第9話


 各自がそれぞれに考え込んだ沈黙の一時を経て、再び部屋は芳しき紅茶の香りに包まれた。


 二度目のポットの為に開いた扉。その向こうの廊下に、ジェラルドは彼の家政婦の姿を見た。


 目が合う。艶やかに微笑んだ。一通りのことを心得ていることを匂わせる、大人の笑みだ。


 ジェラルドも笑い返した。むしろ屈託なく。そういう意味では駆け引きいらず。少なくともただ一人でも、主人と使用人はうまくいっているという証拠。


 湯気を立てるお茶をメアリーアンは、とても静かに、


――一息に飲み干した。


 予期せぬ緊張に喉が渇いていたこともあったのだろう。やがて話し出した声はとても小さく、話題の負の性質がそのままに顕れていた。


 決して歓迎すべき種類ではないのだ。もっともジェラルドとの間で、そうではなく話が弾んだことなどはない。そして今、この場にいること自体が歓迎すべき事態ではないことが重い。


「私がお話をしたいのは、あなたのお兄様と……」


 視線が一瞬、ジェラルドを掠め、過ぎた。一瞬。

 けれど深い。


「……のことだけれど……」


 ジェラルドは聞き取れなかった。空中に放たれたその名前。現在メアリーアンを悩ませ、自分をも得体の知れぬ大渦に捲き込むのかもしれぬ女の名。


 声の大きさではなく、受け取る側の心が拒んだが故のことかもしれない。


 あぁ!


 ジェラルドはわざと大きな声を出した。そして、大げさに手を叩く。オーバーアクションは常ことだが、それを超えている。


 撥ね退けたいのだ。ゆっくりと、けれど確実に手を伸ばしつつある、闇を。


「その話なら私も聞いていますよ。今朝のこと、あぁいや、昨日の昼過ぎだったか。もしかしたら一昨日の夜ということもあり得る」


「いつだっていいわ。内容の方を続けてください」


 ため息混じりの声は平たく、冷気すらあった。カーストンの次男坊。社交家のこの男がシーズン只中のこの時期をどう過ごしているのかならば、想像に易い。


 毎日似たような茶会、夜会、劇場を廻り続け、そして酒と共に暮らしていれば、時間どころか日の感覚も甘くなろうというものだ。


 メアリーアンは細い首を振る。社交界は嫌いだから。


「続き。と仰いますと」


「どんな風に、どなたからお聞きになったのかを知りたいんです。人によっては、悪いことだけを並べているのではないかと気になって」


「名を明かしては害を為すでしょうから言いませんが、ひとりやふたりではありませんよ。私を、いや私たち兄弟を、いやいや我が家門を、かな? 気にして下さる心ある方たちから、ですね。すでに話はあちらこちらに振り撒かれているらしく、私が知ったのは遅い方という事態のようですよ」


「……そうなの……。それでは」


 ヴィクトリアさんではないのね。

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