第18話
「今度という今度は呆れ果てたな。ジェラルド」
低く轟いた声を、まず背が受け止めた。深く鋭く、それは抉る。扉が開いたことにより吹き込んできた風、その爽やかさなどまるでなかったというように。
「いくら君とは言え、聖域の貴重性くらいは理解していると思っていた。我が身の浅はかさを責める思いで胸が苦しいよ」
この上なく優雅にマントを脱ぎ捨てながら、長身の男は続ける。その声を聞き、その姿を認め、ジェラルド・カーストンともあろう男が凍りついた。
歩幅も大きく近づいてくる。絨毯だというのに、まるで石牢であるがごとくに足音が重苦しく聞こえる不可解が迫ってくる。
落とされたマントは、追いかけて入って来た従僕(先ほど玄関にいた年嵩の方)が強張った顔で拾い上げた。車寄せからこの部屋までの先導を延々と無視され続けてきたとみえる。ローダーディル伯・クリストファー、圧倒的な登場だ。
「医者はまだ来ていないようだな」
部屋を見回し、大きく息をついた。肩から力が抜けるのもわかりやすく。
「た。ただいま参りますが」
なんだ、その変な言葉遣いは。
温度がまったく感じられない冷ややかな顔。真冬の風が渦を巻く。季節の先取りも激しく、もはやこの部屋は凍えそうに寒い。
「必要ない。追い返せ」
「は」
「寝てるだけだ」
「寝て」
会話の中身がまるでない、阿呆のようにおうむ返し。ジェラルド・カーストンともあろうものが(二回め)、言葉を見失っている。
「誰に似たものかその娘は、恐ろしく酒に弱い。いや弱いなんて言葉では足りないね。ほんの香り付けの菓子なんかでも駄目だ。そんなものでころころと倒れる。原因がわかるまでは、大騒ぎだったらしい。奇病じゃないかと名医を求めて大陸を南下したり、果てはウィッチドクターにも相談を持ち掛けたとかね」
「ウィッチ……ドクター……?」
初めて耳にする言葉だった。いやそれよりも、酒?
「幸いにして僕が出会った頃には原因は判明していた。以来、口に運んだことはないはずだ。大変に気を付けて生活をしている。これは君のグラスなのではないかな。ジェラルド・カーストン」
クリストファーは絨毯に転がっていたそれを拾い上げ、かざす。ガラスは光を集め、複雑なカットがそれをあちこちに反射させた。そんなものすら不穏に映る。揺れる光の不安定さが、視界を揺らす。
ウィッチ。先の単語はこれを目指して出てきたものか。
ジェラルドは弁解にかかる。これがまた彼らしくもなく慌てふためき。
「ワタクシは決してお嬢様に強要などは」
「君の強要に従うわけもないことなら、君よりもよく知っている。だが」
断固とした調子で遮られた。ここでは唾を呑み込むべきだ。ローダーディル六百年の歴史を背負い、伯爵は愚者を威圧している。
「君の誘導に引っかからないわけでもないことも、だ。不幸にして教育が追い付いていなくてね」
一歩――幽閉された伝説の王(足枷付)にも負けない重い一歩が、掠めんばかりの場所に下された。
身を竦めることもできずにいるジェラルドには目もくれず、クリストファーはその腕の中で動かずにいる娘の頬に触れた。
遠慮なしだが、乱暴ではない。そう、医者、あるいは父親のように。
メアリーアンの睫毛が震えた。従兄様だとわかっているのだろうか。
「朝には目を覚ますだろう。泊まる。部屋を用意してくれ」
指示はジェラルドを飛び越え、従僕へと飛ぶ。従僕の方も主人の存在など気に掛けることもなく、直ちに体の向きを変えた。その背に向かい、クリストファーは重ねる。
「これ以上の面倒はごめんだ。医者を断るのも忘れるな」
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