10:黒の呪い

「魔女!? 魔女って……アクアちゃんのことを襲ったっていう、あの!?」

「そうだ。見た目から『魔女』と呼んでいるだけで、実際は女性なのかどうか分からない……というかたぶん、人間ではないんだけどな」

 に、人間ではないですって……!?

 あの『魔女の仲間』も、かわいい見た目をしてるけど、得体の知れない存在だってこと!?

「■■■■■!」

 聞き取れない言葉を発しながら、手にした杖をぶんぶんと振ると……。

 黒いインクの弾のようなものが、私たちに向かって飛んでくる。

「うわわっ!?」

「っ……ここは僕が! ――トリドリ・イロドレ・イロドリカ!」

 そう言ったネロくんの手に、光が集まって――黒い剣が出現する。

 ――ザシュッ!

 黒い剣がインク弾を弾くと、じゅわっと蒸発して消えていった。

「……あれも魔法なの!? すごいわね!」

「ああ、あれは『色』のチカラを集めて成形する魔法でな……って、そんなこと言ってる場合じゃない!」

 私の肩の上のアクアちゃんが、ぺしぺしと頬を叩く。

「サクラ、今こそチカラを使うときだぞ! ネロを援護するんだ!」

「そっ、そうね……!」

 言われて、私はパレットを取り出す。

 現時点でアクアちゃんが取り戻したコロルは、『ダブグレー』と『メイズ』。『アイビーグリーン』は……捕まえたばっかりで使えるか分からないから、前の二つを優先して考えましょうか。

『『メイズ』はトウモロコシでしたよね』

「……トウモロコシを主食とする動物相手ならまだしも、今は役に立たなさそうよね。とすると……『ダブグレー』のハト? それもどうかと思うけど」

『でもでも、注意をそらすくらいはできるんじゃないですか?』

「確かにそうね、とりあえずそれでいきましょう」

 リトルテディと方針を決めた後、パレットを開く。

 白と黒、それから紫をちょっぴり。

 筆先で絵の具をすくい取って、くるくるとかき混ぜて……。

『姫さまっ、黒入れすぎです……!』

「わわ……!」

 あわてて白を追加する。

 黒の絵の具は、少し使うだけで大きく色味を変化させてしまう。分量には気をつけなくちゃいけないのよね。

 さて。何とか、あのとき見たハトに近い色を作ることはできたけど……。

 ハトって道端ではよく見かけるけれど、羽の形とか、あんまり覚えていないわね?

「サクラ! 急げ急げ!」

「い、今考えてるのよ……! ハトってどんなだったかしら!?」

「細かいトコまで考えてるヒマはないぞぉ! その色で鳥を描けば大体ハトだ、いけるいける!」

「色の女神様がそんなでいいの!?」

 いや……むしろ、色の女神様が言うならそれでいいのかしら。

 私は開き直って、筆を走らせる。

(難しく考えなくても、いいんだ……!)

 今重要なのは、ハトを詳しく正確に描く技術じゃないってこと。

 ちゃんと飛べる羽に、くちばし、二本足、まるっとしたフォルム……。

 イメージを、空中のキャンバスに写し出すこと!


「えぇい! トリドリ・イロドレ・イロドリカ……出でよ、ハトっ!」


 呪文を唱えると、ぽふんと煙が立って。

『ぽろっぽぽー!』

 元気な鳴き声を上げて、ハトが飛び出していく。

 魔女の仲間はそれを見ると――ぱっと顔を上げて、何やら声を上げた。

「■■■■■~!」

 そして攻撃を止めて、ぱたぱたと飛んでいくハトを追いかけていった。

 まるで、私たちに興味がなくなったみたいに……。

 ……あれ? 何だかあっさり追い払えちゃったわね?

