エピソード 2ー3
キャンバスの隅っこ、侍女を連れた令嬢に詰め寄られる女の子を見かけた。
女の子は、長くサラサラのモーヴシルバーの髪に澄んだ青い瞳。特徴的な美少女ではないけれど、見るものを安心させるような可愛らしい容姿をしている。彼女の名前はセシリア・レミントン。レミントン子爵家の養女にして原作に登場するヒロイン、つまり本物の聖女である。
対して、詰め寄っている少女は同じ学年の生徒だった。
「貴女たち、なにをそんなに騒いでいるの?」
「誰――って、ソフィア様!?」
私に気付いた女の子がびくりと身を震わせる。それから「アナスタシア・モントゴメリーがソフィア様にご挨拶申し上げます」とカーテシーをした。
「そんなに形式張る必要はないわ。それより、なにがあったの?」
「……実は、さきほど走っていた彼女にぶつかられて注意したのですが……」
アナスタシアはそう言ってセシリアに視線を向ける。私がそれに続いて視線を向けると、セシリアは「ごめんなさい! ごめんなさい!」とぺこぺこ頭を下げた。
「――と、このような感じで」
アナスタシアが溜息を吐くと、彼女のオレンジ色の髪が軽く揺れた。恐らく彼女は、ぶつかられたことを軽く咎めただけなのだろう。だけど、セシリアが貴族らしくない態度でペコペコと謝ったことで、アナスタシアが苛めているように見えただけのようだ。
「彼女、セシリアでしょう?」
「ソフィア様もご存じですか。聖女候補に選ばれて貴族の養子になった平民の娘ですが、貴族の学院に通う以上はそれにふさわしい振る舞いがあると思いませんか?」
彼女はそう言って溜め息を吐く。
事情を知らずに叱っているのかと思ったけれど、知った上で叱ったのね。気持ちは分からなくないけれど……と、私は少しだけ考えを巡らす。
「……そうね。貴族として生きていくなら礼儀作法は必要よ。それを理解して学んでいる貴女が、未熟な彼女に呆れる気持ちはよく分かるわ。だけど、彼女が未熟なのは発展途上だからよ。決して怠惰だからではないのよ」
私の言葉に、それは……と表情を曇らせ、鮮やかなオレンジ色の髪を揺らす。私はそんな彼女の頬に手のひらを添えて、「だから――」と微笑みかける。
「他人に厳しい貴女より、他人に優しくなれる貴女の方が素敵だと思うわ」
直後、アナスタシアは青い瞳を揺らし、「わ、分かりました。ソフィア様がそうおっしゃるのなら、今回のことは胸の内に収めます!」と顔を赤らめた。
さらに――
「さっきはキツく当たってごめんなさい。もう少し優しく注意するべきだったわ」
セシリアに向かって謝罪までする。この子、思ったよりも素直でいい子だった。だとすれば、後はセシリアの反応だけど――と視線を向ければ、彼女もまた頭を下げた。
「いえ! こちらこそ、ぶつかってごめんなさい。アナスタシア様の言うように、私、まだ礼儀作法がよく分からなくて。だからその……もしよかったら、私がまた間違ったことをしたら、さっきみたいに叱ってください!」
ぺこりと頭を下げた。セシリアも私が想像しているよりもずっと強い子だった。アナスタシアは面を食らったように瞬いて、それから髪を指先でもてあそんだ。
「し、仕方ありませんわね。なにか分からないことがあれば私に聞きなさい」
「……え? もしかして、教えてくれるんですか?」
「まぁ、そうね。才能ある平民に機会を与えるのは貴族の勤めですから」
そっぽを向いたアナスタシアの横顔に、柔らかな陽光が差し込んだ。さぁっと風が二人の髪を揺らし、険悪だった空気を吹き飛ばしてしまう。
二人とも、とてもいい子だった。
……登場した悪役がざまぁされてすっきりという物語も素敵だけど、やっぱり現実だと悪役なんていない方が素敵だよね。
なんて思っていると、アナスタシアの侍女が「そろそろお時間です」と告げた。
「あら、もうそんな時間なのね。皆様、申し訳ございません。私は習い事がございますので、お先に失礼させていただきますわ」
アナスタシアに会釈をして見送り、私も立ち去ろうとするとセシリアに声を掛けられた。
「さっきは助けてくれてありがとうございます! えっと……ソフィア様、ですよね。聖女候補に選ばれたって言う。私はセシリア・レミントンと言います」
「ソフィア・ウィスタリアよ。私も貴女の噂は聞いているわ」
私の言葉に、なぜかセシリアはその整った顔を恥じるように伏せた。
「どうしてそんな顔をするの?」
「だって……私の噂、あまりいいものじゃありませんよね?」
「いいえ、それは誤解よ。そうね……この際だから言っておくわ。私を含めて聖女候補はたくさんいるけれど、私は貴方が本物の聖女だと思っているの」
余計な誤解を生まないように、最初に重要なことは伝えておく。セシリアは目を瞬いて、それから大きく見開いた。
「そ、そんな、私が本物だなんて恐れ多いです!」
「あら、どうして?」
「だって、私は平民の子供だし、ほかの皆さんは……」
「高位貴族の娘ばかりね。だけど、聖女にふさわしいかどうかに家柄は関係ないわ。むしろ、平民でありながら推薦された貴女が特別なのよ」
貴族にとって、娘が聖女候補に推薦されるのはとても名誉なことだ。
だから貴族は娘が聖女候補に選ばれるように教育したり、聖女を選出するルミナリア教団に対し、高位貴族が「うちの娘は聖女にふさわしいと思いませんか?」と言いながら莫大な寄付をする。その結果、神のお告げの条件を満たす令嬢の多くが聖女候補に認定されることとなった。
だから、平民でありながら聖女候補に認定されているセシリアは最初から特別なのだ。
「……ほかの候補の方は、平民が聖女候補だなんてあり得ないとおっしゃるのに、ソフィア様はそのようにおっしゃってくださるのですね」
セシリアがキラキラとした視線を向けてくる。
直後――
「おまえたち、そこでなにを騒いでいるんだ?」
コツコツと足音を響かせながらウォルフ様がやってきた。
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