〈第3話 寝つきが悪いなら、枕を変えたらいい〉




(夕方のリビング。家族で夕飯を終えた後、妹が食器の片づけをし、兄はテーブルを布巾で拭いている)


「……兄さん、そのお皿とって」


(お皿の音)


「……ありがと」


「…………」


(いつも通りの気まずい事務的な会話。しばらく無言が続き、皿洗いや片付けの作業音だけが響く。そんな中、不意に妹が躊躇しつつも口を開き、)


「……あの、兄さん……寝つき悪いの?」


(塩を崩さない固い口調で言う。普段は素っ気ない妹が急に話かけてきたので、思わず兄が手を滑らせる)


「あ、ちょっと、……お皿ッ、あ! ……危なかったぁ。もうちょっとで落とすとこだったよ」


「え? 私が急に話しかけたから? ……ダメなの? ……ちょっと話すくらい」


(居心地の悪そうな声色で妹が言う。兄がしぶしぶ承諾する)


「……それで、どうなの兄さん? さっきお母さんに言ってたこと、ホント? ……その、最近寝つきが悪いって……?」


(肯定する兄に、妹は途端にショックを受けたような顔をして、急にしゅんとなり)


「…………、……やっぱ、そうなんだ……」


(兄は妹の様子に違和感を感じるが、)


「……別に。……話はそれだけ。……じゃあ私、お風呂入ってくるから」


(いつもの塩対応に戻り、近くを通り過ぎてさっさといなくなる妹。意図がわからない兄だけが取り残され、食器拭きを続けた)





◇◇◇




(深夜。自室で兄がベッドに寝転がる。眠気が深まってきた時)


(ドアを控えめにノックする音)


「……兄さん、……いい?」


(寝ぼけながら扉を開ける兄。妹は少し恥ずかしそうな不安そうな表情だったが、兄の眠そうな顔を見て少し安堵したように)


「……眠そうだね?」


(ドアを閉じて部屋に入る兄妹)


「……そこ、座っていい?」


(ボフ、とベッドに二人が腰かける音)


「あのね兄さん……じつは少し、謝りたくて……」


「うん、……夕飯の時言ってたでしょ? 寝つき悪いって。……あれ、私のせいかな思って」


「……だって最近……私が兄さんを寝かしつけること、多かったでしょ? ……そのせいで兄さんの睡眠を邪魔してたらって……」


(俯いたまましおらしい妹。しかし、兄はそれを否定し、)


「……え、私のせいじゃない? 疲れが溜まってるだけ? ……むしろ私がいてくれた方が、……気持ちが……休まる……?」


(兄の言葉に、妹は嬉しいような恥ずかしいような顔になる)


「……そう、かな?」


(再び肯定する兄の言葉に驚きつつ)


「……っ、……そう、なの? ……うぅぅ」


(顔を真っ赤にして恥ずかしがる妹)


「……寝ぼけてるくせに、……そんなかっこいいこと言わないで……調子狂うじゃない……」


「……まぁでも? ……私……兄さんのそういうとこ……」


「……」


(もぞもぞと何やら衣擦れの音。深呼吸をしたような妹の吐息が聞こえ、)


「ちょっと仕切り直し……。……兄さんも眠そうなことだし、ここから私のターンってことでいいかな?」


「うんうん。イイ感じの文法の乱れだね」


「じゃあさっそく」


(ベッドに深く座りなおした妹が、自分の膝をとんとんして)


「兄さん、今日も……いらっしゃい……っ」




◇◇◇




(自室のベッド。兄が横になり、妹に膝枕をしてもらっている。一定のペースで髪を撫でる音と、少し上から聞こえる妹の声)


「最近疲れてるんだ? なんだかんだ忙しかったもんねー兄さん?」


「うん。……そのぶん、今日はよく寝れるといいね?」


「ねー。寝つきかぁ。……どうすればいいんだろうね」


「あ、ひょっとして、この膝枕がだめなのかな? 実は首とかに悪いとか? ……どう、兄さん? 私の太もも、寝にくい?」


(頭を妹の太ももにすりすりする兄)


