第8話

 的なら射ているのだ。メアリーアンは言葉を返さなかった。


 うつむいている。唇を噛んでいるかもしれない。乾かされたばかりのふわふわとした髪がかぶり、表情を隠してしまっていた。


 メアリーアンにとって助けとなっており、ジェラルドには残念なことに。


「では、私のためにと言い張るのはこの辺りでよしましょう。大人の私が折れて差し上げなくてはね。あなたを文字通りの濡れネズミちゃんから今の状態まで持っていった、我が屋敷の者たちのことを考えて、そちらにお戻りなさい。そしてお茶を飲む。あなたの為にこの夜に仕事が増えたわけです。無駄にしては申し訳ないと思うでしょう?」


 思わないはずがない。メアリーアンはジェラルドとは違い、常日頃からすべての人間を仕事を、意識しているのだから。なんということか労働者を尊重している。


 ジェラルドの言葉に従うことにはなろうが、指摘がそこに及んでは、戻らざるを得ない。メアリーアンは無言で腰を下ろした。他に音のない部屋に衣擦れの音だけが、やけに響く。


 耳を澄ませば外の音を拾うこともできそうだ。重厚感充分に垂れ下がる分厚いカーテンの向こう窓の向こうで、雨はまだ激しく続いていることだろう。冷たい街は、まだ新しい記憶として肌にある。


 陶器が触れ合う微かな高音に、ジェラルドは意識をこちらに戻した。メアリーアンがカップを下ろしたところ。


「厨房が選んだ茶葉はお口に合いますかね」

「冷めてる。厨房の方に責任はないけれど」


 それでは責は誰にあるのか。もちろんジェラルドだと名指しているのだ。すべての悪を押し付けようとしてはいないか? 


 冷静になって誰というのであれば、ただ普通にもてなされるだけことを拒否した自分自身ではなかろうか。


「また子供みたいな口をきく。いいですよ。お従兄様のクリストファーのように、お世話をしてみたいと思わなかったわけでもない。あなたの方もお望みだとは知らず、無為な時間を過ごしてしまっていた」


「いいえ。望んだことなど一度もないわ。クリスのようにだなんて、誰であってもお断りだもの」


 その答えもまた子どもっぽい。ジェラルドは笑い、ここまでの騒ぎにも動じることなく控え続けていた(もちろん内心沸き立つ思いは躍らせていただろうが)メイドに向けて、手を挙げて見せた。


 立ち上がり音もなく出て行く――と見せかけて、扉を薄く開き、そこにいた誰かと話をすると、すぐに元の椅子に戻った。


 目線の高さから男と知れる。そこにも人を配置しているということは。


 その意図を正しく理解し、ジェラルドは自らの使用人の、主人に対する評価を受け取る。そして、疑問は生まれた。


 彼らは誰のために動いているのだろうか。メアリーアンにしたのと同じように、彼らにも繰り返して伝えなくてはならないのだろうか。


『私が権利を与えられているこの屋敷で』と。


 若い従僕やメイドには通じようが、上層の数人には笑い流されそうだ。幼き頃のエピソードを忘れようとはしない面々がいる限り、若者たちも引き摺られて、すぐに笑い話になるだろう。


 何より若い家政婦が強敵ではないか。主人(の息子)の権利に歩み寄らせるために何が効果的かを考えたが、すぐに(の息子)と自ら言っている時点で敗北なのだと思いなおした。


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