エピソード 3ー10

 騎士に護られて、私達は瘴気溜まりへと向かう。距離にして数百メートルということだったけれど、その距離がなかなか埋まらない。次々に魔物の襲撃を受けたからだ。魔物が瘴気溜まりを護っているという、先行部隊の報告は事実だったようだ。


 鬱蒼とした森の中、周囲の警戒に当たる騎士から何度も魔物と交戦の知らせを受ける。それでも確実に進んでいくと不意に前方が暗くなった。


 太陽が隠れたのかと思ったけれど違う。前方に半球体の闇が広がっている。実際に目にするのは初めてだけど、あれが瘴気溜まりなのだとすぐに分かった。


 あの瘴気に突っ込んで、セシリアが魔力を放出すれば浄化できるはずだ。そんな気持ちで一歩を踏み出した瞬間、周囲を警戒している騎士から魔物発見の知らせがいくつも響いた。


「あと少しなのに……っ」


 誰かの呟きが零れる。悲痛な雰囲気が漂う中、そこかしこで戦闘が始まった。いままでと違い、初めて目視できる距離で魔物と騎士の戦いだ。


 目に付いたのはブラックボアとブラッディウルフ。乗用車並みのサイズのイノシシと、とんでもなく凶暴で大きなオオカミである。

 ブラックボアは重鎧を纏う騎士を撥ね飛ばし、ブラッディウルフは革くらいの鎧なら、その爪で切り裂いてしまうと言われている。それが複数体、私達を護る騎士と交戦を開始した。


「あ、あんな巨大な魔物を相手に、騎士の皆さんは大丈夫なんでしょうか?」


 セシリアが震える声でそう言った。それに誰も答えられない。令嬢として生きる者達が、あのような魔物を目にするのは初めてだから。

 ゲームのスチルでしかみたことがない私も、実際に目にして恐怖を覚えた。ただ、騎士団なら勝てるであろうことも知識では知っている。


「大丈夫です。騎士団なら――」


 すぐに倒してくれるはずだと、みなまで言うことは出来なかった。頭上で、急に複数の羽音が聞こえてきたからだ。

 大きな音に、耳の側に蚊がいるのかと思った。だけど、違う。上空に巨大な蜂がいた。闇色の羽を羽ばたかせ、薄暗い森に溶け込むように飛んでいる蜂の集団。


「シャドウビーよ! 刺されると危険だけど、結界の魔術で攻撃を防げるわ!」


 私がゲームの知識をもとに指示を出せば、アナスタシアやエリザベスを含む何人かの聖女候補が結界の魔術を発動させた。周囲に薄い光の膜が張り、シャドウビーの接近を阻む。

 近くにいた聖女候補は、その結界の中に飛び込んだ。だけど、運悪く近くに離れた場所にいた聖女候補が結界には入れず、シャドウビーに行く手を遮られる。


「こ、こっちに来ないで!」


 行く手を遮られ、彼女は踵を返して逃げ出した。必然的に、私達から距離を取ってしまう。


「ダメ、そっちは――っ!」


 私が叫ぶのと同時、その聖女候補が蔦に足を取られて転んでしまった。慌てて立ち上がろうとするけれど、彼女はなぜか立ち上がれない。


「ちょっと、なによ!? どうして蔦が外れないのよ!?」


 半狂乱になった彼女の足に蔦が絡まっている。それを目にした瞬間、再びゲームの知識が脳裏をよぎった。


「それはヴァインストーカーという蔦に擬態した魔物よ。短剣で蔦を斬りなさい!」


 援護をするために駆け寄り、ギリギリのところでシャドウビーの攻撃を魔術で弾くことに成功する。だが次の瞬間、蔦に捕らわれていた聖女候補は悲鳴を上げながら逆さ吊りになった。


「待って、いま助けるから!」


 叫んだのはアナスタシアだ。彼女が持っていた短剣でヴァインストーカーの蔦を斬ろうとする。そこに、「避けろ、聖女候補!」という騎士の声が響いた。


 声の方を注視した瞬間、私の血の気が一瞬で引いた。巨体のブラックボアが、アナスタシアに突撃する姿が目に入ったからだ。


 乗用車並みの質量。あんなのに轢かれたら間違いなく死ぬ。助けなきゃとと思った瞬間、私の脳裏に浮かんだのは両親や兄、それにみんなの姿だった。


 回帰前、私は子供を護るために乗用車のまえに飛び出した。だけど、いまの私はその一歩目が踏み出せない。死にたくないと、思ってしまったのだ。


 ――動きなさい! アナスタシアを助けて、私も助かればいいでしょ! そう叱咤して一歩を踏み出す。その瞬間、私の横をセシリアが駆け抜けた。


 そして、ブラックボアとアナスタシアが交差する寸前、アナスタシアをその進路上から弾き飛ばした。代わりにその場に残ったセシリアがブラックボアに撥ね飛ばされて宙を舞った。

 セシリアがゆっくりと落下して、それから地面の上を転がった。それが私にはスローモーションのように知覚できた。一気に血の気が引いていく。


「――セシリア!」


 我に返った私はセシリアのもとへと駆け寄った。必死に呼びかけるが、セシリアは目を閉じてピクリとも動かない。その真っ白なローブは血に濡れていた。


 ……私のせいだ。私が躊躇ったから、セシリアが私の代わりに魔物に撥ねられた。いや、それよりも、私が介入してしまったから、こんな風に歴史が変わってしまった。

 私が、私のせいで、世界が、大切なみんなが死んでしまう。

 そんな絶望に飲み込まれそうになった瞬間、セシリアの瞼がピクリと動いた。まだ生きている! それに気付いた私は「しっかりなさい!」と叫んで治癒魔術を行使した。

 

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