「……めっちゃ柔らか、って……、……まったく。……兄さん? ……変態さんになっちゃうよ?」


「…………」


「……あのね兄さん、じつはさっき調べてみたんだけど」


(急に近くなる距離。妹の顔が近づいて、さっきよりも近くでゆっくりとした言葉が届く)


「寝つきが悪いときは、枕を変えればいいんだって」


「……枕、変えてみよっか……?」


「……あれ、……兄さん?」


(モゾモゾと身体を動かし、兄が自分用の枕を探そうとする)


「えと、そうじゃなくて……」


(うつ伏せに姿勢を変えた兄に、妹が後ろから耳打ちするようにささやく)


「う、で、ま、く、ら」


(兄が振り返り、)


「うでまくら、だよ。えっとつまり、私がこうして…………」


(ベッド上でモゾモゾと姿勢を変える妹。衣擦れの音がする)


「こう腕がなるから、ここに兄さんがこう……」


(二人で添い寝の形になり、妹の伸ばした二の腕の内側に、兄の頭が妹に向かい合う形でおさまる。呼吸の音。さっきよりも接した距離感で妹が言う)


「…………完成だね…………」


「……なんだか……膝枕よりも近く感じるね」


「……重くないかって? ……少し重いけど。でも……兄さんの頭を直に感じられて、……いやじゃない。……むしろけっこう好きかも」


「……どう、兄さん、柔らかい? これならよく寝れそうかな?」


(モゾモゾと兄が頭を動かし、肯定する)


「……よかったぁ。……じゃあ今日は、このまま寝ちゃおうか?」


「うん。……寝がえり? もちろんいいよ? ……?」


(寝ぼけて寝がえりを試みる兄。が、)


「……あれッ、……あ、そうだね……、……あッ」


(失敗して元の位置に戻る兄。さっきよりも位置が下になり、兄の顔が妹の胸と正面で向き合う)


「いやえと……こうしてると、胸が兄さんの目の前にくるから、……なんだか恥ずかし、……ひゃッ」


(ウトウトした兄が慣性のまま、目の間にある妹の胸に顔面ごと飛び込む)


「――兄さん、ちょっと! あっ!? んッ。ダメ、……いくら兄さんでも、そんな急に顔を埋められると……あッ」


(妹の荒い呼吸の音と、微かに心臓の鼓動の振動がする)


「……兄さんッ、だめだよ、……だめぇ」


「……兄さん。……おねがいッ、……それ以上されると、私…………ッ」


(急に静かになる)


「……はぁ、はぁ、……兄、さん?」


(静かな間の中から「すー、すー」と兄の寝息が聞こえる)


「……?」


「あ、れ。……兄さん?」


「……兄さーん?」


「もしかして……寝ちゃってる?」


「……え、兄さん、なになに?」


「……ものすごく……やわらかい……まくら……?」 


「……」


「……ふふ」


(衣擦れの音。妹が兄の首を包み込むようにギュッと抱いて)


「……兄さん?」


「……私のおっぱいで、安心しちゃったの? ……ほんと、赤ちゃんだね、うんうん、仕方ないね?」


(胸に顔を埋める兄を、妹が優しく言い聞かせるように)


「……兄さん、今日はこのまま、私の胸で眠っていいからね?」

 

「おやすみ……兄さん♡」




◇◇◇




(翌朝の兄の自室。鳥の鳴き声で兄が目を覚ます。ゆっくり体を起こすと、少し離れた位置から)


「…………おはよう」


(驚いてガタ、とベッドを落ちる兄。妹が部屋にいる疑問を指摘するが、)


「……驚きすぎ。いるでしょ普通に。……それより」


「昨日の寝つきは、どうだった……?」


(兄が困惑しつつも肯定的な返しをすると、妹は髪をいじりながら)


「ふーん、そう。……それは……よかった……」


「……それだけ? ってなに? ……や、特に理由はないけど、だめ?」


「……なら、いいでしょ。……え、なに、私?」


「……なんで両手で胸を隠してるのかって、……ッッッ」


「……べ、別になんでもないっ」


(指摘されて焦ったように妹がドアを開ける。ドアの外に出て一瞬止まってから、再び顔だけ出し、ジト目で)



「……兄さん、……えっち……」



(静かにドアが閉まる音)

(急なディスりに兄はショックを受けた)

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