冷酷な魔女様の一日は、従者の僕に惚れ薬を飲ませることから始まる

安居院晃

冷酷な魔女様の惚れ薬

 東の空に朝日が昇った、午前七時。


「よし、今日も完璧」


 窓から差し込む白い陽光に照らされた調理場にて。

 大鍋の中で沸騰する魚介と野菜のスープをお玉でかき混ぜながら、僕は誰にも聞かれることのない独り言を呟いた。


 今日の朝食はスープ以外にも数点。

 丁度良い焦げ目のついた甘いフレンチトーストに新鮮な野菜を使ったサラダ、カリカリに焼いたベーコンエッグ、厳選された茶葉を用いた紅茶と、一般的な庶民の朝食と比較してかなり豪勢なメニューとなっている。


 呟いた通り、出来栄えは完璧だ。

 味も見た目も文句なし。点数をつけるならば百点以外に考えられない、といった感じだ。

 主人に出す料理として、何ら過不足ない。


「さてじゃあ……呼びに行きますか」


 空色のエプロンを外した僕は椅子の背凭れにそれを置き、緩めていたネクタイを締め直して調理場を後にした。

 今日はどうだろう。ちゃんと起きているかな? 冷めてしまう前に料理を食べてほしいし、ちゃんと起きていると嬉しいな。

 廊下を歩きながら僕は祈り、やがて到着した目的の部屋の前で立ち止まった。


「……起きてはいるみたいだけど」


 扉の向こう側から聞こえる、ゴソゴソと動く音。

 それを鼓膜に捉えた僕は呆れの溜め息を一つ零し……ノックを二回した後、扉を開けて中に入る。

 そして、室内にいた人物に対して一言。


「ルティ様。また徹夜をしましたね?」


 僕の問い──否、確認に、実験器具や書物が散乱した部屋にいた銀髪の美しい少女は表情を一切変えることなく、持っていた丸底フラスコを見つめながら言った。


「鋭いね、レイエス。私が昨晩一睡もしていないことを見抜くなんて」

「この時間に起きていることと、目の下に浮かんでいる隈を見ればすぐにわかりますよ」

「なるほど、流石の推察力と観察力。私の従者は優秀だ」


 何故か嬉しそうに言った彼女──僕が仕える主人、ルティ=マーシャルド様は微かに口角を上げ、僕が立つ扉側へと身体の正面を向けた。


「今は朝の七時過ぎ。この時間に貴方が私を呼びに来るということはつまり、朝食ができたということかな」

「その通りです。けど、まずは寝たほうがいいんじゃないですか? 隈、酷いですよ」

「何を言っているの。私がレイエスの作った朝食を食べることなく眠りに就くなんて、鶏の卵から調理済みの目玉焼きが産まれるくらいありえないことだよ」

「何ですか、その絶妙に想像できる例え」

「私に聞かないで」

「貴女が言ったんですよ!?」

「私じゃない。寝不足で頭が回っていない私だよ」


 バサ! と長く美しい髪を払い、渾身の決め顔でルティ様は言った。

 何言ってるかわかんない。でも悔しい! 見惚れちゃう!

 窓から差し込む陽光を受ける美しいルティ様に視線を固定したまま、僕はハァ、と再び溜め息を吐いた。


「一般の民衆が今のルティ様を見たら驚きますよ。これが本当に『冷酷な魔女』の姿なのかーって」

「どう思われても構わない。そもそも『冷酷な魔女』っていう名前も、私がつけたわけじゃないし」

「さいですか」


 世間体など知ったことか。と、心底どうでも良さそうに言ったルティ様にそう返し、僕は彼女に尋ねた。


「で、今日はどうして徹夜したんですか?」

「いつも通りだよ。あらゆる病気を治す伝説の薬──『霊薬』の研究をしていたんだ。今回は結構いいところまでいったんだよね」

「なるほどね。で、成果はありましたか?」

「完成はしなかったよ。ただ、その副産物でこんなものができたんだ」


 僕のほうへと歩み寄ってきたルティ様は持っていた丸底フラスコを僕に手渡した。中に入っているのは、ワインのような赤紫色の液体。ただ、ブドウの香りはしない。鼻腔を擽るのはミントにも似た、爽快感のある香りだ。


「これは何の薬ですか?」

「……一日を元気に過ごすことができるドリンクだよ」

 

 一瞬目を逸らしたのを僕は見逃さなかったぞ……?

