薬局カヴァナーの危機3

「そんな……カヴァナー先生は、自分に出来る精一杯の事をしたじゃありませんか」


 マージョリーが話し終わると、アーロンが苦しそうな表情で言った。


「……でもね、後で文献を見てみたら、その一日二回の薬を一回にする治療法は、ちゃんと載っていたんだよ。私が勉強不足だったのさ」


 マージョリーはそう言うと、お茶を一口飲んだ。




「……それにしても、どうして三十年前の話が今になって広がったんでしょう?」


 ステイシーが、首を傾げながら言った。


「さあ……でも、私のせいで迷惑が掛かってしまったね。こんな師匠ですまない」


「いえ、先生は素晴らしい師匠です!!」


 ステイシーはガタンと音を立てて椅子から立ち上がると、叫ぶように言った。


「先生には、薬の知識や調合の技術だけではなく、患者さんとの向き合い方も教えて頂きました。誰が何と言おうと、先生は最高の師匠です!!」


 マージョリーは一瞬目をぱちくりとさせたが、すぐに穏やかな笑顔になって言った。


「……ありがとう、ステイシー」




 翌朝、ステイシー達は起きて身支度や朝食を済ませると、薬局の掃除を始めた。アーロンが玄関周りの掃除をする為に外に出たが、すぐに青ざめた顔で戻って来た。


「お嬢様、カヴァナー先生、大変です!!」


「どうしたの、アーロン?」


「薬局の壁に……落書きをされています!」


「ええっ!!」




 慌ててステイシーとマージョリーが外に出て確認すると、それは酷い有り様だった。白い壁の広い範囲に黒いペンキで文字が書かれており、そのほとんどが「疫病神」「こんな薬局潰れてしまえ」といった罵詈雑言だった。


「酷い……」


 ステイシーが呟くと、マージョリーも唇を噛み締めて言った。


「まさかここまでされるなんてね……」




 それから三人は何とか壁を綺麗にし、営業を開始した。しかし、患者がなかなか来ない。


「これは……人々が健康になっているから……ではないですよね」


 アーロンが顔を引きつらせながら言う。


「そうだと良いんだけどね……実際は、例の噂で患者さんが他の薬局に流れてるんだろうさ」


 マージョリーも溜息を吐いて言った。




 三人が落ち込んでいると、店のドアのベルが軽やかに鳴った。入って来たのは、すっかり顔なじみのアシュトン夫妻。


「おはようございます、アシュトンさん!」


 ステイシーは明るい声で挨拶するが、アシュトン夫妻の様子がいつもと違う。なんだか申し訳なさそうな表情をしているようだ。


「あの……どうなさったんですか?」


 ステイシーが聞くと、奥さんであるルビーが頬に手を当てながら言った。


「あのね、ステイシーちゃん。私達、しばらく他の薬局で薬を貰う事にしたの」


「え……」




 話によると、最近『薬屋カヴァナー』の悪い噂が広がり、アシュトン夫妻の娘さん夫婦が不信感を持っているらしい。そして、ルビー達にもう『薬屋カヴァナー』に行かないよう強く勧めてくるというのだ。


「私らはカヴァナーさんの事を信用しているが、あまりにも悪い噂が広がり過ぎていて、私らも娘達を説得しきれなかったんだよ」


 夫のコーディも苦しそうな顔で言う。なんでも、「不衛生な状態で薬を管理している」「薬の知識はほとんど無い」など、根も葉もない事まで噂されているらしい。


「そうでしたか……どの薬局に行かれるのかは患者さんが決められる事なので、私達の事は気にしないで下さい」


 ステイシーは、少し寂しげな笑顔でそう言い、アシュトン夫妻を送り出した。




「思ったより事態は深刻かもしれませんね……」


 アシュトン夫妻が帰った後、アーロンが眉根を寄せて呟いた。


「そうね……噂が広がり過ぎているわね……」


 ステイシーも難しい顔をしている。




 重苦しい空気が流れる中、薬局のドアが開いた。


「ステイシー。新聞を読んだよ、大丈夫!?」


 店に入るなりそう言ったのは、心配そうな顔のセオドア。


「セオドア殿下、おはようございます。……新聞というと?」


 ステイシーが首を傾げると、セオドアは手に持っていたゴシップ紙を彼女に手渡した。


「このゴシップ紙に、『薬屋カヴァナー』の悪い噂が書かれていてね。心配になったんだよ」




 読むと、先程アシュトン夫妻から聞いた根も葉もない噂がしっかりと書かれていた。


「そんな……こんな事書かれたら一気に悪い評判が広がってしまう……」


 ステイシーは、愕然としてそのゴシップ紙を握り締めた。


「既に落書きもされてますし、何とかしないと……嫌がらせがエスカレートしますよ」


 アーロンが言うと、セオドアがピクリと眉を動かした。


「落書き?それはまずいな。家庭教師から言われた事があるんだ。『街の落書きは治安悪化の兆候』ってね」




 そして、セオドアはしばらく考え込んだ後再び口を開いた。


「……カヴァナー先生、しばらく薬局を閉めた方が良いのではないでしょうか」


 マージョリーは、頷いて言った。


「そうだね……どんな嫌がらせをされるか分からないし、下手に営業を続けて患者さんに迷惑をかけるくらいなら、店を閉めた方が良いかもしれないね」


 ステイシーは、唇を噛み締めた。悔しいが、マージョリーの言う事に一理ある。




「……決まりだね。まあ、そんなに落ち込む事はないさ。薬局を閉めている間、ここで薬の研究が出来ると思えば……」


 マージョリーが言いかけた時、ガラスの割れる大きな音がした。振り向くと、店の窓ガラスが割られ、室内に大量のガラスの破片が降って来る。


「誰だ!?」


 セオドアがすぐさま店の外に飛び出すが、しばらくすると眉根を寄せて戻って来た。


「ガラスを割ったと思われる男二人を追いかけたけど、途中で見失った」


 そして、セオドアは待合室に飛び散ったガラスの破片を見ると、真っ直ぐとステイシーを見て言った。


「ステイシー、店を閉めるだけじゃ駄目だ。この建物から避難してくれ」


「え……」


「オールストン家に君とアーロンとカヴァナー先生をしばらく住まわせるくらい大丈夫だろう。大怪我をする前に、避難するんだ」


 アーロンも、珍しくセオドアの意見に賛成した。


「そうですね。お嬢様、カヴァナー先生。避難しましょう」


 こうして、薬局のスタッフ三人はオールストン家に避難する事になった。

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