第16話
言葉は室内を満たし、しばらくの間消えようとせずにその存在を示し続けた。
甘くはない。ふたりの間に甘い空気などは生まれない。どころか重苦しい沈黙が、じわじわと取って代わる。部屋にあるものが端から沈み込んでゆくような、重量を感じさせる空気が満ち。
ジェラルドは振り払われなかった手を、この上なく優しく、メアリーアンの膝に戻した。
ジェラルドにはわからない。予測できる答は、当然のことだが二通り。ウィ、か、ノン、か。(何故に隣国の言葉が出てきたのだろう。雰囲気か? あのアムールの国じみた展開のみを期待しているためか?)
どう転ぼうとも構わない。どちらであろうとおもしろい。そんなことなら確信する。
唇に笑みをのせ、寛いだ姿勢で、ただ待つ。メアリーアンは何を思いつくだろう。険しい顔をして、何をどう考えているのだろうか。
ワタクシをとっちめるその方法? この状況からのより効果的な脱出をめぐらせているのだとすれば、それが最もメアリーアンらしい。
まるで八方塞がった子どものように地団太を踏み、「意地悪!」とでも叫んでクッションのひとつもぶつけて寄越すか? 氷の視線を放ち、大人ぶった表情で無言のまま去りゆくか。
あるいは平手打ちということも? その華奢な手で強烈に一打ち。意地悪どころの話ではない。卑劣だと言われても申し開きの言葉もない申し出を、ジェラルドはメアリーアンに持ちかけているのだ。
クッションも手のひらも(視線だって)とりあえず避けよう。ジェラルドは口角が自然に上がるに任せながら考えていた。
ジェラルドの思考は、自分が耐えることでメアリーアンの気持ちが治まるのなら、とは進まない。だってそんなの痛いじゃないか。逃げられるものならば、逃げたいものだ。
とはいえ、この申し出は利にかなった一面もあることが確か。そもそも現在の状況において他により良い手段などはない――のではないだろうか。
真実友を救おうとする場合、ただの娘に何ができようものだろう。目に見えぬ巨大な、けれど厳然と存在する、恋する彼らを隔てる壁を、打ち破る手立てなどありはしない。
笑い飛ばせない。向かって行けぬ程内側に属するメアリーアンは、だから理解もするのではないか。自分の手の中に武器などないということを。
張り詰めた時間はその只中にいる間は果てしなく長く、終われば朝霧のようにあっという間に消え失せた。
立ち上がる姿をジェラルドは目に映す。ふらりと、よりは、ゆらりと、が似合う風に、メアリーアンは、驟雨に濡れたウィロウの垂枝のように揺れた。
遠慮なく見つめているジェラルドには一瞥もなく、一歩を前に進める。扉とは逆の方向だ。出て行くつもりではないらしい。
よろしい。今宵やっとよろしいと肯ける行動がとられているかもしれない。などと微笑むジェラルドからは、断固とした一歩を踏むその表情は見えないが、それがわからぬわけもない。
おそらくは、唇を硬く引き結び、怒ったような顔をしている。もう三歩。その足はふいに止まり、しばしの停滞。やがて動いたのは腕だった。
腕。手、指。手袋なしの、指がグラスに掛けられた。まずは人差し指がその縁に、瞬間触れる。それから五本の指のすべてを使い、細いその手が持つと大きさばかりが目立つクリスタルを取りあげる。
そして。
あおったのだ。一息に、グラスを空に。
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