 細めた目で見つめると、ルティ様は僕の視線から逃れるように、瞼を下ろした。


 まぁ、わかっている。これが元気溌剌ドリンクではないことは。

 そして同時に、危険な代物でもない。


 いつも通り、さっさと飲んでしまおう。

 僕は渡されたフラスコに口をつけ、一気に中身の液体を喉に流し込んだ。

 不思議な味だ。甘くて、苦くて、時折塩辛い。名状しがたい味。めちゃくちゃマズイということはないのだけど、もう一度飲みたいとは決して思わない味だ。


「ど、どうかな!」


 液体を飲み干した僕を期待の宿った瞳で見つめるルティ様。

 彼女に、僕は微笑と共に返した。


「一日を元気に過ごせそうな感じがします」

「…………はあぁぁぁぁぁぁぁ」


 僕の感想を聞いたルティ様は数拍の間を空けた後、盛大に溜め息を吐いた後、フラフラと扉のほうへと近寄った。


「顔を洗ってくる」

「あ、はい」

「あと、明日までに乙女心についてのレポートを五千枚書いてきて」

「無茶なッ!?」


 僕の台詞には何も反応を示すことなく、ルティ様はトボトボと部屋を出て、洗面台のあるほうへと歩いていった。

 何処か哀愁の漂う彼女の背中を見送り、その足音が聞こえなくなった頃、


「惚れ薬なんて、僕には効かないですよ。ルティ様」


 空になった丸底フラスコを机上に安置し、僕はクスッと笑った。

 ルティ様は隠し通せていると思っているようだけど、残念ながら僕は全てを知っている。


・ルティ様が毎朝僕に飲ませているドリンクはお手製の惚れ薬であること

・ルティ様が徹夜をしたのは、僕を惚れさせるための惚れ薬を作っているから

・とても嬉しいことに、ルティ様は僕を好いてくれていること


 秘匿されているはずのこれらをどうした僕が知っているのかというと、簡単な話、ルティ様は少々抜けているところがあるから。

 具体的にはどういうことかというと……僕は机上に置かれていた一冊のノートを手に取った。表紙に『惚れ薬のレシピ♡』と書かれたノートを。

 試しに中を開くと、一番最初のページには『絶対に惚れさせて見せる!』と目標が太い文字で書かれている。


 いや可愛いかよ。可愛い以外にないわ、これ。

 これを読んで胸がキュンとしないやつは恐らく人間じゃない。キュンとせずして何が人間だ! 表ではクールを装っているのに、その実、胸の内側では熱い恋の炎を燃やしてるなんて……ギャップでこちらがやられてしまいそうになる。可愛すぎでしょ、うちのお嬢様! 


 心の中で叫び、僕はノートをそっと元の場所に戻した。

 普段はこれらを僕に見られないよう、用事を済ませたらすぐに僕を部屋から追い出すのだけど……今日はよほど疲れていたらしい。僕を退室させずに洗面所へ向かうとは。詰めが甘いというか、抜けているというか。まぁ、そんなところも可愛いのだけど。


 これ以上、ルティ様の秘密を覗き見るのは彼女に申し訳ない。

 早々に調理場へ戻り、出来上がっている料理を机に並べてしまおう。

 部屋を出た僕は後ろ手で扉を閉め、調理場へと向かった。


 え? ところで、どうして僕には惚れ薬が効かないのかって?

