1 ともだち と 秘密

 クオは黒板を見つめていた。


 あおを帯びた黒い双眸そうぼうと二つに結んだ長い髪、ぴしっと背筋を伸ばした小柄な少女の視線の先には、丸っこい文字が飛び交う黒板がある。


「──というわけで、多数決の結果出ました!

私たちのクラスは文化祭の出し物、演劇をすることになりまーす」


『わあーっ』


 教壇きょうだんに立ちクラスの話し合いを取りまとめていた女子マルティナの明るい宣言に、教室がほがらかな拍手に包まれる。

 クオも周りにならって真面目な顔でぱちぱちと手を叩いていた。


(文化祭の出し物……こ、この任務、必ずや成し遂げなければ……!)


 なにやら堅苦しい思いを胸に、クオはひとり決意を拍手にこめるのだった。




 人類と魔女との長きにわたる戦争が人類勝利によって終局を迎えて早半年。

 平和を取り戻したリーゼンワルド王国では、人類の営みと復興が急速に進められた。


 教育環境の再開もその一つ。


 ここウルラス学園は学びの分野が豊富なことで知られている女子専用の学び舎だ。


(この任務も『普通の生徒』として積極的に参加し、状況に貢献しなければ、です)


 クラスの女子たちがうきうきした表情で拍手したり談笑しているなか、クオは心のなかで任務だの状況だのと硬い言葉を巡らせている。


 それもそのはず、クオは王国軍に所属している軍人なのだ。


 ──クオがその素性を隠して学園の生徒となっているのは、ある任務のためだ。


 それは王国軍特殊部隊〈魔女狩り〉の隊員であるクオが戦後の世界に適応した存在であることを証明するため、『普通の生徒』として三年間学園に通う、というもの。


 素性が知られたり、〈魔女狩り〉の力を使ったりすれば「危険兵器」とみなされ廃棄処分にされる、極秘で命懸けの特殊任務。


 かくしてクオは粛々と通学し、今日も任務に励んでいる。




「おやおや。堅っ苦しい顔でなんか考えてるみたいだねえ、クオ」


「ひゃうっ? わわわ、ル、ルカ」


 隣の席から無造作に顔を寄せられ、クオはへんな声を上げた。


「ぷふっ、そんなにびっくりしなくてもいいじゃない」


 あどけなさと老成した雰囲気が不思議と同居する漆黒の瞳。

 白に近い薄墨うすずみ色の長い髪をリボンでまとめたせ型の少女だ。

 ルカは全身で緊張をあらわにするクオの反応を面白がるように、薄い笑みを寄せる。


「楽しみだなー、ぼく文化祭なんて生まれて初めてだよ」


 一か月後に開催されることになった文化祭。

 戦後の開校を記念した行事としてクラスごとに出し物を披露することとなっている。

 学校関係者限定とはいえ初の大きな行事とあって、みな気持ちが華やいでいた。


「演劇って舞台に立って喋ったり動いたりするやつでしょ?