「やったじゃないか、咲良!」

 とりあえず危機は脱したみたい。

 光が散らばって、ネロくんの剣はまた消滅する。ネロくんにケガとかはないみたい、だけど……。

 何となく心がざわついて、声をかけた。

「……ねえ。大丈夫?」

「ん? どうしたんだい咲良。何か問題でも?」

「いえ、その……。何だか様子がというか、動き方に違和感があったような、気がして」

 私が思い出したのは、学校に潜入したときに言っていた言葉。

『僕、あまり考えずに先に行動してしまうことがよくあるんだ。悪い癖だとは思っているんだけど』

 ……だから、すぐに敵に突っ込んでいったっておかしくないのに。

 でも、今日は――明らかに、動きが鈍かった。

 弾を防ぐだけで、斬りかかろうとしなかった。

 そのことを、正直にネロくんに話すと。

「……そうか。咲良は鋭いね」

 ネロくんは、そっと目を伏せて――少しためらいがちに言った。


「……実はね。僕は、『魔女』の呪いを受けているんだ」


 ――呪い。

 物語の中でしか聞かないような言葉が、ずんと私の胸の中に重石を落とす。

 ……それは、そうよね。魔法があるんだから、呪いだってあっておかしくないのかもしれない。でも……不思議なチカラに浮かれてばかりの私には、衝撃でしかなかった。

 甘い夢から覚まされた、みたいな。

「僕は……イロドリ王国の、王子だったんだけど」

「……ん?」

 ちょっと待って、と始まったばかりの話を一度制止する。

「王子様!? 例えじゃなくて、リアル王子様だったってこと!?」

「うん。……あれ? 『ホンモノの王子様』なんて言ってたから、てっきり気づいてるものかと」

「そういう意味で言ったんじゃないのよ!」

 本当は臆病な私と違って、ネロくんはいつもキラキラで堂々としていて――見た目も中身も王子様みたいだって、そういうことが言いたかったんだけど……!?

 まあでも確かに、王族って言われれば納得の見た目と中身よね。キラキラオーラだって放っているし。

 こほん、と咳払いをして、ネロくんは続ける。

「王族ということもあって、僕は、もともと女神様とも交流があったんだ」

 なるほど、どうりでアクアちゃんと親しげに話していたわけね。

 とはいえアクアちゃんの普段の様子を見ていると、本人も親しみやすい性格ではあったんでしょうけど。

「だから、女神様が魔女に襲われたとき、真っ先に助けようとした。……助けようとして、後先考えずに無謀に突っ込んだんだよ」

「……」

 アクアちゃんは、ネロくんの話を黙って聞いている。

「……でも、僕の力だけでは女神様を助けることができなかった。その上、負わなくてもいい傷を……『魔女』の呪いを、受けてしまったんだ」

「呪いって、どういう……」

「体の一部が魔女の力に蝕まれている――要は、肌が変色しているのだけれど」

「……!」

 そう言ってネロくんは、手袋を――出会ったときからずっとつけていたそれを、そっと外してみせた。

 ――その手は、爪の先まで真っ黒だった。

 どんな色も飲み込んでしまいそうな、どこまでも光のない黒。それが肌を覆っている。

 まるで濃い絵の具を塗りたくったような……それか、手がまるごと炭になってしまったような……。

「っ……」

 何と言えばいいんだろう。

 言葉を失ってしまった私の様子を見てなのか、すぐにネロくんは手袋を元のように直した。

「……ごめんよ、咲良。キレイじゃないものを見せてしまって」

「あ、いえ……平気よ、全然」

 気持ち悪いとか、グロいとか、そういうのではなかった。でも、いやに頭にこびりつくような色をしていた。

 まさに『呪い』って感じ……。

(ネロくんは……ずっと、こんなものを抱えて……?)

 気づかなかった。

 気づけなかった。

 ……ううん、違和感はあったわ。確信を持てなかっただけで。

「あの、もしかしてなんだけど……その呪いって、コロル探しにも影響が出たりする……?」

「……鋭いね。実は、『魔女』の気配がするせいなのか、コロルに避けられる体質になっているみたいなんだ」

「……」

「だから、僕じゃない誰かに、魔法の筆を使ってもらう必要があったんだよ」

 そういえば、いつかも言っていた。ネロくんは魔法の筆をうまく扱えない、って。

『何というか……体質の関係でね』

 ……それで、私が選ばれた。

 わざわざ別の世界にやってきたのに、自分ではコロルを集めることができないと分かったとき……ネロくんは、どう思ったんだろう。

 どれほど、やるせない気持ちになったんだろう……。

「それ以外なら、普段は平気なんだけど……さっき、魔女の仲間が近くにきた時、痛くなってしまって」

「そ、そうだったの……大丈夫?」

「今は平気さ。……たぶん、何か共鳴していたのかもしれない。そんな感覚がしたんだ」

 流れる雲が、太陽を隠す。ネロくんの顔に、影が落ちる。

「それで……攻撃ができなかったのね」

「……情けない限りだよ。咲良を危険な目に遭わせてしまって」

 そう言いながらネロくんは、そっと手袋をした手を撫でる。

 その顔が何だか……ひどく悲しそうに見えて。

(……呪いの痕だけじゃなくて、心も痛んでる、のかも)

 私は、そんなことを思った。

 でも、何も言えなかった。

 何も知らなかった私の、無責任な言葉じゃ……ネロくんを元気づけることはできないと思ったから。

 今の私にできるのは――ただ、彼の隣に寄り添うように立っていることだけだった。

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