 簡単な理由だ。


 もうとっくに惚れているから。

 どれだけ惚れ薬を飲まされても、意味なんてないのさ。



   ◇ ◇



「また失敗だ……」


 調理場の隣にある、整理整頓が行き届いたリビング。

 柔らかな赤いソファに腰を落ち着けたルティ様は、誰が見ても不機嫌であることがわかるほど、ムスッとした様子でフレンチトーストを食べながら呟いた。

 僕に届かないようにしているのか、呟きの声はとても小さい。だが残念なことに、ばっちり聞こえています。僕は耳が良いので。


 ティーカップに紅茶を注ぎながら、僕はルティ様に言った。


「あまり落ち込まないでください、ルティ様。霊薬は誰も作ることができなかった、伝説の秘薬でしょう? 失敗して当然ですよ」

「そっちじゃない」

「……失礼しました」


 勿論、そっちではないほうが何を示しているのかはわかっている。けど、それを言うわけにはいかないので、僕はそれ以上は何も言わなかった。

 実際のところ、ルティ様が作った惚れ薬が成功しているのか、失敗しているのか。それは僕にも彼女にもわからない。惚れ薬を使う前から既に惚れてしまっているから。


 なので、僕が確実に言えることとすれば、彼女の『僕を惚れさせる』という目的は既に達成されている、ということだけである。僕にも事情があるので、言わないけどね。


「それにしても、凄いですね」

「凄い? 何が?」


 首を傾げたルティ様に、僕は紅茶を注いだカップを差し出しながら言った。


「僕がルティ様に仕えてから、十年が経過しました。その間、貴女は一日たりとも欠かすことなく、霊薬の研究を続けている。何度失敗しても諦めることなく、根気強く継続している。それは誰にでもできることではありません。尊敬します」


 本心だ。

 例え作っているものは違ったとしても、何か一つのことを継続する、というのは想像以上に難しいことを。

 彼女の継続力や忍耐力には、素直に脱帽する想いだ。


「十年、かぁ……」


 一度食事の手を止めたルティ様は何を思っているのか、一度天井を見つめた後、僕を見た。


「ありがと。十年も、私を支えてくれて」

「お礼はいりません。僕のイルフォンス家は代々ルティ様のマーシャルド家に仕えているので……僕が貴女に仕え、支えるのは、当然のことです」

「だとしてもだよ。お礼は言わせてほしい」


 こればかりは譲らない。と、感謝の辞退を認めないルティ様には逆らうことなどできず。僕は『恐れ入ります』と頭を下げた──と。


「後悔したことは、ある?」

「え?」


 予想外の質問に僕が顔を上げると、ルティ様は何とも言えない表情で質問を続けた。


「もっと普通の……それこそ、普通の人生を歩んでいたら、今とはまた違った経験ができたと思う。学校で友達と遊んだり、学んだり、時には喧嘩したり……恋をしたり。そういう、普通を経験したいと思ったことは、ないの?」

「……ありますよ」


 嘘を吐くべきではない。

 そう考え、僕は正直に答えた。


「街に出て、夕暮れの道を歩く学生たちを見ると、そんなことを思うこともあります。僕も、彼らが享受している普通を経験してみたかったと、憧れたことも」

「……ごめ──」

「でも後悔はしていません」


 ルティ様の言葉を遮り、続けた。


「貴女に仕えてから今日まで、僕は一度たりとも貴女の従者になったことを後悔していません。寧ろ、光栄に思っています。貴女のように崇高で美しい、世界で一番尊い魔女様に仕えていることは、僕の数少ない誇りの一つですよ」

「……本当に?」

「本当です。特に色恋に関しては一族の決まりで、自由は保証されていませんし。もしも僕を縛ってしまっていると考えているのでしたら、そんな考えはやめてください。僕は──貴女の従者であることを幸せに思っていますから」

「……っ」


 僕の言葉を聞いたルティ様は、やや赤くなった頬を隠すように顔を逸らし──二言。


「ば、馬鹿…………ありがと」

「ふんぐ──ッ!!!!」


 ルティ様の存在が惚れ薬です──ッ!!!!