 クオはなんの役が似合うだろね」


「ひえ」


 途端、クオが声を凍らせた。


「そ、そそそそんなっ。わわっ、わたしが役者になるのはっ、とうてい不可能なのでっ」


 ぶるぶると高速で首を横に振りながらまくし立てる。


「黒板には、演劇のための役割が、他にもありますのでっ、わ、わたしは舞台の小道具やセットを作ったりという密やかに遂行できる裏方の任務を希望したい所存なのですっ」

「ええー、いいじゃない。きみの華麗な立ち回りは、きっと舞台でも脚光を浴びるよー?」

「ととっ、とんでもないですっ。舞台の上に立って、人にじっと見られるなんて──っ」


 自分で口にしておきながら、クオは顔を真っ青にしていく。


「役者になるくらいなら、軍大隊の銃口を向けられている方がよっぽどマシですっ。

 銃弾ならけられますが、人の視線は避けられないのでおろ、恐ろしいことです」


「ぷはは。そんなに苦手かあ」


 必死に弁明するクオのもののたとえが極端すぎて、ルカは吹き出した。


「クオがそんなに言うなら推薦はやめておこうかな。

 舞台の上できみの心臓が止まっちゃったら大変だもん」


「わわ、は、はい。舞台で役者などという任務は、身が持ちません、ので」


「そりゃ軍のヒトでも過酷な話だ」


 こくこくうなずくクオを、ルカは肘をついて眺める。


「魔女たちも、まさかきみがとてつもなく人見知りだなんて弱点、知らなかっただろうね」


 王国軍特殊部隊〈魔女狩り〉。


 人工的に魔女の血を取り込むことで特異の力を獲得した少女兵士たち。

 そのなかでも兵器とまでうたわれる最強戦力をほこったクオは〈魔女狩りの魔女〉と王国軍部ではあだ名されているほどだ。


 と同時にクオは人前では固まって喋れなくなる、極端なまでの人見知りという一面もある。


 ルカはそんなクオの素性から内面、秘密の任務までを知り尽くしているクラスメイトであり、ともだちだ。


 ──そして。


「まあ、知ったところできみをやっつけるなんて戦場の魔女には無理だったろうけどさ。

 いくら同族だろうと、ぼくの忠告なんて魔女も聞かないだろうし」


 小声とはいえ、さらっと口にするルカの軽さに、クオがぎくっとしてしまう。


「るっ、ルカっ。あ、あんまり魔女とかその、簡単に口にしちゃ、だめですよっ」

「もちろん。周りの誰にもバレないように気をつけてるよ」


 ルカはすいっと自分の口元に人差し指をたてて微笑んで見せる。


「きみは〈魔女狩り〉でぼくは魔女。

 お互いの秘密を守り合う、ぼくらは共犯ともだちだからね」


 目の前で人懐っこく笑いかける少女ルカの正体は、魔女だ。


 魔女──かつてこの世界で人類と存亡をかけて争った種族。

 漆黒の髪と目、白皙はくせきの肌の女性体であり、その身を巡る〝万能の黒血こっけつ〟による魔力で長きにわたり人類に脅威を与えてきた。


 先の戦争で〈魔女狩りの魔女〉であるクオが繁殖主である母体魔女エンプレスたおしたことで、滅びゆく存在となったもの。


 だが、ルカは見た目も今クラスにいる少女らとなんら変わりない姿をしている。

 その外見も持ち前の魔力も魔女にとって異質な存在だったらしい。同族の魔女たちから長年疎外そがいされ、結果として生き延びた。


 終戦を機に「ヒトに紛れて生きることにした」のだと、ルカは語っている。

 そのため学園に生徒として通っていたところに、特殊任務のためクオが編入して──


 ひょんなことから二人は互いの秘密を知ってしまった。そこで。


 クオは任務を遂行するため、ルカの正体を。

 ルカは平穏に生きるため、クオの素性を。

 守り合うことを約束したのだった。


 本来なら天敵同士の二人が、クラスメイトであり、共犯者であり、ともだちとして。

 学園生活をともに過ごし、軍幹部による〈魔女狩り〉を巡る陰謀を乗り越え──


 二人の奇妙な「共犯ともだち関係」は今日も続いている。


「クオったら。そんなに心配なら……喋る時はもっと耳元で話そうか?」


 ふっとルカの黒瞳こくどうがいたずらっぽいつやを帯び、次にはクオの耳元に唇を寄せる。


「──この距離で、これくらいの囁きなら誰にも聞かれないでしょ」

「──! ひわわわわわ……っ」


 ルカの声の振動と吐息のぬくもりが不意にクオの耳の縁を襲う。

 急接近する気配にクオは目を回した。


「そ、そそそそんなに近くなくても、で、だだだ大丈夫です、ので、そのっ」


「でもさ、こっそり喋らないと。大切な秘密を守るために──でしょ?」


「ふひゃ」


 ぞわぞわぞわ──と、クオは身を震わせる。

 かつて戦場で魔女と対峙たいじしていたとき以上に、全身が強張ってしまう。


「るるる、ルカっ、秘密は必ず守りますのでっ、こんなに近くなくても、大丈夫ですっ」


「ほんとー?」


「ひぅ」


 またしても耳をくすぐる吐息にクオは息をみつつ、こくこくと頷いた。


 ──なんだか最近、ルカは何かにつけてクオに近付き、必要以上に距離を詰めては接触をしてくる。


「ほっぺたがフカフカで最高ー」と言っては両手で頬をねてくるし、

「ねむたーい」と言いながらクオのふとももを枕に居眠りしたり、そのまま腰に抱きついてきたりする。


 人との接触が緊張の要因であるクオからしたら心穏やかではないのだが……。

 クオの間近で幸せそうに頬を緩めているルカを見ていると、抵抗できなくなる。


 こういうスキンシップが、魔女にはごく普通のものなのだろうか?


 ──とはいえ、ルカの囁きは刺激が強い。


 温かい吐息と声の振動がどんどん耳にこもってくる。

 クオは抑えた声を、懇願こんがんするように絞り出した。


「ルカ、こっ、こまりますっ、そのあの、こんなに近くで、いつも喋られますとっ、はな、話ができなくなってしまいます、です──っ」


「ふぅ」


「~~~っ!」


 答える代わりにルカが息を吹きかけるので、たまらずクオは立ち上がってしまった。


 がたん、と椅子が派手な音をたて、教卓の前に立つ文化祭クラス代表のマルティナが視線を向けた。


「──ん? クオちゃん、どうしたの?」


「はぅわぁっ⁉ いえ、あの、はい、ななっ、なんでもないのですっ。すみませんっ」


 ルカの耳元攻撃ですっかり顔が真っ赤になっていたクオが大慌てで答えた。

 ひっくり返った声がざわめく教室に響き、みなが顔を上げる。


「どうしたの?」と何気ないクラスメイトの視線もクオへ注がれていく。


(──────ひゃぁーーーーーーーーーっっ)


 きょとんとした大勢の目がクオを見る。

 過酷な戦場ですら及びもつかない危機感がクオを襲った。


「クオちゃん、なにかあるの? 今から演劇のキャスト決めるとこだけど」


「はわわわわわわわ……」


 もはや会話が成立しない。

 半開きの口から、溺死できし寸前じみた情けない声だけがこぼれる。


 そのままバタンと後ろに倒れそうになる──寸前、


「はいはーい。ちょっと質問いいかな? 大したことじゃないんだけどさ」


 ふいっと片手を上げて注目を寄せたのは隣の席のルカだった。

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