エピソード 3ー4
「……ここは?」
目が覚めると、訓練場のベンチに寝かされていた。上着が敷かれているようで、柔らかい布の感触が伝わってくる。起き上がると、クラウディアとアイリスが目の前にいた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「……ええ、大丈夫よ。私、どれくらい気を失っていた?」
「ほんの一瞬ですが、びっくりしました」
安堵の表情を見せるクラウディアの目元には涙が浮かんでいた。
「クラウディア、心配掛けてごめんなさい。アイリスも心配を掛けたわね。それから――」
と、少し離れたところに視線を向けると、その視線に気付いたシリル様が近づいて来た。
「もう大丈夫なのか?」
「はい。おかげさまで」
そう言って立ち上がろうとするけれど、そのまま座っているようにとたしなめられた。
「いえ、私だけ座っている訳には」
「そんなことを気にしている状況ではないだろう」
再びシリル様にたしなめられる。大げさだと思うけど、そこに「シリル様のおっしゃるとおりです。せめて息が整うまでは休んでください」とクラウディアが同調した。
「少し意識を失ったくらいで大げさよ」
私は苦笑するが、クラウディアに「意識を失ったくらい、ではありませんよ」と叱られた。私はごめんなさいと謝罪して、余計なことを言わないようにする。
そんな沈黙のの中、シリル様がぽつりと呟いた。
「……しかし、なぜこんな無茶を?」
「申し訳ありません、私のせいです!」
アイリスが頭を下げる。私は「いえ、貴女のせいじゃないわ」とフォローを入れたのだけれど、そこに割って入ったシリル様が「どういうことだ?」と目を細めた。
「身体を鍛えて欲しいと頼まれ、騎士課の、限界まで走り続けるという訓練をおこないました。それで精神を鍛えようとしたのですが……」
「なるほど。それで実際に倒れるまで走ったのか」
なぜか、シリル様から呆れるような視線を向けられた。
「……あの、どういうことでしょう?」
「アイリスがそなたに課したのは、精神力を鍛える訓練だ。倒れるまで走れと命じても、実際に倒れるまで走れる人間は一握りだ。ゆえに、そこを目指すことで精神を鍛えるのだ」
「……なるほど。それで、私が実際に倒れてしまった、と」
それはアイリスも驚くだろう。
「驚かしてしまってごめんなさい。まさかこの程度の疲労で倒れると思わなかったの」
「この程度って……かなり苦しいはずですが……」
アイリスが絶句している。
そうかなと首を傾げる。前世の私は、少し走っただけで心臓が張り裂けそうだった。それに比べれば、なんてことはない苦しみだ。
「でも、どの程度で倒れるかは分かりました。次はギリギリで止めますね」
「いえ、ええっと……はい」
アイリスがなにか言いたげな顔をして、だけどそれを飲み込んだ。代わりにシリル様が「まさか、また走るつもりなのか?」と目を細めた。
「そのつもりです。休憩もしましたから」
「やめておけ。あまり無茶をしても成長はしないぞ」
「それは分かりますが、これくらいは無茶のうちに入りません」
そう口にすると、三人にじろりと睨み付けられた。私が休むと言わない限り、一歩も引いてくれそうにない。私は小さく溜め息を吐いた。
「分かりました、今日はこれで終わりにします」
立ち上がり、制服の上に纏っていたローブを脱ぐと、シリル様がさっと視線を逸らした。
「……シリル様?」
「いや、その……上になにか羽織っておいたほうがいい」
「え?」
私も令嬢だ。汗で下着が透けるなんてはしたないことはしていない。念のためにと自分の胸元をチラリと見るが、やはり汗ばんでいるだけで特に問題はない。
「クラウディア、いまの私、なにかおかしいかしら?」
「いえ、おかしくはありませんが、その火照ったお姿は世の中の殿方ばかりか令嬢まで惑わしそうなので、ひとまず上着は羽織りましょう」
この身の可愛すぎるのが罪だったらしい。
さすが外見だけは最高の悪役令嬢と自画自賛しながら上着を羽織った。夕方の風が訓練場を吹き抜け、私の火照った身体を少し冷ましてくれる。
そうして帰る準備をしていると、シリル様が「ところで、例の件で少しいいか?」と口にした。私はもちろんですと応じて、クラウディアとアイリスを下がらせる。