 あまりの可愛さ、尊さ、美しさ、可憐さに叫びそうになったが、僕は持ち前の精神力と根性、胆力で持ち堪えた。下唇を全力で噛みしめ、耐える。

 あ、あぶねぇ……もう少しでルティ様への尊さで身体が爆発四散するところだった。僕の精神力が常人の五千倍の強さを誇っていてよかった。命拾いしたぜ……。

 やれやれ、と額に浮かんだ汗を拭う。

 と、そんな僕を見たルティ様が心配そうに言った。


「えっと、大丈夫?」

「はい、大丈夫ですよ。一回心臓が止まっただけなので」

「そっか、よか……え?」


 ルティ様は困惑した様子だったが、僕が全力で笑顔を作っていたことも功を奏したのだろう。それ以上、追及することはなかった。



 平穏で、幸福で、充実した二人の生活。

 漠然と、僕は思っていた。この生活はいつまでも、僕たちが望む限り続くものであると。

 しかし、現実は違った。


 ──冷酷な魔女、貴族家当主の毒殺容疑で投獄。


 僕たちの幸福な日常が崩壊した報せが世界を駆け巡ったのは、一年後のことだった。



 ◆ ◆ ◆



 どうして10年もあって、伝えることができなかったんだろう。

 好きって言葉を口にすることができなかったんだろう。

 惚れ薬になんて頼らずに、言葉で伝えればよかった。


 陽の当たらない監獄。数多の犯罪者が収容される施設内で、特に重罪を犯した罪人が収監されている塔の一室。

 鬱屈とした空気が充満する牢の一室で、罪人の烙印を押された私は壁に背中を預け、後悔の念に苛まれていた。


 貴族の毒殺は冤罪だ。私はそんなことしていない。誰も殺していない。罪に問われるようなことなんて、何一つしていない。

 でも、裁判では無罪を主張したけれど……私の主張を信じる者は誰もいなかった。

 誰もが私を犯人と決めつけ、疑わなかった。

 死刑は回避することができたけれど、判決は終身刑。私は一生、この鬱屈とした狭い世界から出られない。見張られているから、死ぬこともできない。この場所で、見知らぬ誰かの犯した罪を償い続けることになる。


 最悪だ。

 まだ牢での生活が始まってから数ヵ月しか経っていないけれど、既に気は滅入っている。これが一生続くと考えると、本当に死にたくなった。


「……ハァ」


 膝を抱きかかえ、私は溜め息を零して瞼を下ろす。

 闇に閉ざされた視界。目を閉じると脳裏に浮かんでくるのは、最愛の男の子。十年という長い年月を共に生き、暮らし、私を支えてくれた想い人。

 かっこよくて、可愛らしくて、頼りになって……誰よりも好きな人。

 今、彼が何処で何をしているのかはわからない。

 もしかしたら、今は恋人を作って幸せに暮らしているのかもしれない。

 私の知らないところで、笑って過ごしているのかもしれない。


 願わくば、彼には幸せになってほしい。

 これは本心だ。嘘偽りのない、本心……なのだけど、こうも思ってしまう。


 ──私以外に、あの美しい笑顔を見せないでほしい。


 そんな我儘が浮かぶたびに胸がチクリと痛む。

 今の私に、そんなことを望む資格なんてないのに。


「……会いたいよ、レイエス」


 最愛の男の子の名前。

 目尻に浮かんだ涙と共に、私は言葉を零した──その時だった。


「──僕も会いたかったです、ルティ様」

「え?」


 唐突に聞こえた声。間違いない。聞き間違えるはずがない。それは確かに、私の愛した彼の声だった。

 いや、ありえない。ここは監獄で、ここに彼がいるわけがない。

 幻聴。これは極限の精神状態が生み出した、存在しない声だ。

 でも、それでも、幻でもいい。彼の姿を見ることができるのなら……。

 そんな想いを胸に私は顔を上げ、声の聞こえたほうを見た。

 そして──目を見開いた。


「……レイ、エス?」

「はい。貴女のレイエスですよ」


 眼前にいた少年──レイエスは以前と変わらぬ微笑を私に向けてそう言った。彼の片手には青銅色の鍵が握られており、背後には開け放たれた扉。それを見れば彼が鍵を使って扉を開けたことは、誰にでもわかる。

