千鶴

第1話

 コケシが2人、テーブルを挟んで目の前に並ぶ。1人は気まずそうに汗を拭うコケシ。そしてもう1人は、おのれをこの世の勝ち組だと信じて疑わないコケシ。

 

あかねちゃんってさ、どんな人がタイプ?」

「少なくともお前ではないね」

 

 そんな辛辣な茜の返答に妄想勝ち組コケシがフッと笑いをこぼしているのを横目に、私はハイボールを煽った。

 新小岩駅の片隅の、こじんまりとした居酒屋の一番奥のテーブル。ここにコケシ×2と私と茜の4人が向かい合う奇妙な状況になった経緯はひとまず置いておいて、私は目の前の鮎の塩焼きに手をつける。

 粗塩を振られ、表面がパリッと焼けた鮎。普段、私が友達とお酒を嗜む時は大抵刺身の盛り合わせを頼むことが多いのだけど、今日はなんとなく焼き魚を注文した。理由は明白だ。茜はともかく、こんなコケシたちと一緒に同じ皿をつつくのはごめんだと思ったから。

 

「っていうか拓巳たくみは? 拓巳が来いっていうからあたし、大切な友達まで連れて今日渋谷からわざわざここまで来たんだけど。なのに居ないってどういうつもりなわけ?」

「あー、拓巳さんならもう少しで来るよ。それまで俺らで場を繋いどくようにって言われてさ。だからそんなにぷりぷり怒らないで、楽しく飲もうよ。ね? 茜ちゃん」

「は? なんで意味もわからず今日初めて会った男たち相手に、うちらが気を遣って酒飲まなきゃいけないの? ってか誰、お前」

「俺? 俺はタカシ。22歳」

「いや自己紹介しろって意味じゃなくて……あー、まあいいや。そんで、隣の人はめっちゃ気まずそうだけど。さっきから芋焼酎ガブ飲みでさ」

 

 私が鮎にかぶりつきながら視線を上げれば、確かにタカシの隣に座る男は気まずそうに顔を伏せていた。髪が長いのか、ひとつ結びで後ろに縛ってキャップを目深に被り、大ぶりな眼鏡をかけている。

 

「あ、いや。僕のことは気になさらず。どうぞたくさん食べて飲んでもらって」

「ほら。こいつもこう言ってるんだし、とにかく飲もう? あ、お友達ハイボールおかわりでいい?」

「あー、まあ」

 

 私のことを“お友達”と呼ぶタカシは、何故か隣の男にハイボールを注文してこい、と頼んだ。隣の男もはい、なんてへこへこしながら頭を下げて席を立ち、注文を伝えに行く。

 え。ここ店員を呼ぶボタンとかないの? っていうかこの店、うちら以外のお客もいなければしばらく店員の姿も見ていないんだけど。お店に入った時には確か、可愛らしいママさんが向こうに見えるカウンターの奥に立っていたはずだ。

 

「ねえねえ、茜ちゃんは拓巳さんのどんなところに惚れたの?」

「は? なに急に。っていうか茜ちゃんとか馴れ馴れしく呼ぶのやめてくんない?」

「いいじゃん、茜ちゃん二十歳でしょ? 俺より年下。ね? 酒のつまみに恋バナでもしようよ。やっぱり拓巳さんの魅力って経済力? あとはー……あ、そっか。顔もいいもんな、拓巳さんは。茜ちゃん面食めんくいだ?」

 

 俺と違って、と下品に笑うタカシの脂肪を蓄えた下顎が揺れている。そんなクソしょうもない光景に私が恐る恐る茜を見れば、その麗しい白肌のひたいにはくっきりと血管が浮かんでいた。

 

 あ、やばい。茜さん激ギレ。

 その瞬間、茜は勢いよく立ち上がるとタカシを見下して舌打ちをした。

 

「あのさ。お前マジでつまんないんだわ。タカシだかコケシだか知んないけど、年上ってだけで上から話してくるのも癪に触るわけ。こっちは2週間前からわざわざ予定を組んで、拓巳に会わせたいからってミカにもこうして付き合ってもらって、あたしが申し訳ない思いしてるの分かんない? それをミカの名前さえ訊かずに“お友達”とか呼ぶのも失礼だし、今んとこお前全部間違っちゃってるから」

 

 清々しいほどの切れ味で捲し立てた茜の言葉を受けて、タカシも負けじと立ち上がる。そんな2人を、私は鮎にかぶりつきながら見上げていた。ああ、川魚って結構美味いんだ。早くハイボールのおかわり来ないかな、なんて思いながら。

 

「……は? やば。なんなのこのガキ。黙って聞いてればクソ生意気でこっちも無理なんだけど。あー、もうやめだわ。無理無理! 拓巳さーん?」

 

 いきなり空間に向かって大声で拓巳を呼び出したタカシ。すると、すぐに店の引き戸が開いた。そこから顔を出したのはスラっとした細身の男で、茶色の髪先を気にしながら苦笑いでこちらに歩いてくるその男は『やばー、ドッキリ失敗ー』とのたまった。

 え、ドッキリ? どういうこと?

