エピソード 3ー11

 治癒魔術を使用すると、ほどなくしてセシリアの瞼が開いた。


「ソフィア、様……ありがとうございます。これの、おかげで助かりました」


 彼女は弱々しく呟いて、ローブの下からネックレスを引っ張り出した。セシリアに貸し与えた守りの力がある魔導具だが、魔石は色を失っていた。


 そっか、これのおかげで助かったんだ。私の行動も悪いことばかりじゃなかった。そう安堵した直後、アナスタシアが私の横に飛んできた。


「セシリア、なんて無茶をするの!」

「アナスタシア様、無事でしたか?」

「ええ、ええ! 貴女のおかげでケガ一つないわ!」


 アナスタシアが溢れる涙もそのままに、私の向かい側からセシリアに手をかざした。治癒魔術が発動し、癒やしの光がセシリアを包み込んだ。


 だが、二人で治癒魔術を使っているのに、セシリアの顔色がなかなかよくならない。おそらく、内臓が傷付いたり、あばらが折れたりしているのだろう。

 これは、完治まで時間が掛かるかもしれない。急がなければと焦る。その直後「危ない!」と誰かが叫んだ。驚いて顔を上げると、目前にシャドウビーが迫っていた。

 あ、これ、間に合わない……っ。


 そう思った瞬間、今度はとっさに動くことが出来た。私はアナスタシアとセシリアの上に覆い被さった。だが、予想した痛みは生じなかった。


「ソフィア、大丈夫か!?」


 シリル様の声が頭上から響く。恐る恐る顔を上げると、抜刀したシリル様の姿があった。そして、切り落とされたシャドウビーの黒い羽根がゆっくりと舞い落ちる。


「……シリル様?」

「間に合ったようだな」

「え? あ、はい。おかげさまで……」


 予想外の連続で胸が高鳴っていた。私が胸を押さえてぎこちなく笑うと、シリル様もまた微笑んだ。だけどすぐに表情を引き締め「セシリアは大丈夫か?」と口にする。


「助けます。ただ、治癒にはどうしても時間が……」

「そうか……」


 シリル様が周囲を見回す。釣られて見回せば、状況はさっきよりも悪化していた。騎士と交戦する魔物の数がどんどん増えている。この拮抗がいつ崩れてもおかしくない。


「シリル様、このままでは!」


 シリル様を護衛していた騎士が声を上げた。それを聞いたシリル様が苦渋に満ちた顔をして、それから静かに私を見た。


「ソフィア、この大陸の未来はそなたに託す」

「……シリル様?」


 困惑する私をよそに、彼は自分を護衛する騎士の隊長、アルスターに向き直った。


「おまえ達はなんとしても聖女候補を安全な場所まで避難させろ! 私は他の騎士とともに先行部隊と合流し、魔物の足止めをおこなう!」


 一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。でも次の瞬間、シリル様が殿を務め、聖女候補を逃がそうとしているのだと気が付いた。


「なりませぬ! あなたは王太子なのですよ!」


 アルスターが声を荒らげた。


「王太子には代わりがいる! だが、聖女に代わりはいないのだ! これは命令だ! すぐに聖女候補を連れて撤退せよ!」


 シリル様が声を荒らげた。

 アルスターは拳を握りしめ、血が滲むような声で「かしこまりました」と頷いて、ヴァインストーカーに捕らわれている聖女候補の救出の指揮を始めた。

 それを見届けたシリル様は、私に目もくれず踵を返した。


「――シリル様!」


 気付けば、私はシリル様のことを呼び止めていた。彼は振り返らず、けれど足を止めた。


「……ソフィア、危険な目に遭わせてすまない」


 彼は背を向けたままそう言うと、こんどこそ前線へと駈けていった。

 どうしよう。こんな展開は予想していなかった。

 私のせいで、シリル様が、みんなが死んじゃう。なんとかしなきゃ……でも、どうしたらいい? どうやったらみんなを救うことが出来る?


 瘴気溜まりを浄化すれば、少なくとも敵の増援は打ち切れるはずだ。魔物が瘴気溜まりを護っているという情報もあったので、戦闘を終わらせることも出来るはずだ。


 だけど、その瘴気溜まりを浄化できるセシリアは負傷して動けない。聖女候補全員で浄化するにしても、この乱戦の中で聖女候補を集めて、時間を掛けて浄化するような余裕はない。

 なにか、なにかほかの方法は……と、必死に考える私の手をセシリアが握った。


「ソフィア様、これを」


 彼女が開いた手の中にネックレスがあった。


「お返し、します。私にはもう……必要のない、ものだから……」

「……なにを、言ってるのよ?」

「動けない、私は、足手まとい……です。私をおいて、逃げて、ください。貴女さえ、真の聖女が無事ならば、まだ私達の負けにはなりませんから……」

「――ふざけないでっ!」


 聖女はセシリアだ。いや、たとえセシリアが聖女じゃなかったとしても、置いて逃げるなんて出来るはずがない。方法を絞り出せと自分を奮い立たせる。直後、ネックレスが目に入った。セシリアを護るために魔力を使い果たし、その色を失った魔石。

 ……これだ。


 私はヒロインじゃないし、聖女でもない。けど、いまの私は原作を知るハイスペックな悪役令嬢だ。

 聖女にはなれないけれど、私にしか出来ないことがある!


「セシリア、お願いがあるの。この状況で酷だとは思うけど――」


 最後まで言うより早く、セシリアが早く用件を言えとばかりに私の手を強く握った。私はさすがヒロインと頼もしく思いつつ、単刀直入にその願いを告げた。


「……そんなことで、いいんですか?」

「ええ、それが必要なの」

「……分かりました。それなら、なんとか」


 セシリアは弱々しく頷き、私の願いに応じてくれた。それで気力を使い果たしたのか、セシリアはゆっくりと目を瞑る。気を失ったようだ。


「……ありがとう。後は私に任せなさい」


 私は治癒魔術の行使を止め、金色に輝く魔石のネックレスを握りしめて立ち上がった。それから、アナスタシアに「セシリアのことをお願いね」とお願いする。


「……ソフィア様はどうなさるのですか?」

「決まってるじゃない。あの瘴気溜まりを浄化してくるわ」

 

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