エピソード 3ー9

 森のまえで一泊。早朝になり、私達は徒歩で森へと足を踏み入れた。わずかに木漏れ日が降り注ぐ深い森の中、私達は瘴気溜まりを目指して進軍していた。


 森に入ってから二時間ほどが過ぎているが、まだ一度も魔物と遭遇していない。ただし、それは魔物がいないのではなく、先行部隊が露払いをしているからだ。


 遠くからは魔物とおぼしき獣の鳴き声や、剣戟の音が聞こえてきたりする。自分たちが気付かないだけで、周囲には確実に魔物が存在している。その事実が、私達の精神を蝕んでいた。

 疲労が色濃くなったころ、森に入って最初の休憩が告げられた。


 私は息を吐き、近くの倒木に腰を下ろした。すぐ隣にセシリアが腰を下ろすが、アナスタシアやエリザベスは、その倒木にアリなどが這っているのを見て座るのを止める。


「二人とも、諦めて座った方がいいわ。じゃないと、最後まで保たないから」


 瘴気溜まりは、森の入り口からそれほど遠い距離ではないらしい。だが、森に不慣れな聖女候補を擁する集団の歩みは遅い。このペースなら到着は遅くなるだろう。


「それは分かっているのですが……虫が服を這ってきたりしませんか?」


 エリザベスがすごく不安そうな顔をした。恐らく虫が苦手なのだろう。いや、一般的な令嬢で虫が苦手じゃないケースはかなり希だろう。


「そのためのローブでしょう? 諦めなさい」

「……仕方ありませんわね」


 それを聞いたアナスタシアとエリザベスはおっかなびっくり倒木に腰掛けた。そこに侍女の代わりに同行している女騎士が近づいて来て、水筒を手渡してくれる。


 私はお礼を言って受け取り、水を口に含んだ。

 そのまま一息吐いてセシリアの姿を盗み見る。孤児院育ちの彼女はほかの聖女候補より体力があるはずだ。ただ、精神的な疲労が大きいのか、その顔色は目に見えて悪い。


 ……いや、いまにして思えば、セシリアは出発したときから不安そうだった。

 彼女は乙女ゲームのヒロインだけど、特殊な訓練を受けている訳じゃない。聖女の力がある以外は普通の女の子だ。何事もないよう、細心の注意を払っておいた方がいいだろう。


「セシリア、しんどそうだけど無理はしてない?」

「はい、大丈夫です。私、頑張らないといけないから」


 強い意志を秘めた青い瞳がとても綺麗だ。原作の彼女もこんなふうに一生懸命だった。


「セシリアは、なんのために頑張るの?」


 話を聞いていたアナスタシアがそう尋ねる。セシリアは少しだけ驚いた顔をして、それから思いを馳せるように木々の隙間から見える空を見上げた。


「……そう、ですね。孤児院のため、でしょうか。養父様が、私を引き取る代わりに、孤児院に資金援助してくれると約束したんです」

「あ、ごめんなさい。私……」


 アナスタシアが申し訳なさそうな顔をした。


「いえ、気にしてません。それに、そのおかげで孤児院のみんなが飢えずに済んだんです。だから、私はレミントン子爵家にとても感謝しているんです」


 恩を返すために頑張ると、セシリアは胸の横で両手をきゅっと握りしめた。彼女の纏うローブがひらりと揺れる。それを見た私は、彼女の装備が普通の物であることに気付いた。


 ほかの聖女候補のローブは、それぞれの実家が用意したであろう、守りの力が込められた一級品だ。一見普通の布に見えて、剣で斬られても大丈夫なくらいの力がある。


 でも、セシリアのローブはごく普通の品だ。もちろん、それなりに上質な布は使っているようだけど、特に守りの力があるような戦闘用ではないらしい。


 セシリアを養子にした貴族もそれなりに有力な貴族だったはずよね? 装備は間に合わなかったのかしら? なんにしても、このままだともしものときに危険だ。

 そう考えた私は、お兄様からもらったネックレスを首から外した。


「セシリア、これを貸してあげるわ」

「……え? これは?」

「守護の力を込めた魔導具よ。魔石を手に持って魔力を注ぐことで再利用することが出来る優れものなの。いざというときのために身に着けておきなさい」


「う、受け取れません! そんなにすごい魔導具ならソフィア様が身に着けるべきです」

「大丈夫。私のローブには同じ効果が施されているから。ほら、早く背中を向けなさい」