 

「あー、流石にしんどいっすわ拓巳さん」

「ごめんタカシ、やっぱり試しといて・・・・・良かったよ。助かった」

「ほんとっすよ。こんなガキ、拓巳さんには合わないっす。まじで付き合う前に本性知れてよかったですよ」

 

 ニヤニヤ笑い合うタカシと拓巳。その状況に、私はようやくこの奇妙な飲み会の全貌を察しはじめた。

 

「拓巳、なにこれ。説明してよ」

「あー、まだ分かんない? やっぱり顔だけ可愛くても性格が曲がってちゃだめだな、女は。大学で噂になってたんだよ。茜は人によって態度を変える性格の悪い女だって。俺の実家が太いのを察知して近づいてきてる、やめた方がいいって言われてさ。まあ俺も茜の顔はタイプだったし、スタイルも良くて付き合うにはいいかもーって迷ってたから、ここは一回タカシ使って試してみようかなって」

 

 みようかな? いやいや、ありえない。なんだその言い分。

 

「だから、いつもは高級イタリアンとかフレンチとか連れて行くところを小さな居酒屋にしたり、俺が待ち合わせに来ないハプニングを装って様子を見ていたけど、まじですぐ化けの皮剥がれて笑ったわ。お友達も全然会話弾ませようとしないで酒飲むばっかのカス野郎だし、類は友を呼ぶって本当なんだな」

 

 気づけば。私は立ち上がった瞬間に走り出して、その勢いのまま拓巳に体当たりしていた。吹っ飛んだ拓巳は背中を打ちつけてカウンターの椅子を倒し、地べたに尻をつく。

 

「な、なにすんだよこいつ!」

「黙れクズ。茜の性格が悪い? いや、お前らには負けるって。人の良し悪しを自分の目で確かめられもしない小者が、他人の声を鵜呑みにして試す? そんなもん茜じゃなくても気分悪いに決まってんだろ。高級イタリアンだのフレンチだのをこの居酒屋の引き合いに出してるのもイラつくし、お前みたいな金にしか物言わせらんない男にはこの居酒屋の良さも、茜の良さも! 一生わかんない。ってか、ここの鮎の塩焼きめっちゃ美味いから。舐めんじゃねぇよ」

「このクソガキっ……!」

 

 背後からの声。その声と一緒に向かってくるタカシの足音に振り向こうとしたけど、たぶんもうタカシは私のすぐそばまで来ていて。声の感じから察するに、たぶん私は殴られでもするのだろう、と覚悟を決めて首を引っ込める。だけど、痛みや衝撃は一向に訪れなくて。

 気になって振り向けば、そこにはハイボールの入ったグラスを片手に、もう片方の手でタカシの腕を鷲掴みにするキャップの男が立っていた。タカシの腕を掴むその手は小刻みに震えていて、思い切り力を入れていることが分かる。

 

「痛っ……なんだよクソ、手を離せ!」

 

 そう言って振り上げたタカシのもう片方の手が、キャップのつばをかすめた。男のキャップは宙を舞って、同時に緩く結んでいた髪のゴムも外れて。ほどけて揺れた黒髪の毛先は、発色のよい青色に染まっている。

 

「悪いけどそれは無理かな」

「お、お前この店の店員だろ! こっちはこの店貸切りにするために金払ってんだぞ! 客にこんなことしてタダで済むと思って」

「ごめんね。事情もよく知らないまま貸切を承諾しちゃったり、隣に座って友達のフリしてよって依頼を軽率に受け入れちゃった俺にも落ち度はあった。でも女の子殴ろうとするのはさすがにダメっしょ。客もクソもない。俺、ママから女の子には優しくしろって教育されてるから。だいたい君たち本当に悪手だよ。こんなことして好かれるわけないじゃん。マインド小5でやってる感じ?」

「なっ……なにがママだ! このマザコン野郎!」

 

 タカシが再び暴れる。おっとっと、なんて言いながら陽気にグラスのバランスをとる店員の男。妙にアンバランスな空気。

 だけどこの状況で、私はグラスが滑り落ちることよりも中身のハイボールが溢れることよりも懸念していることがあった。

 目の端に捉えただけでもわかる禍々まがまがしいオーラ。そのオーラの主である茜の目元は、怒りと苛立ちでかげっている。

 

