その4 非日常の始まり─後編─

 私たちは教室の反対側にある多目的室へ向かっていた。廊下は下校中の生徒であふれていて、流れに逆らって進むせいで辿りつくのに時間がかかっていた。

「ふぅ…。やっと着いた。」

 人にもみくちゃにされた私は疲れてため息をついた。

「先生の話では、ここに山田さんがいるみたいですけど…。どうしてこんなところに?」

 紗穂ちゃんが考える。

「もしかして…また窓ガラスを割ったとか?」

 詩穂ちゃんも、それに答える。

「椅子をピラミッドみたいに組みあげたとか。」

「学校から抜け出したとか?」

「学校中の水道を出しっぱなしにしたとか。」

「それなつかしい!あのときは直幸が見つかるといきなり水が止まったんだよね〜。」

「卒業した今でも小学校の七不思議に数えられているみたいですよ。」

「へぇ〜!あとは何をしたっけな、ナオ。」

 山田さんがこれまでにしでかしたことが多すぎて、2人の思い出話が止まらなくなっている。

「ストップ!もう2人共、いくら山田さんでもすぐにそんなことできるわけないでしょ!」

「たしかに。そんな時間無かったもんね。」

 入学式が始まったのが午前9時。それから終わるまで2時間はずっと私の隣にいて、終わった後に山田さんは姿を消した。そして今は11時25分。さすがにこんな短時間で事を起こすことはできないだろうという意見が、私たちの間で一致した。

「それじゃあ、なんでこんなところに…?」

「きっと入ればわかるよ!早く行こ?」

 私はドアを開けて多目的室に入った。

 驚いたことに、中は空っぽで誰もいない。

「あれ!?誰もいないよ?」

 私が声をあげると、紗穂ちゃんたちも入ってきて周りを見回した。

「ホントだ!もしかして…先生嘘ついた!?」

「「まさか、そんなわけないでしょ

 まさか、そんなわけないだろ」」

「「「!?」」」

 詩穂ちゃんの声に重なって、誰かの声が聞こえた!この声は…

「山田さん!?」

「あぁ、その通り。」

 私が驚いて叫ぶと、誰もいないはずの教室からまた声が聞こえてきた。

「ナオ!さては朝あたしが驚かせたから仕返ししようとしてるんでしょ。もう驚いたから、早く出てきて!」

「そんな理由で俺がこんなことするわけないだろ?まぁいい。」

 そう聞こえたあと、多目的室の中央に人の靴が見えた。段々見える部分が上がってきて、何もない空間から山田さんが現れた!

「ほら?出てきてやったぞ?」

 私たちは、驚きすぎて何も話せなくなってしまった。しばらく沈黙が流れる。

「おーい。どうしたんだよ。」

「…どうしたんだよじゃないよ!!!!一体全体いつ練習したの!?」

 紗穂ちゃんの声が多目的室に響きわたる。その言葉に、こんどは山田さんが驚いている。

「…は?」

「とぼけないでよ、も〜。さっきの、マジックでしょ?紐もなんにも見えなかったし、よく練習したね。」

 多目的室がまた静まり返った。

「そっ、そうですよね!よくできたマジックですよね!私も動体視力はいい方なのですが、さっきのは驚きました。種も仕掛けも見破れませんでした!!」

 マジック…?そうだよね!マジックだよね!私たちは混乱していた。だって人がいきなり現れるなんて、私でもありえないって分かる。でも、2人がマジックっていうなら、きっとそうだよね!

「でも、授業抜け出すのはよくないんじゃない?ほら、一緒に先生のところ謝りに行こうよ!」

 山田さんはずっと呆れたようにこちらを見ている。

 あれ?これ、マジックじゃない感じ?!

