状況をからかうことはできなかった。

 気まずそうに、口を開く。


「ごめんねノエル、実はぼく……ネコじゃないんだ」


「………………知ってるよっっっ!」


 真っ赤になった顔で、ノエルは怒鳴り声を上擦うわずらせた。

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