夏魔法

「夏だから今日から休みになるらしい」

 早朝クラスメイトのリカが突然家にやってきたと思えば、突然そんなことを言い出した。


「夏だから休みってどういう事? 意味わかんない」

 私は寝ぼけた頭で考えてみたが、やっぱりどうにもわからない。


「夏休みっていうらしい。去年からこの時期はあまりに暑くなったから、そういう風に決まったみたい」

 リカは興奮気味に続ける。確かに去年の夏は暑かった。確か平均して35℃前後、記録的な猛暑だったらしい。今年も去年ほどではないが、それに匹敵する猛暑になるという話だ。一昨年の平均気温が25℃前後だったことを考えればどうにかなってしまいそうな温度差である。私たちが生まれるよりもはるか前、一世紀近くの間、『太陽の熱を遮るカーテンの魔法』を管理していたベテラン魔法使いがいたのだが、どうやらその人が去年の春ごろに亡くなったらしい。当時は夏直前という事もあり、それなりに現場はパニック状態だったらしい。そうなると『太陽の熱を遮る魔法』の後継者が必要になるのだが、どうやら後継者予定だった人物はそのさらに一月前に不慮の事故で亡くなっていたらしく、残された魔導書を基に急ピッチで新たな後継者を用意しているらしいが、少なくともそれが用意できるまであと2~3年は時間を必要とするという発表だった。こうして私たち人類は暫し『太陽の熱を遮るカーテンの魔法』を失い、世界には暑い夏が訪れた。


 私は玄関の隙間から外を見た。すがすがしいほどの青い空、これは魔法がかかっていた暑い夏になる以前は見られなかったものだ。これはこれで素敵なのだが、やっぱりどうにもこうにも暑すぎる。太陽が上がりきると、部屋の中はまるでサウナのような暑さになる。私自身、それなりに忍耐強い方だと自分では思っているが、正直この暑さにはかなり参っていた。しかしそんな中で決定した夏休み、中々考えたものじゃないか。それならばこの夏の暑さにも、ほんの少しだが感謝しても良いかもしれない。「あ、そうだ」私はふと、あることを思い出した。


「どうしたの?」

 リカは首を横に傾げた。


「ほらこの前から頼んでた、昨日届いたんだよ。まだ試してないんだけど、リカ、早く部屋にあがって!」

 リカは数秒間、口を開けたまま思考する。その意識外から戻ってきたリカは何のことかわかったようで「あれか!」と手を叩く。

 快適な夏は失ってしまったが、人類も黙って見ているわけではない。私とリカ、二人分合わせた先月のバイト代はすべて吹き飛んでしまったが、とうとうあれがうちにやってきたのである。私たちは駆け足で二階にある私の部屋までの階段を駆け上がった。


「おおーー、これだねぇーー」

 リカは私の部屋の机に置かれた魔導書を手に取る。そこに書かれている文字は『エアコンの魔法』。「それでエアコンって何?」リカが言った。


「なんかの略だったと思うけど忘れた。空気を調節する魔法みたいだから、エア……なんとか? みたいな感じじゃない?」

 コンディショナー? コントローラー? このどちらかだろうが、魔法の名前なんて些細なものである。肝心なのはその効力だ。


「なるほど。ねえ、とりあえず使ってみようよ! 本棚空いてる?」


「はいはい。ばっちり空いてるよ。ちょっと待ってね」

 部屋の割に大きめの本棚は半分以上が空の状態だった。私は日常的に魔法をよく使う方だったので、部屋に取り付けている魔導書の本棚も大きめのものなのだが、魔法を買うにもそれなりにお金が必要だ。誕生日のプレゼントや日々のおこづかいで少しずつ集めてはいるものの、この本棚が全て埋まるのはまだまだ先になりそうだ。急かすリカを横目に、私は本棚に魔導書をセットする。今まで熱を操る系の魔法と言えば『焚火の魔法』や『暖炉の魔法』等、基本的に出回っているものの多くが熱を上げるものが主流だったという。近年は『冷蔵庫の魔法』や『クーラーボックスの魔法』等、熱を下げる魔法も出てきたが、今回手に入れたこの『エアコンの魔法』も、それの発生系のような魔法である。今まで物は熱を上げるにしろ下げるにしろ、極端に熱を変化させてそれにより温度を変化させるものだった。それにたいしてこの『エアコンの魔法』が操る温度の幅は非常に狭い。だがそれが良い。一定範囲(今回の場合だと私の部屋)の温度を適温に調節(手動による微妙性可)してくれて、なによりそれに特化しているから魔力の消費に無駄も無い。


