第16話

 零次が迷わず簡易宿泊所の文字をタップする。すると目の前に白い扉が突然現れた。


「おお…ここに入れってことか?」


 おそるおそるドアノブを捻り中を覗く零次。


「なんというか…普通だな」


 ドアの内部は6畳ほどのスペースが確保されており、4畳が居住スペース、残り2畳が給水兼キッチンという構成になっていた。小さいキッチンの上には電子ケトルとインスタントの食料が置かれている。


「野宿を考えたら100倍マシだ。いや、天国と言ってもいい。有難く利用させてもらおう」


 靴を脱いで部屋に上がる零次。床に敷かれた布団の上に座ると、自然と安堵の声が零次の口から洩れた。


「ふう…」


 張りつめていた緊張の糸が解けていく。


「流石にちょっと疲れた」


 未知の世界、命の危険、本気の戦闘。イレギュラーのバーゲンセールを堪能した零次の精神は限界のサインを発していた。そう、零次の肉体と精神は今、安らぎを求めていたのだ。


「このまま寝ちまうか?いや、その前に何か腹に入れたほうがいいな」


 鉛のように重たい体を引きずり起こし、小さなキッチンへと向かう。


「蛇口はあるが、なんだこの張り紙は?」


・水道料金1分100コイン


「せこすぎるだろ!?それぐらいは利用料金に含めておいてくれよ」


(初回無料じゃなかったら詰んでたな)


(こうなると他にも細かい部分でコインを使う可能性もあるかもな。こりゃ本格的に貯金しないとマズいことになるぞ)


 零次が思考の波に気を取られながら蛇口を捻る。


「あれ?おかしいな…」


 だが何秒経過しようとも一向に水が出てくる気配がない。


「どうなってんだ?」


 零次がもう一度張り紙を確認する。すると端の方に小さな文字で注意書きが書かれていた。


・水道料金は初回無料の対象外よ。残念でした♪


「げっ!?」


 怒りよりも焦りの感情が表に出る零次。彼の脳みそは冷静にこの危機的な現状を理解し始めていた。


(マズいぞ…水を飲まないと人間はすぐに死んじまう。体が動くうちになんとかしないと…て、あれ?この問題は簡単に解決できるんじゃね?)


「そうだ。すぐそこに池があるしそこの水を使っちまおう」


 零次が念の為にケトルの動作チェックを行う。


「よかった。電気代まで請求されたらたまらねえからな」


 零次がケトルをそのまま手に持った状態で部屋から外に出る。そして池の水を容器内部へとチャージしていく。


(川とか池の水は綺麗に見えても寄生虫とかで結構ヤバいんだが、それは直飲みした場合の話だ。湯煎消毒しとけば大体の菌は死滅する)


 当然零次は理解していた。湯煎消毒だけでは万全ではない。本来ならばその工程の後にろ過フィルターを通す必要がある事を。だが贅沢を言っている場合ではない。


(水分不足で脱水症状になると思考力が低下する。それはこの世界では命取りだ。未知の感染症とかよりもそっちの方が俺は恐ろしい)


「仮に何かに感染したら…まあそのときは潔く死ねばいいか」


 零次自身も病気のリスクについては理解していた。だが今はそんな未来の事を考えている場合ではないのだ。人間は水だけでも1週間は生きていけるという話がある。だがそれはその場所から一歩も動かないことを前提にした場合の話だ。零次は今現在強烈な空腹と喉の渇きを感じている。何をするにしても体は資本だ。リスク承知で今は行動をしていかなければダメだと零次は直感していた。

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