エピソード 1ー10

 謁見が終わった後、私は中庭に用意された茶会の席にいた。

 大理石の柱と石の屋根が直射日光を遮り、柔らかな光が降り注ぐ。そんな茶会の席で、丸テーブルを挟んで、シリル様と向かい合って座っている。


「ソフィア、まずは急な申し出にもかかわらず、招待に応じてくれたことに感謝する」

「こちらこそ、シリル様にご招待いただき光栄ですわ」


 私が微笑み返すと、シリル様は嬉しそうに目を細めた。煌めく光を浴びた彼は、その笑顔そのものが輝いているようにすら見える。さすが攻略対象、とんでもなく顔がいい。

 そうして目の保養をしていると、彼は不意に頭を下げた。


「先日はすまなかった。本当なら、私がそなたを守るべきだったのに、私が不甲斐ないばかりに、そなたを危険な目に合わせてしまった」

「私が勝手にしたことですわ。それにシリル様なら、私が手を出さずとも、ご自分でなんとかしてしまわれたのではありませんか?」

「だとしても、そなたが私を守ってくれた事実に変わりはない。そなたは命の恩人だ」


 彼は深々と頭を下げた。

 私が「シリル様のお役に立てたのなら光栄ですわ。それに、シリル様も私の命を救ってくださったのでおあいこです」と微笑むと、シリル様はようやく頭を上げた。


「……そうか。ならば、互いに命を助け合った者同士という訳だな」


 そう言ってはにかむシリル様が可愛すぎる。この笑顔を保存したい。この世界にカメラはないのかしらと考えていると、彼はティーカップを手に取った。


「この日のために取り寄せた紅茶だ、そなたも飲むといい」


 勧めに応じてカップを口に運ぶと、芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。

 それからしばらくは、雑談を交わしながらお茶会を楽しんだ。シリル様が興味を示したのは、私が湖上の魔術発表会で虹を作り出したことだ。

 やはりこの世界の住人にとって、狙って虹を作るのは意外性が大きかったらしい。


 そうして話を続けていると、侍女が紅茶のおかわりを持ってやってきた。侍女は紅茶を入れ替えるとき、シリルになにかを耳打ちした。


「あいつら、またそんなことを……。いや、かまわない」


 と、シリル様の声が聞こえてくる。というか……あれ? なんかこのやり取り、記憶にある。たぶん、原作だよね。となると、王城の中庭のイベントかな? 

 ……ああ、分かった。ヒロインが、シリル様に招待されたときのイベントだ。


 シリル様には仲のいい相手が二人いる。騎士団長の娘であるアイリスと、第二王子――つまりは弟のウォルフ様だ。ウォルフ様は弟だけど、腹違いで同学年ということもあり、兄弟という印象は弱い。三人は幼なじみと言っても差し支えないだろう。


 そんな彼らは、王太子であるシリルに近づく者達を警戒している。だから、シリルが誰かと仲良くなると、相手の人柄をたしかめようとすることがある。


 シリル様がヒロインを中庭に招待したときも、ウォルフ様とアイリスは、物陰からヒロインの様子をうかがうというシーンがあった。


 さっきのシリル様と侍女のやり取りは、そのときのやり取りにそっくりだった。もしかしたら、二人はどこかからこのお茶会の様子をうかがっているのかもしれない。


「すまない。今日は友人を紹介するつもりだったのだが、少し予定が入ったそうだ」

「まあ、そうでしたか。シリル様の友人というと、騎士団長の息子であるアイリス様。あるいは、ウォルフ様あたりでしょうか?」

「ほう、よく分かったな。まさにその二人だ」


 シリル様は少し驚くような素振りを見せた。


「クラスが違うのでほとんど接点はございませんが、学院で皆様がご一緒なのを何度か見かけたことがございますわ。それにお三方の仲の良さは有名ですから」

「そうなのか? まあ、長い付き合いなのはたしかだな」


 ちなみに、貴族が通う学院は一年を通して通う訳じゃない。各地の貴族が王都に集まる社交界のシーズン、およそ三ヶ月から半年のあいだだけ集中的に通うことになる。とくに中等部は期間が短いので、同じ学校の生徒と言っても、クラスが違えばほとんど接点がない。


