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学振DCとPDの思い出
時期なので学振DCとPDの思い出を書こう。普段から偉そうな口を聞いている姫百合しふぉんだが学振DC1は落ちている。当時、別大学の附置研究所に籠もってそこの人と二人で書いた実験の論文、それも2nd Authorのものが一本あるだけだった(ちなみにこの論文は未だに自分の論文で最も引用されている……)。まぁ今思うと、自身の研究内容は修士一年の頃に偉い先生の話を聞いて面白そう、と修士の中頃からやり始めたものだから文章の構成も甘かったんだと思う。今思うと、としてあるのはもう原稿ファイルを無くしたから、現職になってから地方大学なので学振DCやPD通る人は少ないため、別の研究室の人に学振書類見せてよみたいに言われることがあってそこで気がついた。
さて、博士課程のときに都落ちして別の大学に移った私は、ボスぴからリサーチ・アシスタントとして月に10万弱くらいのお金をもらっていた。そして一年目に学振DC2に出すことになる。これは補欠だった、出した時点では自分が主著の論文が査読中、面接時に無事Acceptされたという状態だった。これに通って非常に嬉しく思ったのだが、当時の私は元いた研究室の一学年下の人がDC1に通ったことに非常に嫉妬したのを覚えている。未だに「DC1の人は大成しない、DC2は実力で通るし敗北を経験しているから研究者としての能力が高い」とか宣うくらい根に持っている、まぁ自分は変なところで小人なので……。
学振DCは月20万円を日本学術振興会からもらうことができ、更に年間100万ほどの研究費をもらうことができる。そう多い額ではないが何も不安もなく研究に打ち込むことができるくらいだ、兄が高卒で父母共に酒タバコギャンブルをやらないため田舎から出て都会の大学に長々と通うことができていたがそろそろ定年が近く、親の庇護のもと甘やかされている状態から脱却しなければならないと思っていた私にとって扶養を離れることができたのはとても嬉しかった。ただ冷静に考えるとおそらく東京で暮らすのは難しい、具体的に言うと東工大ならば南側に住めばなんとかなるだろうが東大だと暮らせないぐらいなのではなかろうか、東大のポスドクしてたときの家賃を思うと(しかも決まったのギリギリだから巣鴨と千石の間くらいという)。私は博士課程の頃は変な経緯で地方大学にいたので楽に暮らすことができた。みんなも博士課程は地方大学に行こう!
まぁこんな感じなので学振PDは一回目は落ちて、博士号を取るときは二月終わりまで職が決まってなかった。んで、東大に一年勤めたあと、そこの研究室の人と何本か共同で、自分の方も博士時代のまとめを何本か書いて次の年に学振PDを無事取ることができた。学振PDは三年のあいだ月36万を日本学術振興会からもらうことができて、更に年間100万ほどの研究費をもらうことができる。ただ、その頃はちょうどもう私の指導教員だった人あたりの世代が続々引退する時期だったので、十ヶ月ほどで地方大学の助教になった。今思うと二年分の研究費を損している、まぁあれくらいならギャンブルで作ればいいので……。これは笑い話だが、あまりに早い助教化で一部の人が「もうちょっとポスドクしてたほうが良かったと思う」と言っていたらしい(今の子たちはもっと爆速で助教になるのだが)。まぁわかる、助教になってからポスドクもどりてーとなんども言ってるから。ただ総合的に見ると助教になってからのほうが研究面でもいいと思う、ただこれは私が理論系で実験装置が豊富なビッグラボにいる必要がないというのが大きい。結局外に移ってもビッグラボにいる必要のある人とは共同研究できるわけで……。ただ、ああいう訪問者が多くセミナーや議論の機会が多いという場から田舎に移って一人でいることが多く、脳が腐りそうよ、ってなっているのでその面は良くないと常々思っている。
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