闇の中の友人

アイアンたらばがに

第1話

 誰かの不倫だとか超常現象だとか聞き飽きたニュースばかりを流すテレビを消して。

 遠くのビルから太陽が顔を出すような時間、肌を刺すような寒さの中で。

 いつものように、誰にも見つからないように周りを警戒して、僕以外誰も知らない秘密の友人の所へと出かける。

 駅前の大通りから少し逸れた細い道、壁のひび割れた古いビルに彼は居る。

 大きくて重たい金属のドアをノックすると彼の声が聞こえてくる。


「だぁれ?」


 お腹まで響くような低い声に返事をする。


「僕だよ」


「その声は……うん、覚えてる、元気だった?」


 いつものやり取りを終えて、いつも通り僕たちは話を始める。

 昨日の夜に見たテレビ番組の話、最近読んだ本の話、新しく出たゲームの話。

 僕が話して彼が相槌を打つ、いつもと同じ、変わらない会話。

 だから今日は少しだけ変えてみたくなってしまった。


「ここから君が出てこられたら、君に会えるのにね」


 感じていた不満をそのまま口に出す。

 それを聞いた彼の声が困ったような声色に変わった。


「それは……うん、私も君に会いたいと思っているよ、けれどまだその時じゃないんだ」


 煮え切らない返事の後はお互いに話すことも無くなって、自然と今日の話はお開きとなった。

 帰り道でも彼のことで頭の中はいっぱいになっていた。

 彼はあのビルの外に出たことが無いらしい。

 それを知ってから僕はずっと彼を連れ出したいと思っている。

 今のところは何も有効な手段を見つけられていないのが少しだけ残念だ。


「うーん……なんか方法ないかな」


 そんな独り言を言ってしまう位には悩んでいた。

 開けられないと思うほど開けたくなる、ここ最近はずっとドアのことばかりを考えている。

 少し前に無理やりにでも開けてやろうと意気込んで、力任せにドアを押し引きしてみたこともあった。

 ドアノブすら動かせずに彼に窘められる結果になってしまったけれど。


「おっ白藤だ、こんなところで会うなんて思わなかった」


 見知った声に顔を上げると、友人の巴がこちらに向かって手を振っていた。

 日差しも弱いのに相変わらず胡散臭そうなサングラスをかけていて、分かりやすく周りの人から避けられている。


「そう?僕、最近は毎日ここまで出かけてるんだけど……」


「そうなのか、お前さんずっと連絡つかないって聞いて会いに行こうと思ってたんだぞ」


「え?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 慌ててスマホを取り出すと、確かにメッセージアプリから見たことない数の通知が届いていた。


「99に+が付いてる……」


「うっわ、なんだその通知……まさか最近ずっとスマホ触ってなかったのか?」


 いつの間にか隣に並んできた巴が信じられないものを見るような目で僕を見てくる。

 直近の行動を思い返してみると表でも家の中ですらも、スマホの画面を見た記憶が無い。

 ずっとあのビルと家を往復する毎日だった。

 自分の不摂生を反省していると、巴がまた何かを話し出した。


「というか、スマホの画面滅茶苦茶暗くないか?明るさ最低値じゃないのそれ」


 サングラスを上げた巴に言われて、僕は困惑する。

 僕の目には少し明るすぎるくらいに映っているこの画面を、巴は暗いと言ったのだ。


「僕には明るいくらいなんだけど……ずっとサングラスかけてるからじゃない?」


「これは俺流のファッションなの、それにむしろ光に敏感になるはずだろ」


 そんなことを言い合った後に黙ってしまい、僕たち二人の間に混乱した空気が流れる。

 先に口を開いたのは巴だった。


「俺実は朝飯まだなんだよ、取り合えずなんか食いながら話そうぜ」


 その提案に僕は頷いて、近くにあったファミレスに入る。

 店内の照明が痛いほどに突き刺さってくる。

 思わず手で光を遮ろうとすると、巴がサングラスを差し出してくれた。

 有難く貸してもらって少しだけ楽になった。


「んで、最近は何やってたのさ」


 ドリンクバーから戻ってきた巴が話を切り出す。

 それを聞かれたとき、柄にも無く緊張してしまった。

 ビルの中に居る彼のことを話すべきか悩んでしまった。

 僕が話し出さないのを見て、巴が怪訝な顔をする。


「その……」


 話し出そうとするけれど、口が固まって動かない。

 舌が渇いて回らない。

 巴がため息を一つ吐いた。


「話し辛いか、そしたら俺の方から話してもいい?」


 僕が頷くと巴はニヤリと笑う。


「この間職場で聞いた話なんだけどさ」


 軽い感じで話しているけれど、巴の職場は確か超常現象の調査とかなんとか話していたはずだ。

 そんな話を果たして僕が聞いてしまっていいのだろうか。


「お前と同じ症状の奴がいたんだよ、日常生活がまともじゃないレベルで疎かになって、光に対して酷く過敏になる」


 口角を上げたまま目元だけは真剣な顔をして、巴が僕を指し示す。

 何か叱られているような、怒られているような、そんな気分になる。


「いわゆる怪異ってやつだよ、近頃増えてるみたいだぜ、特に駅の近くにあるビルにはもう何人も食われて……」


 巴が話し終える前に僕は立ち上がっていた。

 後ろから聞こえてくる巴の声を無視してファミレスを飛び出す。

 サングラス越しなのに太陽の光が眩しい。

 吐き気がする。

 どうして僕がこんな物に照らされないといけないのか、怒りが湧いてくる。

 すぐに彼の元に行かなければ、あのドアを開けなければいけない。

 突然湧いてきた焦燥感を抱えてビルの前まで戻ってくる。

 目の前を遮る忌々しいドアに対して何度も何度も拳を叩きつける。


「開け!開け!開けよこの!開けってば!」


 手の甲から血が滲みだしてきた頃にようやくドアが開く。

 その中身は目に映るモノなど何もない暗闇だった。

 思わず息を吞む。

 視線を外せないくらいに魅力的だと思った。

 鬱陶しいくらいに僕を照らしてくる光から逃げるように暗闇の中へ飛び込む。

 僕の後ろでドアが大きな音を立てて閉じる。

 この中はとても心地良い。

 無粋で押しつけがましい光など入り込まない静謐な暗さ。

 足元の感覚すら不安定な中で、彼の声が周りの全てから聞こえてくる。


「開いたよ開いた開いた開いた開いた開いたおいでよおいでおいでおいでおいで」


 声が体の奥底にまで響いてくる。

 一音一音が染み渡って、体が糸のように解されていくように感じる。

 感覚が失われていく。

 このまま溶けてしまいたい。

 そう思っていたのに、ドアの勢いよく開く音が聞こえて思わず振り向く。

 照らされているのに不思議と不快感が湧いてこない。

 目を焼くような光の中に人影が見えた。

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