 有無を言わせぬ口調で言い放ち、強引にセシリアの首に腕を回す。


 ……お兄様、私のために用意してくれたのにごめんなさい。でも、セシリアになにかあれば、私も無事じゃ済みません。だから、セシリアを護ってください。


 心の中で謝って、セシリアの首にネックレスを付ける。森の木漏れ日が彼女のモーヴシルバーの髪に降り注ぎ、優しく反射していた。



 休憩を終えた私達は進軍を再開した。

 先行部隊が魔物と遭遇して足止めを食らったり、聖女候補がバテて休憩を余儀なくされたりしながらも、私達は瘴気溜まりがある森の奥へと向かう。


 奥に進むほど魔物の気配が増えていく。それでも、何度目かの休憩をしていると、先行部隊より瘴気溜まりに到着したという報告が届いた。それを聞いた私達が湧き上がる。

 そこに、シリル様が「静まれ」と声を上げた。


「瘴気溜まりは目前だが、大きな問題がある。その瘴気溜まりを護るかのように、多くの魔物が集まっているそうだ。このまま進めば確実に遭遇戦になるだろう」


 その言葉に、あちこちから怯えるような声が上がった。だけどそれも無理はないだろう。ここまで完璧に護衛されてきたおかげで、私達はまだ一度も魔物を目撃していない。

 そうして動揺する聖女候補のまえで、シリル様がもう一度声を上げる。


「むろん、騎士団は全力で聖女候補を護る。だが、想定外の事態なのも事実だ。絶対に危険がないとは言いがたい。ゆえに、そなた達の意見を聞かせてくれ」


 シリル様の言葉に、私達は顔を見合わせた。それから、エリザベスが口を開く。


「それは、強行するか、撤退するか、ということでしょうか? それとも、この場に待機して、先行部隊が魔物の討伐を終えるまで待つという選択もあるのでしょうか?」

「実のところ、魔物は想定以上のペースで発生している。先行部隊だけで、露払いを終わらせるのは難しいだろう、という報告が上がっている」


 聖女候補から不安の声が上がった。

 ……というか、原作の最初に発生した瘴気溜まりは小さい物だった。なのに、こんな危険な状況に陥るなんて、もう原作とはまったく状況が変わってしまっている。これからは不測の事態が続くかも知れないと心配する。そんな私をよそに、エリザベスが発言を続ける。


「では、撤退したら、次の機会がないかも知れない、と?」

「……その可能性は十分にある」

「つまり、強攻策を取って、瘴気溜まりを浄化するのが最善な訳ですね」

「その通りだが、ここにいる聖女候補は全体の三分の一でしかない。この中に聖女がいる可能性は高いと思っているが、それもあくまで可能性だ。もし、いなければ……」


 危機的状況になるだろう――と。シリル様が飲み込んだ言葉は、この場にいる誰もが想像できた。だから、誰もが口を閉ざして唇を噛んだ。

 そんな中、「そうですわね……」とエリザベスが私を見た。なにを言いたいのか理解した私は頷き、エリザベスの横に並び立つ。


「ソフィア、なにか意見があるのか?」

「はい。私はここで強行するべきだと進言します」

「それは、そなたが真の聖女だからか?」


 予想された言葉にわずかな動揺を抱きつつ、私は首を横に振った。


「残念ながら、私は自分が聖女と思ってはいません。ですが、たとえこの中に聖女がいなくても、瘴気溜まりを浄化する手段がございます」

「なんだと? そのような話は聞いたことがないぞ」


 驚くシリル様。私は馬車の中で話したのと同じ内容を口にする。


「ウィスタリア公爵家の書物にそのような記述がございました。もちろん、絶対の保証がございませんが、この中に聖女がいる可能性も加味すれば、挑む価値は十分にあるかと」

「その方法を詳しく話してくれ!」


 シリル様に請われるままに、聖女以外の人間が瘴気溜まりを浄化する方法を説明する。それを聞いたシリル様は熟考し、それから聖女候補や騎士達の顔をゆっくりと見回した。不安そうな顔をする者はいるけれど、誰一人として否定的な言葉は口にはしない。


「いいだろう。ならば、我らはこれより瘴気溜まりの浄化に向かおう」


 シリル様の号令のもと、私達は心を一つに進軍を開始した。

 

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