 これが高等部になれば多少は変わってくるが、原作ゲームでの私と彼らの接点はヒロインに関係するときだけだ。出来れば、直接的な接点も持っておきたい。


 そう考えた私は「ですが、残念ですね。お二人とはいつかゆっくりお話ししてみたいと思っていたのですが……」と、さりげなく伝えた――はずだった。


「……それは、なぜだ?」


 なぜか、シリル様の声に警戒心が混じった。

 私は警戒されることに戸惑いながらも、「シリル様のご友人だからですわ。それに、アイリス様の魔術を拝見しましたが、とても素敵でした」と弁解する。


「そうか、アイリスもソフィアの魔術に興味を抱いていたぞ」


 そう言って笑う。シリル様の纏う気配には、さきほど滲んだ警戒心は少しも残っていなかった。……もしかして、ウォルフ様に嫉妬したのかな?

 シリル様は優しい顔立ちなんだけど、ウォルフ様はちょっときつめの顔立ちだ。中等部のご令嬢達は、クールな感じが素敵だとウォルフ様に興味が持つことが多かった。


 だから、シリル様はウォルフ様に嫉妬していた時期があるという話が作中で語られるんだよね。実際に彼が嫉妬するシーンはなかったんだけど、生で見られるなんてちょっと嬉しい。

 大丈夫、私はシリル様推しですよ。


 そんなふうに心の中で呟いていたら、シリル様がチラリと私の後方へ視線を向けた。きっと、いまそこに二人がいるのだろう。二人の存在を背後に感じて笑みを零す。


「そういう理由なら、今日は会えなくて残念だな。高等部の授業が始まったら、私が二人を紹介すると言うのはどうだ?」

「よろしいのですか?」


 願ってもないことだと身を乗り出した。

 だが――


「もちろん、恩人であるソフィアの願いだからな。それに噂の聖女候補が相手ともなれば、あの二人も興味津々だろう」


 予想外のことを聞き、思わず息を呑んだ。


「……噂の、聖女候補、ですか?」

「なんだ、聞いていないのか? 私を助けた献身に加え、本物の虹を生み出した力。そなたこそが、真の聖女ではと、あちこちで噂されているようだぞ?」

「は、初耳です!」


 私は聖女どころか悪役令嬢だ。悪役令嬢として振る舞うつもりはないけれど、聖女と間違えられるなんてあり得ない。もしかして頑張りすぎた?

 ……というか、待って。


 ヒロインが聖女に認定されなかった場合、大陸を魔物が埋め尽くすことになる。聖女が誰か知っている以上、あり得ないバッドエンドだと思っていたけれど……え? 私が聖女に認定されて、世界が滅びる可能性が生まれたのでは?


 いや、落ち着こう。

 何度でも言うけれど、私は聖女がヒロインであることを知っている。ヒロインが聖女だと、私が頑張って主張すれば大丈夫のはず……じゃないよ!

 私ががんばればがんばるほど、私が聖女だと誤解する人が増える気がする!


 だとすれば、私が悪事を働けば……ダメだ。聖女には選ばれないかも知れないけど、私が断罪されちゃう。そうしたら、私が幸せに暮らすという願いが叶わない。

 しかも、それでヒロインが聖女に選ばれるかどうかも分からない。


 ……え? もしかして、詰んでるのでは? いやいやそんな。なにか方法があるはずだ。ある……はずだよね? こんなおかしな理由で詰んだりしないよね?


 そんな私の動揺をよそに、お茶会は無事に終わった。

 それから季節は移り、高等部へと入学する直前になった。そんなある日、正式に数十名が聖女候補として選出された。その中にはヒロインと――私の名前が連ねられていた。

 

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