紙面の先に読者を見る能力
まあ、文字通り、紙面の先にいる読者を意識し、どういう風に感情・思考が動くのかを予測する能力、になります。
そもそも意識すらしていない人
意識しても、その想像が上手くいかない人
どちらもいるとは思いますが、アマチュアレベルだと前者が圧倒的に多かった印象ですね。
逆にプロレベルだと、文章を書いた場合、この文章を書いたら、読者はこう感じる、こう想像する、というのを、1文単位でやれる人がけっこういるなぁ、という印象です。
そういう意味ではプロとアマチュアの差がけっこう実は出てるなぁ、と思います。
で、これが意識出来てないと具体的にどうなるか、というと・・・
まず文章が読みにくい、独りよがりなものになります。
だって読む人の事を考えずに書かれている文章ですからね。
読みやすいように、とかも意識されてない。
また、この手の人で多いのは、自分の脳内情報と、読者の脳内情報が違う事を認識できてないケースですね。
作者は知っていても、読者は初めて読むわけだから知るわけがない。
なのに、作者は知ってるから、読者も知ってるはずだ、みたいな文章を書きます。
この結果、とても読みにくい文章に仕上がるわけですね。
問題点の二点目は
演出力不足、です。
読者を意識していない=読者を楽しませようと言うサービス精神がそもそもないので、そういう方の作品を読んでると、山谷がないというか、凹凸がないというか、のっぺりとした感じになります。
いわゆる物語を面白くする細々とした演出を行わないからこうなります。
割とどの作品が、とかはさすがに明言は避けますが、
原作小説が面白いのに、漫画で見たらなんかすっごいのっぺりして平坦だなー、みたいなのを鷹山はちらほら見るのですが、コミカライズしている漫画家さんの「紙面の先に読者を見る能力」ひいては演出能力が不足しているケースも結構あるんだろうなぁ、と思います。
さて、じゃあ意識すればそれが治るのか、というとなかなか難しい問題です。
鷹山の経験上、出来る人は言わなくてもできるし、
出来ない人は何度口酸っぱく言っても「意識」ができません。
そもそも「感覚」がわからない感じです。
あれです。自転車のようなものです。
自転車に一度乗れるようになってしまえば、乗り方がわかるんですが、それまではバランスのとり方がわからない。
一度、その「感覚」をつかむまでは、非常に時間がかかるようです。
なので、これを読んだから、それがすぐできるようになるよ、ってものでもないのですが
鷹山が「紙面の先に読者を見る能力」を弟子に教える時には、「三つの視点」を意識しろ、と言います。
①主観(自分からみえる視点・思考ですね)
②対峙者の視点(自分と対話している相手の視点・思考)
③その二人を俯瞰して見ている傍観者の視点(第三者の視点・思考)
で、読者視点というのは③になります。
で、重要なのは、①②③で、見え方がまるで違う、ということをまず、「知る」ことです。
手前みそに鷹山自身の経験談を語らせていただくと
ある弟子に、長々と創作論を教えておりました。つきっきりで、みっちりと。
それはもう一時間ぐらいでしょうか。
それを聞き終えた弟子の第一声は、「眠い」でした。
鷹山の講義がつまらなかったというせいもあるかもしれません
(多くの人には面白いと思ってもらえてるんですけどねw)
とは言え、鷹山も人間ですので、真剣にものを教えて、眠い、とか言われたら、
①鷹山の主観だとムカつく、わけです。
ですが、これが③になると
不真面目な非常識生徒に振り回された常識人鷹山、という構図になり、
他の弟子たちは割と大爆笑しておりました。
鷹山からしたらほんと面白くない事例ですが
第三者からしたら、鷹山の不幸が面白かったわけです。
主観と傍観者視点では、こういう認識のずれが起きてるわけですね。
小説でもこういう認識のずれが往々にして起こります。
作者からしたら面白くないことが、読者からしたら面白いこと
作者からしたら面白い事が、読者からしたらつまらないこと
普通にいっぱいあるのですね。
でも、趣味で書くのならばともかく
プロを目指すならば、お金をお客様からもらう以上
作者の面白い気持ちよいよりも、読者が面白い気持ちいいを優先するべき、です。
この区別をするために、視点③が必要になるわけですね。
しかもテレビ越しの③です。
テレビ越しに、このキャラたちを見たらどう思うだろう? 面白いだろうか?
そういうちょっと「自分」から離した感じでキャラや物語を見る
ということが出来るようになると、面白いお話とはどうやればいいのか、というのが見えてきやすいです。
まあ、本当に、出来る人は呼吸レベルでできて、出来ない人には至難の業みたいです。
月並みではありますが、これが出来ない人は、「相手の立場に立って物事を考える」という経験が足りない感じが見受けられました。
主観から離れられない人。
なのでまず主観を切り離す訓練をしないといけないなぁ、と思います。
これはすごい極端なたとえなんですが
Aさんは、Bさんがムカついたので殴った。
Aさんはすっきりした。
自分がすっきりしたから、Bさんもすっきりしているだろう
みたいな感じの認知を、けっこうしている方が多いんですよね。
でも、違うんですよね、現実は。
Bさんは殴られたんだから、ムカつきます
傍観者Cさんは、Bさんに悪感情を抱いてなければ、突然殴り出したAさんを酷い人と認識するでしょうし、逆にBさんに悪感情を抱いていれば、ざまぁと感じ、Aさんに心の中で喝采をあげるかもしれません
「紙面の先に読者を見る能力」を身に着けたい場合
まず、こういう立場や状況によって、「見え方・感じ方」が変わるという事実をまず認識し、その「違い」に意識を向けてみてはいかがでしょうか。
こういう時、対峙者はどう感じるんだろう
第三者はどう感じるんだろう、と。
今まで意識すらしてない人も多いっぽいんですよね。
それをまず意識することだけでも、人は変わり始めるので、そういう訓練を日常からしていけば、だんだん鍛えられていくのかな、と弟子たちを見ていると思います
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