「…えっと、私たち、なにか間違えちゃった?」

「ああ、大間違いだ。だが、そう思うのも無理はない。今日はお前らにもちゃんと説明しようと思ってここに来てもらったんだ。」

 一息ついたあとで、山田さんが言った。

 その返事は、想像を軽く超えてくるものだった。

「俺が今まで言ってきたこと、あれは厨二病なんかじゃない。本当のことなんだ。」


「「「え〜っ!!!!!」」」

 今度は大きな声で私たちは驚いた。

「嘘でしょ!?じゃあ、アルティメットドラゴニウスっていうのも…」

「サキアカリっていうのも…」

「もしかして、入学式の幻も…?」

「ああ、全部俺がやった、本当のことだ。」

 多目的室にまた沈黙が広がった。

 山田さんが言っていることを、本当に信じていいのかな…?みんな同じことを考えているみたいだ。

「まだ信じられないみたいだな。こうなることは予想していたが。」

「当たり前でしょ。」

 即座にツッコんでしまった。

「だったらしょうがない。これからお前らを『地獄』へ招待してやる。」

「えっ!!行けるの?地獄に?」

 紗穂ちゃんが言った。その顔は、好奇心半分、恐怖心半分といったところだろうか。

「…絶対絶対、行きたい〜!!!!!」

 好奇心が勝ったようだ。

「ちょっと待ってよ紗穂!私は反対よ!」

「え〜っ?なんでよ〜。」

「当たり前じゃない!!…そんなとこ、存在なんかしないんだから!」

 詩穂ちゃんが叫んだ。存在しないことを願うような大きな声だった。

「おい、落ち着けよ。まぁ、実際に見てみないと信じられないよな。」

 山田さんは、少し寂しそうな顔をしていた。山田さんの側に立って考えると、当たり前のことだ。自分が地獄から来たって言うなんて、とんでもなく勇気がいることだと思う。もしかしたら、信じてくれないかもしれない。もしかしたら、友達をやめられるかもしれない。そう考えることもできるのに言ってくれたのなら、この人たちには言っても大丈夫って山田さんから信頼されている証拠だよね。

 なら私も、信頼してるって伝えなくちゃ。

「私は信じるよ!」

 思ったより大きな声が出てしまった。3人が私に注目する。

「今まで山田さんと過ごしてきたけど…山田さんは、嘘ついたことないから!

 ついたとしても、軽い冗談だったから!

 それに、私は山田さんを信じたいから。」

「…ありがとう。」

 よかった、伝わったみたい。山田さんは、ホッとしたような笑顔を見せた。

「まぁ桃瀬2号も、お前も、実際に見てみないと分からないよな。ちょっと待ってろよ。」

 そう言うと山田さんは、なんと右手の親指を根本から噛みちぎった!濃い紫色をした血がボタボタと流れ落ちる。

「ちょっと山田さん!?何してるの!」

 私は心配で山田さんに駆け寄ろうとした。すると、すぐに血は止まり、ニョキニョキと指が元通りに生えた!

「嘘でしょなんで!?というか血の色大丈夫!?」

「これは俺に鬼の血が入っているからで…。って、今説明してもわかんないよな。」

 少し笑い、噛みちぎった指をペン代わりにして床に図形を書き始めた。

 私たちは今起きていることについていけず、ただぼぅっと見ているだけだった。信じるって言ったばかりだけど、だからといってついていけるわけじゃない。

「さて、出来たぞ。」

 約3分後、山田さんが多目的室いっぱいに描き上げた図形は、丸や三角、私には解読できない文字が複雑に組み合わさったものだった。

「これってあの魔法陣!?いつもスケッチブックに描いてたやつじゃん!」

 確かに、魔法陣は山田さんが幼稚園の頃に何枚も描いていたものによく似ていた。

「あれなぁ。執事が宿題に覚えてこいって言ってきて大変だったんだよな。」

 本当に大変だったのか、苦笑いを見せた。

「よし、そろそろ行くぞ。真ん中にこい。」

 私は魔法陣の真ん中に向かい、線を踏まないように飛び越えた。ところが、着地のときによろめいてしまった。

 転んじゃう!と思ったが、山田さんが受け止めてくれた。恥ずかしい…。

「大丈夫か?」

「あ、ありがとう。」

 顔赤くなってるの、バレてないよね?気を取り直して私は立ち上がった。

 魔法陣の外側では、紗穂ちゃんが詩穂ちゃんに話しかけていた。

「ほら、詩穂。早く行こ?」

「ダメ…ダメだよ、行ったら。」

「どうしたの、顔色悪いよ?先に帰る?」

「もっとダメ!!ねぇお願い紗穂。一緒に家に帰ろう?ね?お願い!」

 詩穂ちゃんは、何かに取り憑かれたように紗穂ちゃんを引き止めている。

「…詩穂。何があったのか分からないけど、詩穂が行きたくないなら私は止めないよ。だけど、私は行きたい。出来れば詩穂と。」

「…分かった。私はもう忠告したからね。」

 そう言い残して、詩穂ちゃんは廊下に出ていしまった。

「詩穂ちゃん?!」

 私は追いかけようとしたけど、山田さんに腕を掴まれた。

「離して!」

「やめておけ。あいつにもあいつなりの考えがあるんだろ。」

「でも…。」

「あいつは賢い。気持ちの整理がついたら、また声を掛けてみるさ。ほら、桃瀬1号もこっちに来い。」

 紗穂ちゃんはしばらく廊下の方を見つめていたが、振り返ってこっちに来た。

「それじゃあ行くぞ。少し眩しいから気をつけろよ。」

 山田さんは目を閉じて呪文を唱え始めた。もちろん意味は分からない。

「I magikí mou dýnami, apelefthérosé tin tóra!」

 段々魔法陣が紫色に光り始めた。呪文のスピードに合わせてどんどん強く輝いている。

「Evlogíste tis psychés mas kathós katefthýnontai sta váthi tis gis!!」

 私は固く目を瞑った。

 詩穂ちゃんもいないし地獄がどんなところかも分からないしで不安でいっぱいだけど、これから私たちの日常が終わり、非日常が始まる。

 そんな気がした。

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