 魔法が発動して魔力の流れが作られているのを感じる。調節に若干の時間がかかるのだろう。即効性はそこまで高くない魔法なのだろうか? しかしそれは間違いだった。先ほどまで蒸し暑かった室内が、一瞬にして快適な空間へと変化したのだ。


「エマ、これやばいよ! 涼しいーー!」

 リカは私に抱きついて言った。


「ちょっと、くっつかないで、暑……くはないか」

 むしろひんやりとした室内だと、リカの体温が心地よいまである。


「でもさっきまで暑かったからお互いにちょっとだけ身体がベタベタしてるね」

 リカは私の首周りをペチペチと叩きながら言った。


「ちょっと、なんで私の身体叩くのよ。汗かいてたんだから、ベタベタするのは当たり前でしょう? それよりも、これかなりいいわね。やっぱり暑いと、のぼせちゃったりするし?」


「そうそう、しかも今は夏のお休みときたもんだ」


「そういえばさ、その休みって具体的に何時が休みになるの? 今日が月曜日だから、毎週月曜日とか?」


「え、これからずっとだよ。夏が終わるまでずっと。えーと確か8月32日だっけ?」


「8月は31日まででしょ。というかずっとって、今日から数えると四十日くらいあるけど、それ本当なの!? 流石に馬鹿なんじゃないの?」


「そんな私に言われても」


「それはそうだけど、急に一月以上学校の授業が無くなるって、かなりの異常事態よ?」


「まあ私はエマと違って普段学校で授業してるときもそんなに真面目に受けてないし、そんなに変わんない気がするけど」


「私は別に平気なのよ。授業が無くても勝手に勉強するから。問題はリカみたいな子、絶対夏休みの間、何にもしないでしょう!」


「あー、確かに? 授業あると嫌でも勉強することになるし、どうしよう、馬鹿が加速してしまう……。まあでも別にいいか」


「良くないでしょう。ちょっと諦めるの早すぎ!」


「いやでも急に勉強しましょうってかなり無理よりの無理だよ?」


「まあそれはそうだけど……。とりあえず私が毎日一緒にいるとして、それで勉強をさせることができるとは限らないし……」


「ああ、毎日一緒にいてくれるんだ。そんな重い感情を持ってるエマ好きーーーー」

 抱きついていたリカがそのまま私を押し倒す。


「重いのはリカでしょ。ちょっと、つぶれる……」


「エマは虚弱だねぇ。私の身長140センチ無いうえにこのスリムさだよ? このくらい支えてくれないと、身体を預けられないよ? ていうか普通にエマの方が重……むぐ」

 私はリカが全て言い切る前に彼女の口を塞いだ。


「そんなこと言っても、いくらリカが軽かろうが、人間は最低限それなりに重さがあるの! ぐ……、本当に持ち上がらない……」


「仕方ないなぁ。……あれ、なんか通知が来てる。『郵便魔法』だ」


「郵便? あれ、私もだよ?」


「エマも? 何だろうね」

 私とリカは『郵便魔法』の封を解いた。すると何やら本やプリントの数々がその場に現れる。私のものとリカのものは全く同じ内容で、恐らくは同じ送り主なのだろう。送り主を見ると、私たちの通っている学校名と担任の名前が記されていた。これはもしや……。私の感は的中する。

「これさ、宿題じゃない?」


「え、宿題? それにしては量が尋常じゃなくない!? いつも出る宿題の比じゃないよ!?」

 リカは信じられないという顔をしながら内容物を確認する。

「エマ、やばいよ、夏休みの宿題って書いてある!」


「まあ一月以上あるわけだし、このくらいの量の宿題が出ても、おかしくは無いかもねぇ……。むしろ日数の割にはこのくらいで良心的なんじゃない?」


「この量が良心的!? 私的にはそんなものかけらも無いよ!?」

 リカは肩を落としてうなだれる。


「まあ別にいいじゃない、馬鹿が加速しないで済んで。勉強なら私が教えてあげるし、学校と違って私の部屋なら周りの目も気にしなくていいし?」

 私はリカから目をそらして言った。


「それ途中で勉強以外の事しちゃわない? まあ、それはそれでいいか」


「それは……勉強した後だから。まず先に宿題! やりたいことはその後!」


「まあ、言われればやるけどーー」

 リカは私の上でさらに体重をかけて言った。部屋の中は大分冷えてきたが私の首筋に少しだけ汗がにじむ。夏はまだ始まったばかりだ。今日一日くらいはサボっても良いか、私は思った。

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夏を追いかけて 藤宮紫苑 @sio_n

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