エピソード 3ー3

 まずは十名ほどの聖女候補が選ばれた。森の魔物を討伐している騎士団が帰還次第、騎士団とともに森の瘴気溜まりを浄化に向かうこととなる。


 これは、本来なら聖女に選ばれたセシリアが望むイベントだ。

 明らかにメインストーリーが前倒しで進行してしまっている。バッドエンドを迎えるつもりはないけれど、原作のストーリー通りにことが進むとは思わない方がいいだろう。


 ――だから、まずは体力を付けることにした。森への遠征まで残された時間は少ないけれど、ハイスペックな身体を持ついまの私なら、多少の効果は得られるはずだ。


 とはいえ、ほかの聖女候補の反応からも分かるとおり、令嬢――特に魔術を専攻する令嬢はあまり運動をしない。という訳で、私はその日の放課後、アイリスの教室を訪ねた。


「おまえ、またセシリアにちょっかいを掛けに来たのか?」


 教室に顔を覗かせると、ラスボス――じゃなかった。ウォルフ様が立ち塞がった。


「まえにも言いましたが、私はちょっかいなど掛けていません」

「その割に、策で俺を遠ざけた隙にセシリアに接触し、試練で名を上げていたようだが?」

「……うぐ」


 それは反論できない。


「結果的に怪しく見えることは認めますわ。ですが今回の相手はアイリスです。彼女に、少し身体の鍛え方を学びたいと思いまして」

「……例の件か」


 これもまた裏工作だとか言われるのかなと思ったけれど、ウォルフ様は近くの生徒に、「アイリスを呼んでくれ」と声を掛けた。


「……よろしいのですか?」

「権謀術数を得意とするおまえが聖女にふさわしいとは思わない。だが、聖女にふさわしいかどうかと、貴族の娘として好ましい人間かどうかは別だからな」


 ツンデレかなと苦笑する。ウォルフ様はそれ以上なにも言わず、踵を返して行ってしまった。それから入れ替わりでアイリスがやってくる。


「ソフィア様、私にご用ですか?」

「ええ、実は――」



 という訳で、私とアイリスは学院の敷地内にある訓練場にやってきた。アイリスは制服姿のままで、私は制服の上に魔術師のローブを纏っている。

 午後の日差しを受けて、アイリスの紫の髪がわずかに煌めいて見える。その髪を揺らしながら準備運動をしていたアイリスがクルリと振り返った。


「だけどびっくりしました。まさか、身体の鍛え方を教えて欲しいだなんて、ソフィア様に言われると思わなかったから」

「……ちょっと事情があって、体力を付けたいと思ったの」

「もしかして、例の件ですか?」


 森に瘴気溜まりが出たことは一般には伏せられている。けど、ウォルフ様は知っていたし、アイリスも知っているのだろう。私は肯定の意味を込めて軽く頷いた。


「森の中で歩き続ける体力と、出来れば身を守れる手段が欲しいの」

「……なるほど。では、まず体力を付けましょう。半端な戦闘技術は危険ですし、体力がなければ身を守ることも出来ませんから」

「分かったわ」


 出来れば剣術も教えて欲しかったのだけれど、アイリスがそう言うならと方針に従う。私は訓練場の周囲を走ることになった。


「ここを何周すればいいの?」

「私がいいと言うまで走ってください」

「……分かったわ」


 疑問はあったけれど、ひとまず従ってみようと駆け足を始めた。

 一歩を踏み出したとき頬に風を感じ、二歩目で全身に風を受け止めた。三歩目で私の自慢のコーラルピンクの髪が風になびく。すごく、気持ちがいい。


 実のところ、全力で走るのはこれが初めてだ。いや正確には、転生するまえ、トラックの前に飛び出した子供を助けようとしたときに続いての二回目だ。あのときはたった数歩で心臓が張り裂けそうになったのに、いまは少しもそんなふうに感じない。

 お日様を浴びて走るのがこんなに楽しいなんて知らなかった――と、私は速度を上げた。


「え? ソフィア様、そんなに飛ばして大丈夫ですか?」


 アイリスの驚く声が聞こえてくるけれど、私は笑顔で大丈夫よと手を振った。そして、大きな訓練場の周囲を、四周、五周、六周と回っていく。


「ちょっと、アイリス様、本当に大丈夫ですか!?」

「お嬢様、無理をしてはいけませんよ!?」


 アイリスに続き、クラウディアの気遣う声も聞こえてくる。


「はぁ……っ。大丈夫、まだ平気――よっ」


 息はだいぶ上がってきたけど、まえの身体で動いたときと比べたら全然苦しくない。心臓の鼓動が聞こえるけれど、まだまだ走ることが出来るとペースを維持する。

 だけど七周目に差し掛かったとき、視界が急に回り始め、周囲の風景が渦を巻くように変わり、上下が分からなくなった。


「――お嬢様!」


 クラウディアの悲鳴。次の瞬間、私の身体は誰かに抱き留められた。


「……ソフィア、大丈夫かい?」


 目の前になぜかシリル様の顔があった。いわゆるガチ恋距離。イベントスチルで、顔を画面一杯に写したような状況。私は手を伸ばして、シリル様の顔に触れる。


「ふふっ、やっぱり格好いいなぁ」

「ソ、ソフィア?」


 シリル様の顔が驚きに染まった。それを見て、私もあれっと疑問を抱く。そして自分がなにをしたか理解した私は慌てて手を引っ込めた。


「も、申し訳、ありません」

「いや、かまわないが……」


 すごく恥ずかしい。というか、自分の鼓動がうるさいくらいに高鳴っている。いや、これは、さっきまで走っていたのはずだ。

 そう、走って……あれ?


「シリル、様? 私、どうして?」

「走ってて急に倒れたんだ、記憶にないのか?」

「も、申し訳ありません!」


 倒れた私がシリル様に抱き留められている。今度こそ状況を理解した私は慌てて離れようとするけれど、意識が遠のいて視界が霞んでいく。まえにもこんなことがあったなぁと考えながら、私は彼の腕の中に身を委ねた。

 

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