第4話

 雨を避け短い距離だが疾走し、ホールに飛び込んでみれば、そこは軽く騒動の場だった。

 

 親父様世代に旋風を巻き起こしたギリシャ風。造られて以来静閑しか知らずにいた柱飾りにしてみれば、この程度でも大した騒ぎだ。まず、常よりかなり人間が多い。


 現男爵夫妻が若かりし頃に購入したこの屋敷は、その目的を街の隠れ家と決めており、客人を迎えたのはほんの数回に過ぎない。数年前から、主たる利用者が息子にと変わってからも、その情況は変わっていなかった。


 比すれば大きな差を付けて社交家の息子――ジェラルド――も、穏やかなる父の静かなる屋敷で、友人たちと集おうとも、女性と密やかに過ごそうとも、思わなかったのだ。


 故に使用人の数も最低限と抑えられているのだが、今はそのほぼ全員がイレギュラーな事態に参加しようと集合しているようだった。


 祭か? などと思う。居て当たり前の使用人群。その人数、顔ぶれを意識したことなどなかった。


 今日は記念すべき日になろう。新しいことはオモシロイに進む。奥へと移動して行く賑やかな人垣の中にかろうじて、彼女の濡れた髪が見えた。


 あのような色をしていたか。

 先ほどの瞳の色に続き、その常態を思い出せずにいる。


 主人の自分が乗り出さずとも、善きに計らってくれるだろう。いやむしろ、乗り出すよりはるかに、と思い直す。


 ジェラルドは適材適所思考の信者である。人は生きることに於いて、無理をするものではない。


 だから自分はこうして、見送るばかりの状態が正しい。口元が自然に緩む。また、オモシロくなっていた。


 彼女はいつも、予想外をお供に連れている。こんな有様のホール、親父様に見せて差し上げたいではないか。


「なにをお連れになったのかと思ったら」


 その声は、盛り上がるジェラルドの気持ちを引き止めようとするかのように低かった。気付けば横に並んでいた女性が発したもの。『なにを』の低さは聞き取れないほどだ。


 凛々しい黒に身を包んだ、一目見た人間のすべてが美女と認める美女のその女性は、睨み付けるような目で主を見ている。


「驚いただろう。拾ったんだ」


 答えるジェラルドは得意気だ。


「落ちていても驚かないわね。あの子なら」

「うん。僕もあまり驚かなかった」


 そうだっただろうか? 実はよく覚えていないのだが。


「あなたに付いてきたことが驚きよ。天地鳴動。明日があるのか不安になるわ」

「そこまでのことか?」


 応えは短い笑い声。続けてパン、と手を鳴らし、


「さ、行ってくるわ。誤解したメイドたちが失礼を働かないように見張らないと」


 そのような態度に出たメイドをどんな目に合わせようというのか、黒いお仕着せの袖を捲る。ジェラルドはその張り切った様子を恐ろしげに見ながら、


「そんなメイドがいるのか、ここには」

「稀にね。たまには。主に恋した馬鹿な娘」


「恋は大歓迎」

「あなたがそんな調子だから……ん、まぁ、これは後回しの用件ね。先にお嬢様のお手入れよ」


 じゃね、と軽い挨拶を残し、ジェラルドの使用人頭は去って行った。今ではホールに一人で残されていることに気付き、オヤ? とジェラルドは首を傾げる。


 なぜ従僕までもが消える? お連れしたレディのお世話にキミらの仕事はないだろう。物見高いのも、主人の責任か?


 静まり返ったホールに突っ立っていても仕方がない。自ら脱いだコートを腕に抱え、ジェラルドは奥へと歩き出した。中へ入れば誰かに会うだろうと考え。主人なのに。


 コートはじっとりと濡れてしまっていた。ミス・エルドリッジを馬車に招き入れたためだ。腕の部分は特にひどく水を含んでいる。メアリーアンを横に座らせたから。


 触れる、冷たい体。


 当たり前だ。春など言葉も忘れようというこの季節に、雨をかぶって歩くような真似をする奴がいるか。


 メアリーアンをそこに追い込んだもの。その内容を思えば彼だって頭が痛い。面倒なことからは脱兎よろしく逃げ続けてきたのだ。出来うる限り、考えたくはない。


 だからジェラルドは、オモシロい気分に帰ろうと。


 コートを激しく一振り。床に水滴を散らかすと、何事もなかったのように、歩き出した。


「いいかげんに誰か戻って来ないか? ご主人様が風邪をひくぞ!」


 薄暗いホールに廊下に、声は響き渡る。遠くに足音を聞いたようだが、こちらに向かったものかどうかは怪しいものだ。

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