二人になると、シリル様の指が私の頬に触れた。
「聖女候補として森に向かうそうだな。無茶はするなよ?」
「騎士団が護ってくださるので心配はありませんわ」
シリル様を心配させないようにそう口にした。
「……そうか。それを聞いて安心した。実は、私も騎士団に同行する予定なんだ」
「なっ!? 王太子が同行するなど危険です。なにかあったらどうするつもりですか!」
「おや? 騎士団が護ってくれるから安全なのではなかったのか?」
言葉を失う私をまえに、シリル様は「そなたもそんな顔をするのだな」と苦笑した。
「シリル様がそんなに意地悪だったとは存じませんでしたわ」
「ふふ、悪かった。だが、私が同行するのは本当だ」
「……それだけ国が本気だと示し、聖女候補に辞退をさせないためですね」
シリル様は小さく頷いた。
「聖女を見つけなければ人類が滅ぶことになる。それを防ぐためには必要なリスクだ」
「……もしや、聖女候補を分けるように申し上げたのは差し出口だったでしょうか?」
陛下は強制的に、聖女候補の全員を森に行かせるつもりだった。そこに口を挟んで、グループを分けるようにしまった。陛下の予定を狂わせてしまったかもしれない。
「いや、最初から王族は同行する予定だったからな。それに、そなたが聖女候補を分けると進言してくれたおかげで、護衛を集中させられるようになった」
「ご迷惑ではなかった、と?」
「ああ。王族としてはよい結果だと思っている」
「……王族としては、ですか?」
他の誰かにとっては不都合だったという裏の意味に気付いて問い返す。シリル様は声を潜め「第一陣に名乗りを上げなかった聖女候補の何人かが親に呼び出されたらしい」と言った。
「……あぁ、そこまでは気が回りませんでした」
私の家族は、逃げてもいいと言ってくれた。
でも聖女候補に選ばれたという名誉のために大金を使った家族なら、娘がお役目から逃げるような不名誉な行動を取ったことを叱ることもあるだろう。
逃げるよりはマシだったはずだけど、第一陣に名乗りを上げないだけでもダメだったらしい。無理矢理でも、全員を同行させた方がよかったのかなと反省する。
「ソフィア、そのような顔をする必要はない。実際、全員を連れて行くのは危険だ。それに第一陣に名乗りを上げなかった聖女候補も、二陣でいく予定だと言い訳が立つ方がマシだ」
「……そうでしょうか?」
私がシリル様を見上げれば、彼は私の頭に手のひらを乗せた。
「ああ、そなたに感謝する聖女候補も多くいるはずだ」
「そうだったら、嬉しいです」
私にとって、聖女候補はライバルではなく仲間だ。
試練で最初に治癒魔術を使った令嬢――おそらくは寄付でその地位を買った者の中にも、歯を食いしばって治癒を続けようとしていた者がいた。
出来れば、彼女達にも幸せになって欲しい。
「……ソフィア。ほかの者だけじゃない。私もそなたには何度も助けられた。そなたが危機に陥ったなら、私がそなたを助けよう」
シリル様が私に優しい眼差しを向けている。まるでヒロインになったかのような気持ちになる。私は微笑んで、だけど静かに首を横に振った。
「その言葉は、聖女のために取っておいてあげてください」
私は聖女でもヒロインでもないからと、一歩下がろうとした。だけどそれより一瞬早く、シリル様が私の手を掴んだ。
「私は、そなたが聖女候補だから護ると言っているんじゃない。私が護りたいから護るのだ。そなたが聖女じゃなければ、私はそなたと聖女の両方を護ると誓おう」
整った顔に真剣な表情を乗せ、まっすぐに私を見つめる。
「いまのシリル様、主人公みたいですね」
「……どういう意味だ?」
「意味はありません。ただ――」
その続きは声にせず、シリル様を見上げた私はにへらっと笑った。
それから、私は毎日訓練をおこなった。
初日は私だけだったけれど、翌日にはセシリアとアナスタシアが加わり、さらにその次の日にはほかの聖女候補者も何人かやってきた。
そうして数日が過ぎ、ついに森に遠征する日が決定した。
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