11:トキメキを描く
「――失礼しました!」
一礼して、職員室を出る。
今日の私は日直。といっても、今まさにその仕事をやり遂げたところだけどね。
学級日誌を書いて職員室に届けるのに、ちょっと時間がかかってしまった。
「のぞみさんが待ってるわよね……急がないと」
今日も、一緒に美術部に行く約束をしていたのだ。
のぞみさん自身は「大丈夫、ゆっくりでいいよ~」って言っていたけれど、あんまり長く待たせちゃ悪いものね。
一年一組の教室に着いて、ドアに手をかけようとしたとき――。
「――え! 『姫ちゃん』って、名字から取ったあだ名じゃなかったの?」
「あはは、名字から『も』取ってるけどね?」
のぞみさんと奈帆さんの声が聞こえてきて、私はぴたりと足を止めた。
……私の話をしているみたい。
何となく入るタイミングを逃してしまったような気がして、私はその場で聞き耳を立てる。
「ほら、姫ちゃんってさ、何かお嬢様? みたいな喋り方するじゃん」
「ん~、確かに」
「それに、何かお姫様っぽい雰囲気っていうか、普通じゃないっていうか……変わってる子でしょ?」
(……)
奈帆さんに、悪気はないんでしょう。
それは、小学校の頃からの縁で知っている。あの子は思ったことをズバっと言う子だから。
『変わってる子』か。……自覚があるとはいえ、人に言われるとちょっとモヤモヤしちゃうわね。
「だから、『お姫様』の『姫ちゃん』ってこと!」
「へえ~……」
……でも、大丈夫。誰にどう言われたって、今さら気にするようなことじゃないわ。
私は一つ呼吸をして、ドアを開ける。
「――待たせたわね、のぞみさん!」
「あっ、姫ちゃん~! 日直の仕事、終わった?」
「ええ、完璧に終わらせてきたわ! さあ、美術室に行きましょ」
美術室に着いたら、さっそく課題の続きをやっていく。いよいよ本番、色塗りの段階だ。
リンゴには、ぱっと目を引く鮮やかな赤色をアクセントに加えて。
じゃがいもや玉ねぎは、逆にカゴとなじむような穏やかな茶色でまとめて。
(うん、いい感じ……)
元の色を残しつつ、鮮やかな色合いの野菜と果物ができていく。これで、影の部分には思いきって青っぽい色を使ってみたりしたら……もっとカラフルで楽しい絵になりそうよね!
そう。とってもいい調子、なんだけど……。
「……」
どうしても心から離れないのは、先週投げつけられた言葉。
『向上心のないお前たちには分かんないだろ』
あれはたぶん、のぞみさんだけじゃない。私に向けても言っていた。
向上心がない……それは否定できない。『楽しく描く』ことを一番に考えている私は、技術を磨く努力を後回しにしてしまいがちだから。
だから、あの二人の言い合いに、口を挟むことができなかった……。
「姫ちゃん?」
「あっ……」
のぞみさんに声をかけられて、はっと我に返る。
……今日の美術室には、古屋くんがいない。
先生に聞いたら、今日は用事があって休むと連絡があったそうだ。
あの口論が原因、というわけではないでしょうけど……顔を合わせずに済んで、よかったような、悪かったような。
「もしかして、古屋くんのこと?」
「え、ええ……ちょっと、考えちゃって……」
「そうだよねぇ、気になるよね」
のぞみさんが、ふぅ、と肩を落とす。
「……どうして、あんなに怒らせちゃったんだろう」
「……」
「わたし、冷静じゃなかったよねぇ……謝らなきゃなんだけど……」
そう。あの場は誰も冷静じゃなかった。
私も混乱していたけど……今なら何となく、分かる気がする。
「……そのまんま、なんじゃないかしら」
「え?」
「古屋くんにとっては、『他人から評価されること』が大事だったってことよ」
のぞみさんが『どうでもいい』と切り捨てたこと。
それこそが、古屋くんの譲れないものだったんだと。
「……なんで?」
「それは、たぶん……絵が上手いなりの苦労、みたいなものじゃないかしら。古屋くん、いつも真剣に描いてたし……」
