エピソード 2ー1

 湖上の魔術発表会からあっという間に半年が過ぎ、乙女ゲームの舞台となる学院の高等部に入学する季節がやってきた。いよいよヒロインと出会うことになる。


 私が学院でやることはただ一つ。

 ヒロインが聖女であると周囲に認められるように協力することだけだ。それさえ終われば、私はこの恵まれた環境で幸せに暮らすことが出来る。

 なのに、私が聖女候補の一人に選ばれた。

 いや、なんでよと突っ込みたい。


 もちろん、私はあくまでも候補だ。原作でも、ヒロインの他に候補は三十人近くいる。いまさら一人増えたって態勢に影響はないのかもしれない。

 だけど、万が一が起きたら私の幸せが全部壊れちゃう。そう考えると気が気じゃない。学院に通うようになったら、すぐにでも自分は聖女でないと否定したいところだ。


 という訳で、始まった新学期。

 私は王都にあるお屋敷から学院へと向かった。身に着けるのは、乙女ゲームのイラストレーターがデザインした、現代の学生服を異世界風にアレンジしたデザインの制服。


 スカートを翻し、陽光が降り注ぐ講堂で入学式に参加した。それから学び舎となる教室へと移動。ホームルームで自己紹介をおこなえば今日の行事は終了だ。

 帰る準備をする私のところにシリル様がやってきた。他の主要なメンバーは別のクラスだけれど、私とシリル様は同じクラスになったようだ。私はシリル様にカーテシーをする。


「シリル様。半年ぶりですね」

「ああ。そなたと再会できる、今日という日を心待ちにしていた」


 優しげに微笑みかけてくる。シリル様のキャラメルブロンドの髪が窓から差し込む陽光を浴びてキラキラと輝いている。近くの子女達から黄色い悲鳴が上がった。

 半年前よりもイケメンっぷりに磨きが掛かっている気がする。そんなことを考えながら「そのように言っていただけるなんてとても光栄ですわ」と微笑み返した。

 今度は子息子女から歓声が上がった。一瞬なんでと思ったけど、そう言えばいまの私は見た目が完璧な悪役令嬢だったと思い出して心の中で苦笑する。


「――シリル兄さん」


 サンディーブロンドの男の子が険しい顔でシリル様の袖を引いた。シリルを兄さんと呼ぶ彼は第二王子のウォルフ様、彼もまた攻略対象の一人である。

 ちなみに、弟と言っても腹違いで、学年はシリル様と変わらない。そんな彼に袖を引かれたシリル様が「あぁ、分かっている」と言って、私に視線を向けた。


「ソフィア、こいつは弟のウォルフだ。クラスは違うがよろしくしてやってくれ」

「ウォルフ様ですね。よろしくお願いいたしますわ」


 私が彼を見かけるのは初めてではないけれど、こうして挨拶をするのは初めてだ。私は最上位の挨拶、膝を深く曲げるカーテシーをおこなった。


「……ウォルフだ。学院でそのように格式張った挨拶の必要はない。それと、湖上の魔術発表会で兄さんを助けてくれたことには心から感謝している」

「もったいないお言葉です」


 私はそう答えつつも気を抜かなかった。彼の険しい表情から、だけど――と、続きそうだったから。そしてその予想は当たっていた。


「だが、その功績を自らが聖女候補になるために利用したな? 俺はそのような策を弄するするおまえが聖女にふさわしいとは思えない」


 トゲのある彼の声が、放課後の教室に不思議と響き渡った。帰る準備をしていたクラスメイトが一斉に沈黙する。そんな中、私は目を輝かせ、彼の手をギュッと握った。


「ウォルフ様、ご慧眼ですわ!」


 正直なところ、家族ばかりか、シリル様まで私が聖女とか言い出したときは、先行きが不安で泣きそうになったけど、ちゃんと私が聖女じゃないと分かってくれている人がいた。

 こんなに頼もしいことはないと感動する。


「……ご慧眼だと? どういう意味だ?」

「私は聖女にふさわしい人間ではない、という意味ですわ」


 私が詰め寄って微笑めば、ウォルフ様は焦った様子でその身を仰け反らせ、私の手を振り払う。


「……それは、自分は聖女という地位に固執していないという演技か? なかなか上手い手だとは思うが、俺はそんな小細工に惑わされたりしないからな」

「ええ、もちろんです」


 どうかそのまま、私は聖女ではないと否定し続けてくださいと微笑んだ。彼はなにかを言い返そうとするけれど、それを遮るようにシリル様があいだに割って入った。


「おい、ウォルフ、私の恩人に失礼だろう。そもそも、そのような暴言を吐かせるために、おまえにソフィアを紹介したのではないぞ」

「すまない、兄さん。だが、兄さんは人を簡単に信じすぎだ。……とはいえ、教室で話すことではなかったかも知れないな。ソフィア、すまなかった」


 彼はそう言って頭を下げると、踵を返した。シリル様が呼び止めるけれど、ウォルフ様はそのまま教室から立ち去っていった。

 それを見送った後、シリル様は溜め息を吐いて私に向き直った。


「すまない。ウォルフは後できちんと叱っておく」

「気にしておりませんわ。それに、ウォルフ様は恐らく、貴方に近づく人間を警戒なさっているのでしょう。あまり叱らないであげてください」

「……ソフィアは寛大だな」


 彼はそう言って私の頬を指先で撫でた。心臓が跳ね上がり、二人の距離感が一気に縮まるように感じた。なんか、乙女ゲームのヒロインになったみたいだ。

 なんてことを考えていたら、シリル様の背後に女の子がいるのが目に入った。


「シリル様、もしや、もう一人紹介してくださっている方がいるのではありませんか?」


 私が促すと、シリル様は「おまえは相変わらずつれないな」と苦笑して、それから背後にいるアイリスを招き寄せた。


「既に顔見知りだと聞いているが改めて紹介しよう。私やウォルフの幼なじみにして、騎士団長の娘、アイリス・レストゥールだ」


 紹介を受けるなり、彼女は紫がかった長い髪を揺らして詰め寄ってきた。


「また会えましたね、聖女様」


 いいえ、人違いです。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る