「……ねえタカシ。このお店、今日は貸切りなんだ?」

「ふん、まあな。拓巳さんに感謝しな? おかげでお前らは世間に醜態を晒さずに済んだんだから」

「そうだね。でも、感謝するのはてめぇだよコケシ」

 

 そうして。茜の渾身の平手打ちがタカシの頬をとらえた。バチン、と皮膚が弾ける音。その勢いで振られた首を遠心力に逆らって戻せば、タカシは口元を歪めて無様に笑う。

 

「やっぱりな。頭のネジが外れてるわこの女」

「お言葉ですけど、てめぇ様はそのジャラジャラと身につけた脂肪と虚栄心を今すぐに外した方がいいんじゃないですかね。拓巳にへこへこするしか脳がない腰巾着さん?」

「っ……」

 

 再び突き刺さった茜の言葉は、どうやらタカシに致命傷を与えた様子で。大人しくなったタカシの腕を店員の男が離せば、そのままとぼとぼと店の出口に歩き出した。拓巳は顔を歪ませつつも、立ち上がるとそのままタカシの後を追う。

 

「あら。もうお帰りなの? 貸し切りが終わるまではまだ時間が」

「……失礼します」

 

 引き戸を開けてすぐに入れ違いで入ってきた小柄の女性は腕に買い物袋を下げながら、去っていく男たちの背中を不思議そうに見つめる。

 

「どうしちゃったのかしら。ルイくんなんか知ってる?」

「いいや、別になーんにも。あ、荷物持つよママ。買い出しお疲れさま」

 

 駆け寄る店員。——そうだ。私がさっきカウンターの向こうで見た女性は、今帰ってきたこの人だった。なるほど、彼女がこの店のママか。

 

「それなら、料理の追加はもう必要ないのかしら」

「あー……すみません。うちらもすぐに帰るので。今日はお騒がせしちゃって本当にごめんなさい。行こう、ミカ」

「あ、ちょっと待って」

 

 そう言って、店を出ようとする茜を引き留めるママさん。

 

「貸し切り分、まだ全然おもてなしできてないの。もしあなたたちがよければもう少し飲んでいかない? まあ流石にこのまま貸し切りなのも勿体無いから、他のお客さんも呼んじゃうんだけどね。どうかな」

「それは、その」

「大丈夫よ。事前に貰っているお金以上に請求する気はないわ。せっかく初めてうちの店に来てくれたんだもの、嫌な思い出にして帰って欲しくないのよ。ね?」

 

 可愛らしく微笑むママさんに、茜は私の気持ちを汲もうと目配せしてくる。どうする? と言わんばかりのその視線に私が頷けば、茜はじゃあもう少しだけ、と頭を下げた。

 

「そう、よかった! じゃあこっちのカウンターに座って? ルイくん、テーブル片付けちゃってくれる?」

「はーい、ステンバイミードラえもん」

 

 よくわからない返事をしながらテキパキ片付けるルイさんと、エプロンを身につけて食材を切るママさん。その様子を見ながら、私と茜は隣り合って座る。

 

「あのさ、茜」

 

 私はそう切り出したものの、言葉に迷った。茜は私に拓巳を紹介することを楽しみにしていたはずだったから。まさか蓋を開けたらあんな男で、こんな展開が待ち受けているなんて予想もしなかったはず。なんて声をかけたら——そんなふうに考えていると、なんと茜はわたしの頬をつねってきた。

 

「痛っ! いや、は? なにすんの」

「そんな落ち込んだ顔しなくていいよ。別にあたし、傷ついてない」

「でも」

「っていうかミカ、なんで否定しないわけ?」

「なにが」

「酒カス野郎って言われたこと! 自分のこと貶されてるのに、怒るのはあたしに対してのことばっかでさ」

「そ、そうだったっけ」

 

 ってか、酒カス野郎なんて言われたか?

 

「まあ、飲み直そう。ママさんのご好意に甘えて」

「そうだね」

「ルイって人もなんか眼鏡とキャップ外したら印象違うし。ってか割とイケメンじゃない?」

「そう? じゃあ私狙っちゃおっかな」

「いやミカ、どんだけ」


 そう言ってカラッと笑う茜に、私も思わず釣られて笑う。


「そうだ。さっきの鮎、美味かったんだっけ? 頼もうかな」

「うん、おすすめ。絶品だよ」


 

 そうして会話をする私と茜を、ママさんもルイさんも優しい表情で見ていたことには、この時はまだ気がつかなくて。

 

「じゃあ改めて。乾杯」

「うん。乾杯」

 

 これからこのお店の常連になることも、店名である『うさぎの国のアリス』の由来を聞くことも、

 

 まだもう少しだけ、先の話だ。

 

 

 

 FIN

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千鶴 @fachizuru

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