エピソード 2ー2

 いきなり私を聖女様と呼んだアイリスの瞳はキラキラと輝いている。そのまぶしすぎる眼差しを受け止めながら、私は「湖上の魔術発表会以来ね」と微笑みを返した。


「はい! あの日、ソフィア様が空に虹を架けたのを目にしたときから、ずっと再会するのを楽しみにしていました! 私はソフィア様こそが聖女だと信じています」

「……ありがとう。でも私は聖女じゃないわよ」

「そのように謙虚なところも聖女らしいと思います」


 なにがここまで彼女を確信させてるのよと突っ込みたい。いや、たぶん虹が原因なんだろうけど。あの虹は別に、コツさえ掴めば誰にでも出来ることなのよね。……そのうち、他の人にも虹の架けかたを教えようかな? そうしたら誤解も解けるよね。


「ところで、ソフィア様。色々とお話をしたいのですが、いま少しお時間はございますか?」

「私はかまいませんが……」


 いまはシリル様と話している途中だ。そう思って彼に視線を向けると、「私のことは気にせず、カフェにでも行ってくるといい」と言ってくれた。



 そんな訳で、私とアイリスは学院の中庭を通り抜け、敷地内にあるカフェへと足を運んだ。その二階のカフェテラスで、丸テーブルを挟んでアイリスと向かい合う。

 私の背後にはクラウディアが控え、彼女の背後にも侍女が控えている。そんな中、心地のよい風が私の足下を駆け抜けていった。


「ソフィア様、まずはあらためてお礼を言わせてください。半年前のあのとき、湖上の魔術発表会の再開を訴えてくださったおかげで、私は夢を叶えることが出来ました」

「おめでとうございます。それは、アイリスが努力した結果ですわ」


 だから恩に着る必要はないよと微笑む。原作の彼女も結果的には魔術を専攻する許可を得ている。私の影響がなくとも、彼女なら自力で出来たことだ。


「……ソフィア様ならそうおっしゃる気がしていました。でも、私が感謝していることに変わりはありません。いつかお礼をさせてください」

「ではお気持ちだけ受け取っておきますね」


 私はふわりと微笑んで、ウェイトレスが用意したカフェオレを口にする。ほのかな甘さと、優しい薫りが広がった。アイリスもまたカフェオレを口にして幸せそうに微笑む。


「そう言えば、ソフィア様に再会したら、聞いてみたいとずっと思っていたのです。あの虹はどのようにして架けられたのですか?」

「あれは、光の屈折を利用したものです。説明すると長くなるのですが、太陽を背に水を空に撒けば、誰でも虹を作り出せますよ」


 ちょっと変わった知識を使っているけれど、知っていれば誰にでも出来る。だから、私が特別なんじゃないよと主張する。それを聞いたアイリスは目を輝かせた。


「さすが聖女様、神より英知を授かったのですね」

「いいえ、私は聖女ではありませんわ。ウォルフ様もおっしゃっていたでしょう?」


 補強材料として、否定している王子の名を上げた。だけどそれは失敗だったらしい。私の言葉を聞いたアイリスが顔を曇らせてしまった。


「……ウォルフ様の物言いについては、私がウォルフ様に代わって謝罪いたします」

「私は気にしていませんよ。というか、なぜアイリスが謝罪するのですか?」


 その質問に対して、アイリスは視線を落とした。テーブルの上でカフェオレを両手に包み込み、そのカップに視線を落としながら口を開く。


「……実は、ウォルフ様が頭ごなしにソフィア様が聖女であることを否定したのは、私と口論をした後だったからなんです」

「アイリスとウォルフ様が口論をなさったのですか?」


 それはちょっと意外だと首を傾げる。


「私はお二人と幼なじみということもあり、以前から気安くお話をさせていただいているのですが、だからこそ意見がぶつかることがあって……」

「それは理解できますが、なぜ私のことが話題に?」

「……そうですね。どこから話したものか」


 彼女は少し考えた素振りを見せた後、「十年ほど前、シリル様が誘拐未遂にあったことはご存じですか?」と口にした。原作乙女ゲームでは語られていない事実だけれど、ソフィアの記憶にはあるので「ええ、噂くらいなら」と答えた。


「その犯人をシリル様に近づけてしまったのがウォルフ様なんです」

「え、それは……」


 最悪の可能性は口に出すのも憚られたので言葉を濁した。そんな私の思考を読んだかのように、アイリスは首を横に振る。


「ウォルフ様の意図したことではありません。ただ、好意的な振りをして近づいて来た者の思惑を読めずに、シリル様と引き合わせてしまっただけなのです」

「なるほど。それで、ウォルフ様はシリル様に近づく人間を警戒しているのですね」


 原作でも、ウォルフ様はシリル様に近づく人間に対して警戒心が強かった。その具体的な理由は知らなかったけれど、いまの話を聞いて合点がいった。

 彼は過去の過ちを繰り返すことを恐れているのだ。


「……しかも、そのときの男がウォルフ様を騙したのがまさに、自作自演によるピンチからの救出だったんです。だからことさら、ソフィア様のことを疑っているようです。あの男とソフィア様は違うと申し上げたのですが……」

「それで口論になり、意固地になってしまわれたのですね」


 彼から見れば、私がシリル様に続いてアイリスまで籠絡したように見えたのだろう。私を警戒する気持ちは理解できる。


「……ご迷惑を掛けて申し訳ありません」

「あら、アイリスが謝ることではございませんわ。それに、私はウォルフ様が心配なさる気持ちもよく分かります。大切な人を護りたいと思うのは当然ですもの」


 私は微笑み、場の空気を和ませるためにカフェオレを口にする。そうしてほうっと息を吐けば、アイリスは「その寛大さ、さすが聖女様です」と笑った。


「アイリス、この際だから言っておきますが、私は自分が聖女などと思っていません」

「その謙虚な考え方こそ、聖女らしいと思いますよ?」


 満面の笑みで言われてしまった。

 なんか、なにを言っても逆効果な気がする。


 仕方ない。いまは焦らず時期を待とう。もうすぐ、聖女を探すための、聖女候補に課せられる試練が始まる。そうなれば、必然的にヒロインが存在感を示すはずだ。

 だから私は聖女であることを否定するのは諦めて、アイリスとの世間話に花を咲かせることにした。こうして、アイリスとのお茶会は終了。

 私は王都にある屋敷へ戻るため、馬車の待つ正門へと向かったのだが――その道すがら、キャンバスの隅っこで令嬢達に詰め寄られているヒロインを見かけてしまった。

 

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