  何故、どうして? 監獄内には簡単に立ち入ることができない。いやそれ以上に、どうして彼が鍵を持っているのか。

 色々な疑問が脳裏に渦巻く中、レイエスは私を優しく抱擁し、安心する声音で言った。


「知りたいことが沢山あるのはわかります。けれど、まずは外に出ましょう。こんなところとは、もうおさらばです」



  ◇ ◇



 監獄を正門から出て、暫く。

 場所は変わり、一面に白い花が咲き誇る街外れの野原にて。


「簡単に言うと、ルティ様の冤罪が認められました」

 

 久しぶりに浴びる陽光を堪能しながら野原を歩く私に、隣を歩いていたレイエスが告げた。釈放の理由を。


「残念ながら毒殺の真犯人を見つけることはできませんでしたが……何とか、裁判員には冤罪を認めてもらうことができました。とても大変でしたけどね」

「真犯人なしって……一体どうやって?」


 私は驚愕して尋ねた。

 真犯人なしで判決を覆すなんて、そんな前例はほとんどない。裁判員は全員が堅物だ。一度決定した判決を覆すなんて、よほどのことがない限り不可能だ。

 それを実現させたなんて……レイエスは一体、何をしたのか。

 当然気になり、私はそれを尋ねた──が。


「えっと……」


 それを問うた途端、レイエスはとても言いづらそうに視線を逸らし、頬を掻いて言い淀んだ。

 ? どうしたんだろう。何か、言いづらいことでもあるのかな。

 私が首を傾げて見つめる中、やがてレイエスは意を決した様子で頷き──懐から、一冊のノートを取り出した。

 直後──それが一体何なのかを理解した私は、カチン、と身体を完全に硬直させた。

 だって、そのノートは……。


「あの、本当に申し訳ないと思っているんですけど……裁判長にこれを提出して、貴女が毒を作る研究をしていない証拠にしました」


 大層申し訳なさそうに言ったレイエスが手にしたノート。その表紙に記されている文字は『惚れ薬のレシピ♡』。中に記されているのは、私がこれまで研究した惚れ薬のレシピや考察、結果、そして……それを飲んだ時のレイエスの様子など。

 私にとっては禁断の書。絶対に誰にも見られるわけにはいかない、黒歴史そのものだ。


 これを、レイエスは提出した? 裁判長に? ということはつまり、証拠として他の裁判員にも見られたということ? 絶対に誰にも見られたくないこれが、大勢に見られてしまった?

 いや、違う。それよりも最も重要なことは……。

 私はギギギ、と人形のような動作で首を微かに動かし、レイエスと視線を合わせ……尋ねた。


「……私が毎朝、貴方に惚れ薬を飲ませていたことを知ってしまった?」

「知ってしまった、というよりも、その……」


 アハハ、と後頭部を掻きながら笑い、レイエスは言った。


「実は……随分と前から知っていました。ルティ様が僕に惚れ薬を飲ませていたこと」

「──」


 知ってしまったのではなく、知っていた。

 具体的にいつからとは言わなかったけど、随分と前から。

 彼が惚れ薬のことを知っている、ということを知らずに、私は毎朝毎朝出来立ての惚れ薬を飲ませていた……。

 それはもう、毎朝告白しているようなものだ。私は貴方が好きだから、貴方も私を好きになって、と声高らかに言っていることと同じ……。


 え、嘘でしょ。恥ずかし過ぎて死にたい。

 穴があったら入りたいどころじゃない。穴の中に全身を埋めて、上から大量の土を被せて沢山の花を植えてほしい。

 耳が熱い。顔が熱い。身体が熱い。

 私は、なんて恥ずかしいことを──。


「レイエス」

「な、なんでしょうか」

「……銃を、持ってない?」

「何をしようとしてるんですか早まらないでくださいルティ様──ッ!」

「だって、だってッ!!」


 耐えられなくなった私は拳を固め、ポカポカとレイエスの胸を殴った。


「もう……もうッ! 何で知ってるのッ! っていうか知ってるなら言ってよッ! 知らないと思ってずっと惚れ薬飲ませてた私が馬鹿みたいじゃん馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」