授業じゃなくて、部活。それも、コンクールに出すような絵じゃなくて、体験入部の課題。少しくらい自由に描いても……何なら、手を抜いたってよかったはず。
でも古屋くんは、いつ見たときも集中して、黙々と絵に向き合っていた。
彼にとって、『他人からの評価』とは『周りからの期待』であり、大切なものなのかもしれない……と。
「そっかぁ……だったら、怒るのもムリないよねぇ……」
私が考えたことを話すと、のぞみさんは難しそうな顔をしながらも納得した様子だった。
「……のぞみさんは、どうなの?」
「えっ?」
「何のために絵を描いているのか。……たぶん、古屋くんとも私とも違う理由があるんじゃないかって」
私がそう尋ねてみると、のぞみさんは筆を浮かせて考える。
「そうだなぁ……わたし、漫画とかアニメとか大好きだから、自分でも描いてみたいなって思ったんだよね。そうやって、マネして絵を描くようになったのが始まりで」
「そうなのね」
「で、今は……そうだなぁ。理想の世界を形にするため、かも?」
そう言ってのぞみさんは、ぐっとこぶしを握った。
「漫画の中にしかいないカッコいい男の子も! 空想の中にしかいない不思議な生きものも! わたしが描いちゃえば、現実でも形になるんだよ~!」
「な、なるほど……!」
すごいわ、とにかくブレない。何だか圧倒されてしまった。
どこまでも、のぞみさんはのぞみさんね。自分の道を貫いていられるところ、尊敬しちゃうわ。
「姫ちゃんは? どうして絵を描くの?」
「そうね……」
聞かれて、私も考える。
何のため……とかは分からない。でも一つ、はっきり分かっていることがある。
「……描きたいって思うから、描くのよ」
かち、かち、と時計の秒針が進む音がする。
「描きたいって思ったらすぐに、描き出さなきゃ……見失ってしまうもの」
「何を?」
「何でしょうね。……トキメキ、かしら」
心を躍らせるモノ。景色を彩るモノ。
そう。私をときめかせる、何か。
中学生にもなって、空想ばっかり追い求めて……『変な子』なのは分かっている。
(でも、止められないのよね。この気持ちは)
そんなことを考えていた矢先――がらっとドアが開く。
「誰かいるー?」
ひょい、と顔をのぞかせたのは、綾瀬先輩だった。手にはカバンとお絵描きセットを抱えている。
「どうしたんですか、綾瀬センパイ?」
「なんか、絵の具がなくなっちゃって。スケッチやめて戻ってきたんだ」
「……え!?」
絵を描くための大事な道具をなくすなんて、一大事じゃないの。
「絵の具……って、何がですか?」
「何って……箱ごと? あの、色いっぱいある、水彩のやつなんだけど。もし見つけたら、教えてくれるとうれしいな」
箱ごと、となると……どこかに落としたのか、置いてきたのか。
『色いっぱいあるやつ』ということは、普通の絵の具より種類が多めのものなんでしょう。だったら、他の人と取り違えることはなさそうだし。
「やー、いつの間にか消えちゃってて。ウケるよね」
「笑いごとじゃないですよ~……!」
私ものぞみさんと同意見よ。ウケるなんて言ってる場合じゃないわ、どう考えても。
でも綾瀬先輩は、本当にあまり気にしていない様子で、私たちのスケッチブックをのぞき込む。
「お。いい感じじゃん、二人とも」
……! 褒めてもらえた……!
一言であっても、いい言葉がもらえるとうれしいものね。相手が先輩だから、なおのこと。
「いやぁ、綾瀬センパイに比べたらまだまだですよ~」
「そんなことないよ。のびのび描けてると思う」
綾瀬先輩は、うんうんとうなずく。
「この前は、アドバイスしなって言われたから、いろいろ言っちゃったけど。やっぱり好きなように描くのが一番だよね」
「……」
綾瀬先輩ほどの人が言うなら、そうなのかしら。
私は、私のままで……空想を追いかけ続けても、いいのかしら。
美術室の窓からは、やさしい光が射し込んでいた。
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