「お、落ちついてください!」

「これが落ち着いていられるかああああああああ!」


 生まれて初めて、腹の底から声を出した。

 制御不能なほどに感情が荒ぶり、その矛先をレイエスに向け続ける。彼は私を宥めようとするけれど、無意味。今の私は誰にも止められない。そう思ってしまうほどに、私は暴走していた。


 けれど、人の暴走というのはやがて止まるもの。

 数分後。体力を使い果たした私は荒い息を吐きながらその場に頽れた。


「もう……最悪だよ、本当に。釈放の条件が大恥を晒すことだなんて……これからは誰もいないところで一人寂しく暮らすしか──」

「一人になんてさせませんよ」


 膝を折り、私と同じ視線の高さに合わせたレイエスは、確かな力の籠った瞳で私を見つめて言った。


「これからも変わらず……僕が貴女の傍にいます。何年でも、何十年でも、一緒に」

「……レイエスは、それでいいの? 私なんかの傍に、ずっといるなんて──」

「どうして僕に惚れ薬が効かなかったのか、わかりますか?」

「え? ……それは、私の作った惚れ薬が失敗作だったからで──」

「違いますよ」


 私の言葉を遮ったレイエスは、私の両手を取り──力強い声音で言った。


「僕はとっくに──貴女に惚れているんですよ。それこそ、初めて会った10年前に」

「……」

「これは嘘ではありませんよ」


 沈黙する私に念押しするように言ったレイエス。

 疑っているわけではない。長い付き合いだ。彼の言葉が本心であることは、声で理解できる。

 彼の気持ちは嬉しい。とても嬉しい。

 けれど、素直に喜ぶ前に……聞いておきたいことが一つあった。


「私に惚れていたなら……私が惚れ薬を飲ませていることを知っていたなら、どうしてレイエスは私の気持ちに応えてくれなかったの?」

「一族の決まりなんです」


 レイエスはギュッと私の手を握る力強め、理由を語った。


「イルフォンス家は、仕えている主人が婚姻を結ぶまで独り身でなくてはならない。主人以上の存在を作らないことで、忠誠を示すのです。そして、例え主人が婚姻を結んだとしても、十八になるまでは同じく独り身でなくてはならない……後者に関しては、どうしてこんな決まりが出来たのかも、よくわかっていませんけどね」

「なるほどね……そういうことか」


 納得した。

 そういうことなら、仕方ない。しがらみとは面倒なもので、自分ではどうすることができないものだから。

 彼を責めることはできない。いやそもそも、好きだからといって毎朝惚れ薬を飲ませていた私のほうが百倍悪い。寧ろ、律儀に毎朝飲んでくれていたことに感謝しなくてはいけないくらいだ。


「今年は一緒に祝うことはできませんでしたが、僕は十八歳になりました。もう、家の決まりに縛られる必要はない……自分にも、ルティ様にも、素直になれます」


 一呼吸を空け、やや緊張した面持ちになったレイエスは、再び私の瞳を真っ直ぐに見つめ──告白の言葉を口にした。


「ありきたりで、平凡な台詞ですが……ずっと昔から貴女のことが好きでした、ルティ様。僕と──恋人になってください」

「……」


 ああ、結局言わせちゃったな。

 十年間……いや、十一年間、私が言うことのできなかった言葉。

 それをレイエスに言わせてしまったことに対する申し訳なさと、それを何百倍も上回る喜びを胸に抱き、


「──こちらこそ、よろしくお願いします」


 彼の唇に、自分のそれを重ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冷酷な魔女様の一日は、従者の僕に惚れ薬を飲ませることから始まる 安居院晃 @artkou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